見出し画像

一方通行の縁

 人との縁を切りがちだ。
 まず親兄弟、次に人生で一番信頼した人、そして諸々の人たち。縁を切り、思い出にふたをして、その人のいない日常を当たり前にしていく。だけど、思いがけず再会してふたがぱっと開き、突然過去に引き戻されることもある。その衝撃たるや。

 自分が人を切るように、人も私のことを切るのは当然のこと。
 私は人の悪口を言うし、人も私の悪口を言ってると思うし、言われても気にならない。誰かといるのを息苦しく感じるように、私といる時間を居心地悪く感じる人もいるだろう。
 私が人に対して感じることやすることは、当然、人が私に対して感じたり、したりすると思っている。それを嫌だとは思わない。だって、自分がしてることだもの。

 唐津での求人の2次選考が通っても通らなくても、いずれ私はこのシェアハウスを出ていく。私が出ていくのが先か、家主が旅立つのが先か、住民が去るのが先かわからないけれど、いずれにせよ、みんなバラバラになる。
 バラバラになった後、家主と住人たち、あるいは住人同士の縁は切れないかもしれない。いつかまた再会したり、SNSでつながっていたりするだろう。だけど、たぶんその輪の中に私はいない。
 家主やなおさんや本Dなど、いつまでも大切にしたい縁はある。でも向こうがそう思っているかは別。そして優先順位というものがあり、縁がつながっていたとしても、順位の下方だといずれ記憶からも消えていく。
 仕方ない。縁とはそういうもの。
 そう考える私だから人との縁は薄く、時間によって劣化し、切れてしまう。仕方ない。

 人は二度死ぬという。一度目は肉体の死、二度目は記憶からなくなること。
 私の死は一度で十分。二度目はいらない。記憶からなくなりたくない、ということではなく、相手の記憶云々はどうでもいいということ。
 私が記憶している。それで十分。記憶を持ったまま死ねば、記憶はその地点から動かない。私にとって大切なのは、私が大切だと思う人、縁、関係を自分の中にとどめていること。思うから思われたいではなく、思うことがすべて。それで完結。

 ああ、私の恋愛感情はまさにそれ。
 恋愛感情がない、もしくは乏しいのだけれど、それというのも「愛されたい」と思わないことが原因なのだ。自分が相手を思う気持ち、それで十分。
 その人が好きで、大切で、だから幸せであって欲しいと願う。どこかで。誰かと。一緒にいたいわけではなく。一緒に幸せになりたいわけでもなく。その人がひとりだろうが、誰かと一緒だろうが、幸せでいてくれればそれでいい。
 究極の片思いが、私の恋愛感情のすべて。
 しかしこれが恋愛感情なのか、疑問だが。

 閑話休題。

 自分がされたら嫌なことをしない。だから、自分がされても平気なことはする。
 人との縁を切りがち。だから縁を切られても当たり前。自分が縁を大切にしない。だから私との縁を大切にされなくても仕方ない。
 一方通行の人間関係しか築けないのだから、相互通行とならないのは当然のこと。
 それをさびしく思わないこともないけれど、それでもいいやと受け入れる。思い出があれば生きられる。
 思い出は私のもの。死ぬまでずっと私のもの。

 

 

ネコ4匹のQOL向上に使用しますので、よろしくお願いしまーす