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【短編小説】 悲しい、がない世界

今日祈りに来た少年は泣いていた。

最初はぶつぶつと何を言っているのか聞き取れなかった。しばらく耳をすましていると、どうやら学校で飼っているうさぎが死んでしまったらしい。

はあ、なるほど。初めて「死」と向き合ったというわけか。

昨日まで元気ですぐ近くにいた存在が急にいなくなる。人生経験が少ないと、そりゃ悲しい。どうしたらいいのか分からないよなあ。学校の先生も、親もそっと寄り添ってはくれるけれど、「悲しみの乗り越え方」をちゃんとレクチャーしてくれる人はいないもんね。

少年の願いは、うさぎの魂の成仏か…。まあ、小学生らしい可愛い願いだった。それはもう、叶えてあげようじゃないか。

「よし」と声に出して、懐から数珠を取り出す。うさぎの魂を呼び起そうと祈りを始めようと思った瞬間、少年からとんでもない要望が聞こえてきた。

「(喜怒哀楽の「哀」をなくしてください。お願いします)」

ん?

「(クラスメイトのいつき君から聞きました。ここはどんな願いも叶えてくれる神社だって。だから神様、どうかお願いします。「悲しい」なんて感情、人間からなくしてください。お願いします)」

少年は、繰り返し、繰り返し、願っている。

…いや、そうは言ってもさあ。

どう考えたって無理だよ少年。

「喜怒哀楽」は人間のさまざまな感情を表した四字熟語。代表的な“感情”というものを、この言葉のおかげでみんなが理解しているんだぜ。

人類が誕生してもう何百年経過してると思っているんだよ。感情が身についてしまった人間たちから「哀」だけなくしてほしいなんて、いくら神様でもできないよ。

一気にやる気をなくしてしまって、ゴロンと横になる。こういう無茶な願いを言ってくる人間、たまにいるんだよね。神様だからってなんでもできると思われたら困る。神様でもできないことはあるんだよ。時間とか止められないからね。

「(「悲しい」っていう感情、一体誰か得するんですか。人間に、悲しいなんていらないと思います。みんなが笑って、楽しく、平和に暮らしたいです)」

少年の主張は続く。

たしかに「悲しい」って一体なんだろうねえ。泣いたり、落ち込んだりする原因の多くは「悲しい」からきているかもしれない。「悲しい」があることによって、世の中が歪んでしまうこともある。こんな感情、存在して一体どうなるというのだ。

横になりながら、少年の主張を聞き続ける。祈りが終わったらすぐに帰ると思っていたのに、少年は何度も何度も祈り続けている。それほどうさぎが死んだのが悲しかったのか。

…いつもならもう聞かないようにするのだけど、少年にはちゃんと「悲しい」という感情を見せてあげたいと思った。

普段は子どもには見せないが…納得させるには仕方がない。

***

家に帰ると、お母さんがゴミ袋を片手に、家の中のものを片っ端から捨てていた。僕が誕生日に書いたお母さんへの手紙もビリビリに破いて捨てている。僕が大切にしていたぬいぐるみも袋の中に放り込まれていた。

「お母さん!それ僕が書いた手紙だよ?あ、そのぬいぐるみなんで捨てるの! ?」思わず、駆け寄って手を止める。

お母さんは普段通りの顔で「どうして?かさばるから処分しようと思って」と言った。

***

夜遅くに帰ってきたお父さんは、お母さんが作ったご飯を一口食べて、「いらない」と言った。いつもなら絶対ちゃんと食べるのに。「ありがとう」と言って美味しく食べるのに。

二階へ上がっていくお父さんを気にするそぶりもなく、お母さんは普段通りのニコニコ顔で、食器に残ったご飯を全てゴミ箱に捨てた。

***

大好きなおじいちゃんが亡くなった。

僕は心が痛んで今にも泣き出しそうだったのに、お葬式の会場では誰も泣いていなかった。みんな淡々とお焼香をあげている。隣にいる親戚のおばさんは笑っていた。

***

大学生になって初めて彼女ができた。お金を貯めてディズニーランドへ行こうと思って、バイトを頑張った。チケット代や交通費を貯めて彼女を誘う。

楽しんでくれると思っていたのに、終始彼女は無表情だった。ミッキーのことを「可愛いね」と言うけれど、言葉が踊っていなかった。

***

少年の主張がピタリと止んだ。そのままそっと語りかける。

「(今見た景色は、人間が「悲しい」をなくした世界だ。どうだ、幸せだっただろうか)」

少年が息を飲む。

「(「悲しい」感情はとても辛い。生きるのをやめたくなるほどだ。だけど、「悲しい」がなくなると、みんな人の気持ちが分からなくなってしまう。「こんなことをしたらあの人は落ち込んでしまうかもしれない。泣いてしまうかもしれない」というストッパーがなくなってしまう。だからなんでもできる。人が大切にしているものを簡単に壊すし、捨ててしまう。思い出なんてなくなってしまう)」

雪がちらつき始めた。

「(そして「悲しい」がなくなったら、「楽しい」「嬉しい」もなくなる。「悲しい」の対だから、何かにワクワクしたり楽しんだりすることを忘れてしまう。みんな無表情になってしまう。「悲しい」と感じないから、「楽しい」を糧にしようとしない。ご褒美なんて作ろうとしなくなる)」

「(さまざまな感情によって人間は豊かになるんだよ。思い出を作るんだよ。「悲しい」が欠けてしまったら、ご先祖様は誰が覚えている?悲しくないから、すぐにみんな忘れてしまう。悲しいから、みんなが覚えている。悲しいから、人を大切にでできて、みんなが平和に暮らそうとするんだよ)」

少年が、わっと泣き出した。

声に出して「ごめんなさい」という少年を姿を見て、ほっと胸をなで下ろす。

少年はしばらく泣き続け、涙がおさまったところで「ありがとうございます」とお辞儀をして去っていった。

雪がちらつく中、走っていく少年の後ろ姿を見ながら転ばないように、そっと念じる。

人間に「“悲しい”がなくなった世界」を見せたことが父にバレたら怒られるので、あとで夢だったように記憶を抹消するとするか。

***

ゴロンと横になる。

もう何百年も生きている私たちにとって、感情に振り回され続ける人間は愚かでとてもいい暇つぶしだった。

人間をただ観察するだけでもいいけれど、私は他の“神様”と呼ばれるものよりも「喜び」という感情が長けているらしい。自分じゃよく分からないが、まあ、ひとりでも多くの人間が、生きやすくなってくれたら嬉しい。

…次の人間が来たようだ。


***

最後まで読んでいただきありがとうございました。

noteでは、どんでん返し、世にも奇妙な物語風の短編小説を書いています。「この先どうなるんだろう」「ハラハラドキドキする」という、ちょっぴり奇妙な世界観が好きです。読んでいただいた方の日常の楽しみになれば嬉しいです。

他の作品もぜひご覧ください。

なお、本作品は2020年2月27日に公開した「【短編小説】喜怒哀楽」を加筆・修正した作品です。

最後まで読んでいただきありがとうございます!短編小説、エッセイを主に書いています。また遊びにきてください♪