makers応募したよん。

はじめやして。makers-u18に応募してみました。何物でもないただのワナビー赤ちゃんが何抽象的なことほざいてやがんだ、という感じでしょうがまあ、皆さんお得意の流し読みでもしていただけたらと思いやす。また、様々な嘆かわしい解決しなければならない「今」の問題点をすべてすっ飛ばして適当に未来についてだけほざいております。無責任に人を傷つけてしまうことに無自覚でごめんなさい。本当に。何か議題くれたら話します。
あ、上の写真は僕が語るのもおこがましい話ですが今のインスタなどの写真的文脈に大きく影響している濱田英明さんのお写真を乗っけさせていただきました。こんな拙文に申し訳ありません。ほんとに第三者的な写真が好きで色味とか愛してます。

あなたは、どのような「世の中」や「未来」を創り出そうと考えていますか?そして、そこには、あなたのどのような想いや願いが込められていますか?


強いて言えば「みんなのこだわりを許容できる/差異こそが強みである社会を作ること」「ぬるま湯みたいな地球を作ること」だろうか。
 
僕は写真を撮ることが好きなのだが、ここ最近は行為としての写真から存在としての写真へと興味の対象が移りつつある。写真には-そしてありとあらゆる場面で-アート的側面とデザイン的側面という2つの側面があるのかもしれないと思う。文化的コンテクストのみを読み取り、わずかばかりの現代とそして主に歴史に接続することを考えるアート的思考と、現代を読み取りマーケティングされたデザイン的思考の側面だ。
しかし、Spotifyの台頭から-例が音楽に移り申し訳ない-わかるように、デザイン的思考の狙えるターゲット層は小さくならざるを得なくなっていることは明らかで、狭いターゲット層を狙ったコンテンツがその界隈に盛り立てられ、他の界隈に生息している人もなんとなく知る、というさらに現象が起こりやすくなっていると思う。
この動きが加速して、行き着くところはおそらく、ターゲット層はただ1人、究極のパソーソナライズされたコンテンツだろう。おすすめ、ではなくそのようにあらかじめ生成するのだ。もしかすると、自然現象としてのスポーツ観戦すらも、「奇跡のストーリー型」「銀行レース型」などと分けられてしまう日が来るかもしれない。
これは何も何も、コンテンツ産業に限った話ではなくて-と言いつつ1つ目の例がコンテンツ産業で申し訳ないのだが-将来のパートナーはタイプのど真ん中な彼女/彼氏かもしれないし、都市設計でもそうかもしれないし、家電だって基本なんだってそうなると思う。今までレジリエンスでなんとかしようと考えていたことが、なんとかなりそうである。今ならば「最大公約数的な利用」を見越して設計することを強いられていた事柄たちが、「そこそこなんでもオーダーメイドに変形できる」ような根底のみを作り、使用するユーザーに応じて可変的であるように変化が生まれていくと思う。主語が大きいが、我々人間は、インフラを作らずよくなり、猫になり-鼠を取る役割があるかもしれないし、ないかもしれない-老人的生活を送る時間が長くなり、人のために何かすることが産業として成り立たなくなりそうだ。そうなると、趣味的になにかを何かを学び、趣味的に何かを作る、ということが多くを占めるのではないだろうか-それこそ奴隷階級の存在しないポリス的生活ができるようになったらそこはそこそこユートピアではなかろうか-。
とまあ、ここまで当てても大して意味のない未来妄想をしたが、別にここに僕の意見はない-書きながら刺激的であろうmakersが遠のいていそうで内心焦っている-。
ただ、「秋深き隣は何をする人ぞ」と芭蕉さんは詠んだようだが、「自分以外へのそこはかとない懐かしさ」みたいな情緒も残っていそうなものではある。宇野常寛氏をはじめとして、文化が「ただ面白い、素晴らしいものとしての文化」よりも、「コミュニケーションとしての文化」の占める割合が大きくなりすぎているという危惧がある-これは絶妙にパーソナライズされ、絶妙にパーソナライズされていない今だからこそ起こる問題のような気がするけれど-が、文化はやはり、それぞれ関わる人の環世界の共通言語、とでも言えるような役割も大切な文化の役割だと思う-氏はそのことを重々承知の上で、コミュニケーション目的の文化消費がキモチワルサの原因の一つになっていると考えていらっしゃるのだと勝手ながら推察する。違ったらカッコつけてごめんなさい-。前の段落でモウソウを膨らましたような社会では、緩やかに自分の好きなものを探求し、緩やかに他者と他者の好きなものを共有し、緩やかにのんびり生きれるのではないかなぁと思うとなんだか心が落ち着いてくる。別に嫌いな何かから逃げることは絶対評価としての悪、であるはずがなかろう。自分が好きでないものへの「こだわり」も、自分が好きなものへの「こだわり」も、どちらもそこそこに叶えられ、心に心地よい余白を持てるユートピアのような、そんな地球を作りたい。そんなにうまくいかないかもしれないが、自分のこだわりを満たしーそしてそれを害する他者をなんとなく避けられー満たされているからこその余白で、他者とのコミュニケーションを受容する、なんて素敵ではありませんか。
 今までの話は全て今の世界の良い部分だけを良いように見て勝手にこうなったらいいな、という妄想を繰り広げたものだ。段々と皆が隔絶し、またある意味では段々と皆が一色化していく現代で、緩やかなつながりで、緩やかに余生的生活を楽しむ動きは、技術的にも間違いなく加速していると思うし、その結果がどんな想像しえない悪い面を及ぼそうとも、加速しなければいけないと思う。社会インフラの安定や、製造コストの削減から、普通に生きていればお金という紙に惑わされることも減るといいな、なんてことも思う。ぬるま湯のような地球を作るために僕が携わる仕事はどの分野かわからない。しかし、ひとまず僕は人のためにすることで価値を提供できる「今」を生きているわけであるから、そんな形であれ、地球をターゲットにしてデザイン的に「ぬるま湯」をステートメントに掲げ事を興そうと思っているー自分も興し、そして拾えない「今」を拾い、そして社会に対しての強いこだわりを持つ人のこだわりをかなえたい(要すると投資したい)―。
「文字を入力すればだれでもどんな情報にも触れられる」とか「自動車から出るco2をゼロにする」といった「具体的」で、且つ「今は誰も思ってないその人だけのどうしようもない」こだわりを持つ人物を求めているのだろうということは理解しているつもりだ。僕は「地球をぬるま湯みたいにしたい」とか言う腑抜けたしかも抽象度の高い、そして大して革新性もないようなステートメントを掲げようとしているけれど、一人くらいそんなでかいビックマウス、抽象野郎がいても面白いのではないだろうか。
 
そこそこ希望をもって
怒りの矛先が広がっている それでいい。

これまで自分が熱を込めて取り組んできたことや、活動実績について教えて下さい。

「高級焼きプリンの焼き目だけを食べ、批評するような人生を送ってきました」なんて小説の始まりがあったようなないようなーないです.ごめんなさい―。とかくそんな15年間を送ってきた。生まれつきなのか後天的なのか知ったことではないが、何かに最初から最後まで向き合い続けることが本当に苦手だ。物を作ろうと思ってもそのデザインとモーションの妄想ででおなか一杯になれる体に生まれてしまった。だからこそといっては何だが、専門性に乏しいが学際性については、通常以上は少なからず持ち合わせている。今思えばあきれた話だが小学2年生が冬休みには祖母宅で大相撲が始まるまで国会中継を見、やれ蓮舫氏はどうだやれ安倍氏はどうだなどと高説を垂れていたそうな。物を作ることになってもチュートリアルをやり通せないので当然制作スキルなど持ち合わせているはずもなく、カット割りを考え、人様に偉そうに指示をしていたそうな。母に最も言われてきたのは、「高圧的に人にまくしたてるな、知識をひけらかすな」とかまあそんなところだ。オルタナティブを提示できるような批判―というか人とのかかわりあいーができたら飽きてどこかへ去る。こんなところで僕の雰囲気をわかっていただければ。
あ、最後に漱石曰「自らを尊しと思わぬものは奴隷なり。自らをすてて神に走る者は神の奴隷なり」だそうなーだから何だといわないでくださいー。

理想の実現に向けて、あなたが考えている今から半年間のアクション計画を教えてください。


自分だけのアイドルを作れるアイドルグループを作る。同時並行でまだ気づかない観光資源を観光資源にし、また新しい旅の形を考え、その旅の形のために必要なものは何かを考えるー観光しない観光等―。
まず一つ目。アイドルグループ。僕はここ最近恋に落ちている。といっても三年間男子校という最もジェンダーフリーな場で生活していて3年間異性とお話しする機会を得ていない僕が恋に落ちたのは、乃木坂46というアイドルグループの元メンバーの方の一人だ。「その人にとって何物でもない自分」が、「その人の何か」であることを夢想し、勝手に3人称でなく一人称二人称で考え始めるという地球で257番目くらいに意味のなさそうだけど幸せな時間を送っている一人になることに成功した。アイドルを応援するという行為を分析してみると、「ただかわいい/かっこいいから好き」「何か妄想をすることができる」「その推しメンの良さが他者と共有される、言い換えると自分の推しメンが成長していく」「成長の過程を自分のおかげだと思える」「こうすればその推しメンを成長させられるか考える」といったような要素がアイドル人気を支えているのだろうな、と思った。僕は専ら「可愛すぎて死ぬ」の段階にいるのだがーその段階が幸せですーそういうただのファンを除けば、結構な層が、プロデューサー的な視点でアイドルを見ているのかもしれないなと思った. Midjourneyやstable diffusionを利用してアイドルを生成し、wav2lipやwav2lipHQでリップシンクさせ、楽曲はーたぶんここが一番の難所―好きなジャンル、曲調やアーティストと、「アイドルっぽさ」を掛け合わせたその人のオリジナルを作り、ダンスはPHALP等で得た今のアイドルのダンスの3dデータと曲調の組み合わせからその楽曲に合わせたダンスが生成されできるアイドルグループがあったら面白いのかなと思っている。もちろん他者と共有するところに面白さを見出せるようにメディア設計したい。それがyoutubeなのかnftなのかは、何も考えていない。
二つ目。観光。誰かのための仕事が価値を生み出せる今、においても、また人間が趣味的に生きられるようになった近い未来でも、文化活動としての観光というのは、大きな需要のある分野だと思う。今の日本という会社をデザイン的思考で考えてみても、明らかに他社が有していないが大きな需要を生み出せる資産は観光業で、当該会社は観光業を基幹産業に据え、そのうえでそこで得た原資をもとに、未来へのビジネスの研究開発費なり投資なりに回すのが得策かと思う。モノノメ内の特集「観光しない観光」といった観光の新しい価値観を提示することができればよいと思う。ただいるだけで歴史を感じられ気持ちの良いそれなりに映える国日本の国土を資本にするのは、アイデア勝負ではなくデザイン勝負で何とか頑張れそうではあるーなんとなくじゃなくて具体案だせって話ですよねごめんなさいー。周遊型観光と滞在型観光の二つにオルタナティブを提示することがポイントなような気がしている。
 

最後に

今日はJamiroquaiのVirtual InsanityのmvからJamiroquaiの姿勢測定をして3dモデル化し、推しに踊ってもらおうとしていて忙しかったので、提出が締め切り3分前になったこと、そして幾分か文字数が「はみ出し」てしまったことをここにお詫びし、こんな拙文を読んでいただけることに感謝申し上げます。

てへ

みたいなことをかきました。てへ。こういうのnoteに出すのもどうかと思いますがとりあえず脳死でここに置いておきたいと思います。どうでもいい。こんなの初めて書いたぜ。noteに何か投下するというのコピペしまくれば続けられるかもな。それこそはやりの「持続可能」なnote投下じゃい。勉強不足に勉強不足を重ねたような人間が書いた文章なくせに、一筆書きなので間違いや、「ん?」てなる点が多いとは思いますからあらかじめここで謝らせていただきます。また、何か僕が気づかぬうちにこの文章で誰かを傷つけてしまっていたら、誤ることしかできませんが、とりあえずtwitterか何かのdmでお知らせください。この度は大変申し訳ありません。評価経済の沼の奥底にいるただの男子中学生より。


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