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陳舜臣「秘本 三国志 2巻」読書感想文

2巻目からは、もうごちゃごちゃしてきた。
なんてったって乱世。

で、人物が多い。
次から次へと出てくる。

しかも、似てる名前が多し!

袁紹、袁術、劉焉などは重要人物だけど、いつまでたっても、どっちがどっちだったか覚えられなくて頭を抱えた。

気を入れて読まなければ「え、なにがあった!」と、またページを戻すことになる。

感じるのは “ 歴史はくり返す ” という格言だった。
本当に、その通りだ。
しみじみする。

ある勢力を倒そうと、ある勢力が生まれる。
ある勢力は攻撃される。

ある勢力は倒れるが、またある勢力は分裂して、またある勢力に倒される。

パターンのようにして、争いがくり返されていく。


地名も覚えきれない

都市だって次から次ぎへと出てくる。
覚えきれない。

洛陽、長安、成都、等々。
どうやら、交通の要所が多い。

これらの都市は、時代を超えて存在して、現代にも登場してくるので、知識として覚えておけば、教養の足しにはなると思われた。

大昔から続く呼び名の地名もある。
関中、中原、江南、河北だ。

大陸ならではの広い一帯の地名となる。
山や河といった地形で区分けされている。

関中が、西部一帯。
中原が、東部の真ん中一帯。
河北が、東部の上側一帯。
江南が、東部の下側一帯。

これらの地名は司馬遼太郎の「項羽と劉邦」にも、さんざんと登場してきた。

時代を超えて、繰り返し出てくる。
覚えておくと、次の読書にも繋げることができそうだ。

となると、併せて大河の名前を覚えるのも必須だ。
中国の戦記モノは、大河の存在は欠かせないようだ。

位置でいうと、上が黄河、下が長江。
あとは支流があるが、そこまでは覚えきれない。

単行本|1974年発刊|288ページ|文藝春秋

初出:オール読物 1974年新年号~

※ 筆者註 ・・・ 読んだのは単行本のほうです。
画像は1982年発刊の文庫本となってます。

行政区なども覚えきれない

漢帝国は12州に分かれる。

作中には多く使われるので、覚えようとしたけど、やっぱり無理だった。
とくに覚えなくても読めるからいいかも。

一応、羅列する。

涼州(りょうしゅう)、幽州(ゆうしゅう)、益州(えきしゅう)、青州(せいしゅう)、冀州(きしゅう)、徐州(じょしゅう)、荊州(けいしゅう)、揚州(ようしゅう)、并州(へいしゅう)、交州(こうしゅう)、袞州(えんしゅう)、豫州(よしゅう)で12州。

12州の下に “ 郡 ” と “ 国 ” がある。
その下に “ 県 ” がある。

国は名目だけ。
郡と同じ。

官職として皇族が国王に就くが、現地に赴くことなく、統治もすることなく、帝都の洛陽に居住する。

あれか。
秀吉が “ 筑前守 ” を名乗ったのと同じことか?

首長もややこしい

州の官史は “ 刺 ” といい、のちには “ 牧 ” となる。
郡の官史は “ 太守 ” という。

これも、覚えなくても差し支えない。
まとめて首長としても、しっかり読める。
ただ、この制度には “ 下克上 ” が起きる元があった。

平時であれば、州の首長の役目は、郡の首長を評価することとなる。

が、領地は州の首長のほうが少ない。
郡の首長のほうが多い。

乱世になると、郡の首長のほうが兵力を持てた。
郡の首長が、州の首長の位置を実力行使で乗っ取り、独立の動きが出てくる。

で、ごちゃごちゃとなっていく。

2巻の主な登場人物

▼ 五斗米道を中心とした勢力

本拠地は益州。
昔からの地名でいえば関中。

今でいうと四川省。
のちに『蜀』となる地である。

陳潜(ちんせん)
道教の五斗米道の幹部。
乱世での教団の存続を模索する。
漢の帝都の “ 洛陽 ” を拠点に、各地で情報収集をする。

少容(しょうよう)
2代目教祖の未亡人。
教団の新体制を固めてから、本拠地を離れる。

以降、陳潜と行動を共にして、各地を旅する。

張魯(ちょうろ)
五斗米道の3代目の主宰者。
少容の息子。
劉焉の官職にも就く。

劉焉(りゅうえん)
“ 益州 ” の首長。
益州は、地形の守りがあり、外部から侵攻されづらい。

そのため、漢帝国からの独立を企てる。
五斗米道が集める情報が必要となる。

▼ ほぼ崩壊した漢帝国の勢力

漢帝国は弱体化。
各地の州が独立していく。
帝国の支配は、大陸の西側の “ 関中 ” に留まっている。

董卓(とうたく)
漢帝国の将軍。
現皇帝を廃位して、別の皇帝を擁立して実権を握る。

独裁政治となる。
帝都の遷都もする。

やがて謀殺。
一族は処刑される。

王充(おういん)
董卓の独裁を覆すクーデターを企てる。
勅書により呂布を動かして成功するが、董卓配下に首謀者として討たれる。

呂布(りょふ)
董卓軍の将軍。
董卓の養子でもある。

が、董卓を誅殺して、反董卓軍側へ逃亡。
袁術の元へいくが冷遇され、袁紹の元へ移る。

▼ 反董卓連合軍 主流派

帝国から独立。
反董卓軍として連合を組む。
大陸の東側を実行支配する。

袁紹(えんしょう)
“ 并州 ” の首長。
名門の袁家の出身。
反董卓軍の盟主に推された。

曹操(そうそう)
少容の仲介で “ 青州 ” を実効支配する黄巾党30万を傘下に収める。
このことで、独立への動きを見せる。

もうちょっとあとに “ 袞州 ” の首長となる。

▼ 反董卓連合軍 袁術派

連合して反董卓軍だったが、足並みが揃ってなかった。
さらに各地で戦いがおきる状態となる。

袁術(えんじゅつ)
“ 揚州 ” の首長。
袁紹の異母兄弟で、なにかと反目している。
反董卓軍の盟主を狙っている。

孫堅(そんけん)
大陸南部の “ 江南 ” の領主。
孫子の兵法」の著者の孫武の子孫とされる。

反董卓軍に参加し、洛陽を占領するに至る。
のち転戦中に戦死。

孫策(そんさく)
孫堅の長男。
15歳。

父の死去より後継者として領主となる。

ネタバレあらすじ

五斗米道の新体制は磐石となる

少容の組織防衛はの工作はうまくいった。
益州の首長である劉焉を取り込んだのだ。

劉焉のほうも、漢帝国からの独立を目論んでいた。
そのためには、五斗米道の情報収集力を利用したいと考えていたのだった。

少容は、劉焉の力を利用する。
まずは、五斗米道の新体制の邪魔になる一派を排除する。

五斗米道の新しい後継者に不満を持つ一派が、黄巾の乱に協力したとしたのだった。
一派の首謀者とされた者たちは、捕らえられて斬られた。

息子の張魯の、五斗米道の後継者の地位は不動となる。
さらに、息子を州の官職に就けることに成功する。

しかし、それ以上は、少容の美貌が邪魔となった。
劉焉の誘いを断りきれないと察して、益州を出て、各地を訪れる旅にでる。

五丈原とガラス製品

少容は五丈原に向かう。
そこで陳潜と合流した。

この五丈原は “ 康姓 ” の居住地。
康姓とは、イラン系のサマルカンド人だ。
現在ではウズベク共和国となる。

彼らは、ガラス製造の技術を持っていた。
当時の中国では知られてない最先端の技術だ。

この五丈原で秘密にガラス細工品を作り、西域から運んできたものとして売り、利益を得ていた。

のちの西暦234年、蜀と魏の決戦のときには、この五丈原が蜀の本陣となる。
その際に、諸葛亮孔明が没する地でもある。

西暦191、反董卓連合軍が結成された

各地の首長の連合で、反董卓軍が結成された。
が、足並みは揃わない。

乗り気でない者。
中立を保つ者。
様子見をする者。

主導権を握りたがる者。
ただ単に武勇を示したい者。

やがて分裂して、派閥が形成された。
東側の董卓とは対立しながらも、西側は4派ほどに分かれる。

曹操は独立へ向かう

反董卓連合軍の曹操には、独立の転機が訪れる。
青州の黄巾党と戦い、和睦をして、傘下に収めたことで兵力が増したのた。

この和睦の仲介は、少容が申し出た。

「地上の平和はあなたの役目。人間のたましいの平和はあたしの役目」という少容は、曹操を支援することに有利さを見出したのだった。

敵を消滅させるのではなく、併せることを考える曹操は、少容の案を採る。

少容は黄巾党と話し合い、双方の共通点を挙げて、相手は仲間だと訴えたのだった。

これにより、曹操は30万の兵力を得た。
周囲への影響力を大きくして独立への道を進んでいく。

※ 筆者註 ・・・ 読書録を見直すと、解説だけで感想がないようですが『おもしろい』の一言につきるのです。

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