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三島由紀夫「仮面の告白」読書感想文

何から書いたらいいのかわからない。

まずは、誰が “ 仮面 ” をかぶっているのか?
三島由紀夫か?

本人だと思って読んだほうが、タイムリーに知らない者にとってはおもしろい。

もちろんフィクションも交じってるだろうけど、細かいことはすっとばす。

で 、なんの “ 告白 ” かである。

まずは、ゲイだという告白がある。
ゲイ、ホモ、男色、BL、といろいろあるけど、ゲイでいいだろう。

妄想の殺人も告白する。
何人も殺している。

あとは、23歳で童貞だとか。
風俗にいって、童貞喪失を失敗したとも告白してる。

あとは、戦争を冷笑している。
東京大空襲が劇場みたいだったと告白している。


「仮面の告白」のおもしろい点

告白するのは “ 普通じゃない ” という自覚があるからか?

「じゃ、普通ってなに?」という問いなどすっとばす。
いわゆる普通である。

あくまでも、三島由紀夫は普通側にいたい。
普通側に軸足を置いて、普通に振舞いながら仮面もかぶって、こっそりと冷笑もしているのが、根性がひねくれた自分にはおもしろい。

以下、作中の三島由紀夫の仮面っぷりと告白を追ってみる。

※ 筆者註 ・・・ 三島由紀夫の文章が好きなのです。感想文というよりも要約になってしまいました。『5分で読む仮面の告白』とタイトルを改めてもいいのかもしれません。おそらく本文の100分の1くらいになってます。

文庫|2003年発刊|288ページ|新潮社

初出:1950年(昭和25年)

糞尿汲み取り人の股間

告白は5歳に遡る。
悩まして脅かす記憶が、その辺りではじまる。

家につながる坂がある。
その坂を1人の若者が降りてくる。

糞尿汲み取り人だ。
肥桶を前後に担いで、汚れた手ぬぐいで鉢巻きをして、地下足袋を履き、紺の股引を履いていた。
股引は、ぴったりと下半身に張り付いていた。

下半身は、しなやかに動きながら迫ってくる。
その輪郭に、なぜだかわからない傾倒がおきたのだ。

ひりつくような、得もしれない要求が締め付けてくるような類の欲望が、この世にあるのを予感した。

殺されるジャンヌダルク

6歳の頃の告白もある。
絵本にあったジャンヌダルクについてである。

白馬にまたがって剣をかざしているジャンヌダルクは、次の瞬間に殺されると信じていた。
死に対して、甘い幻想を抱いていた。

が、ジャンヌダルクは女だという。
彼だと信じていたものは、彼女であった。

6歳の私は、打ちひしがれた気持ちになった。
その死は、彼でなければいけなかったのだ。

それ以降、その絵本を見捨てた。
手に取ることもしなかった。

同級生の男に初恋

中学生のころの告白もする。
同級生の近江に対してだ。

ある雪の日のことだった。
その日、早く学校に行って校庭に行ってみると、積もった雪に近江が足で “ OMI ” と書いていた。

近江は「踏んじゃダメだぞ」と笑う。
そのときに、近江に恋をしたのだ。

雑な言い方が許されるとすれば、私にとって生まれて初めての恋だった。
しかもそれは明白に、肉の欲望に絆を繋いだ恋だった。

私は夏を待った。
近江の裸体を見る機会があるからだ。
さらに私は、近江の股間も見たいという欲求があった。

夏までも待たなかった。
それは、まだ5月の体育の授業だった。
皆の手本として、近江が鉄棒で懸垂をしたのだ。

いい体格をしている近江だった。
飛び上がり、鉄棒に捕まる。

懸垂をする近江には、脇毛があった。
クラスの誰よりも茂っていた。

私は、その体に強烈に嫉妬した。
そして勃起していた。

殺された恋人

夏休みが終わり、新学期がはじまった。
近江はいなかった。
退学処分の張り紙が、掲示板に見られた。

理由は分からない。
先生も「悪いことをした」と言うばかりだった。

私だけは、近江の「悪いこと」について確信があった。
ある種の神秘な確信だ。

近江は、ある広大な陰謀に参画していたに違いない。
それは、知られざる神のためのものでなければならない。

その神に、近江は奉仕した。
人々を改宗させようと試みて、密告され、秘密裏に殺されたのだった。

近江は夕暮れに裸体にされて、雑木林の中に連れ込まれた。
裸体のまま、両手を高くして、木に縛られた。
最初の矢が脇腹を、次の矢が脇下を貫いたのだ。

そう思ってみれば、彼が懸垂をするために鉄棒に掴まった姿は、聖セバスチャンを思い出させるのにふさわしかったのである。

戦争こそ深い喜びの時代

戦争がはじまった。
教練の時間がむやみと多くなり、バカらしい革新がいろいろと企てられた。

髪を伸ばすという望みも、しばらくは叶えられそうにもなかった。
派手な靴下の流行も昔であった。

戦争が、妙に感傷的な成長の仕方を教えた。
それは、20代で人生を断ち切って考えることだった。
それから先は、一切考えないことだった。

人生というものが、不思議に身軽なものに思われた。
私の仮面劇も、もっとせっせと演じられてよかった。

私にとっては、戦争ですら子供らしい喜びだった。
弾丸があたっても、私なら痛くはないだろうと本気で信じる過剰な夢想が、この頃も一向に衰えを見せていなかった。

自分の死の予想さえ、未知の喜びでおののかせるのだった。

そのくせ私は、空襲警報が鳴ると真っ先に防空壕へ駆け込んでいた。

下級生の脱ぐ姿に見とれた

このような間に、年上の青年ばっかりに傾けていた想いを、少しずつ年下の少年にも移すようになっていた。

当然のことだった。
年下の少年ですら、あの近江の年齢になったからである。

下級生に美しい少年があった。
色白の優しい唇と、なだらかな眉を持った少年だった。

八雲という。
名前は知っていた。
八雲が何も知らないうちに、快楽の贈り物を受けていたからだった。

朝の体操と、午後の体操があった。
上級生が当番となって号令をかける。

軍国教育の影響で、学生達は半裸になって体操をするように命じられていた。

今週は、私が当番だった。
壇上から「上着脱げ!」という号令をかけた。

号令をかけるのが、寒気がするほど恐ろしい私ではあったが、前列にいる八雲が脱ぐ姿を目の当たりにすることができたのだ。
しかも、私の貧弱な裸を見られることなしにだ。

八雲の頬は赤らみやすかった。
走ってきて整列する間際など、息遣いが激しい八雲の頬を見るのは快かった。

八雲は息を弾ませながら、荒々しい手つきで上着のボタンを外した。
そしてワイシャツの裾のほうを、ズボンからむしり取るように激しく引き抜いた。

こともなげに露わにされた八雲の白いなめらか上半身を、見ないわけにはいかなかった。

東京大空襲で興奮した

草野、という同級生が徴兵された。
その日、草野の家族とも一緒に、茨城県の兵営まで面会にいったのだった。

1泊した帰りの上野駅は、戦災者でいっぱいだった。
3月9日の東京大空襲の翌日だった。

目の焦点が合わずに座り込む者。
毛布にくるまっている者。
膝の上の子供を、永遠にゆすぶるつもりかと見える母親。
衣装ケースにしなだれて、焦げた造花を髪につけた娘が眠っていた。

その間を通る私たち一行は、黙殺された。
彼らと不幸を同じにしなかったというだけの理由で、私たちの存在は抹殺され、影のような存在とみなされた。

それにもかかわらず、ここに並んでいる不幸の行列が、私を勇気づけて、私に力を与えた。

私は、革命がもたらす興奮を理解した。

彼らは、自分たちの存在を規定していた諸々が、火に包まれたのを見たのだった。
愛憎が、理性が、財産が、火に包まれたのを見たのである。

そのとき彼らは、火と戦ったのではなかった。
彼らは人間関係と戦い、愛憎と戦い、理性と戦い、財産と戦ったのである。

そのとき彼らは、難破船の乗組員同様に、生きるためには1人を殺して良い条件が与えられていたのである。

恋人を救おうとして死んだ男は、火に殺されたのではない。
恋人に殺された。

子供を救おうとして死んだ母親は、他ならぬ子供に殺されたのである。

そこで戦い合ったのは、人間の根本的な条件だった。

私は、何らかの熱い確信がほとばしった。
ほんの瞬間ではあるが、人間の根本的な条件に関する私の不安が、見事に拭いさられたのを感じた。

叫び出したい想いが胸に満ちた。
もう少し私が叡智というものに恵まれていたとしたら、その条件の吟味に立ち入りえたかもしれなかった。

駅の構内を歩く。
滑稽なことに、草野の妹の園子は、私の腕をはじめて掴んできた。

東京上空の空中戦は見世物だった

草野の一家は疎開した。
園子とは、手紙のやりとりした。

距離が私に “ 正常さ ” の資格を与えたのだった。
時と場所の隔たりは、人間の存在を抽象化してみせる。

私は、楽しい気分で、疎開先の園子と会いに向かった。
初恋の少年少女がするように、私と園子は写真を交換するのだった。

夜の電車で、郊外を走っていたときだった。
突然に空襲警報のサイレンが鳴る。
電車は停車して、灯りが消されて、やがて退避になった。

5月24日の大空襲がはじまった。

近くの丘には、無数に防空壕が掘られていて、そこから避難者たちは、東京の空が真っ赤に燃えるのを見ることとなる。

無力なサーチライトライトだった。
お出迎えするように、敵機を照らしている。

サーチライトは、次々と光のバトンを東京方面へ手渡しながら、敵機の誘導の役割を果たしていた。

高射砲の砲撃も、もう、まばらであった。
B29の大編隊は、らくらくと東京の空に達した。

東京の上空では、空中戦が行われているようでもある。
しかし、その丘からは、敵味方の見分けがつかない。

それにもかかわらずだ。
真っ赤に燃える空を背景に撃墜されていく機影を見て、避難者たちは一斉に喝采した。

丘の上では、そこかしこで、劇場のような拍手と歓声が響き渡った。

ここでの見物客にとっては、落ちていく飛行機が敵のものであっても味方のものであっても、本質的には大した変わりはないのだ。 

戦争とはそんなものである。

風俗で童貞を捨てようと決意

私は徴兵されることはなかった。
政府の高官である父が手を回したからだ。

やっと戦争が終わって、大学がはじまった。
親しくなった友人が1人あった。

友人は、風俗通いを告白してきた。
そして私に「一緒にいこう」と誘いをかけた。

私は焦燥を感じた。
未だに童貞なのがバレるのではないのか?

いや、まだ、童貞はいい。
男にしか興奮しないことはバレたくはない。

私は、痛ましい秘密の練習をはじめた。
女の裸の写真をじっと見つめて、自分の欲望を試すのだ。

私の欲望は、うんともすんとも応えない。
次には、女の最も淫らな痴態を心に浮かべることから、自分を慣らそうと試みた。

繰り返すと、成功するように思われた。
しかしこの成功には、心が砕けるような白々しさがあった。

とにかくも、私は友人に電話をかけて「一緒に風俗にいく」と告げたのだ。

虚栄心のみが危険を冒させる。
私の場合は、23歳にもなって童貞だと思われたくないというありふれた虚栄心である。

私が、その決心を固めた日は誕生日だった。

友人の案内で、知らない駅、知らない町を歩いた。
知らない通りを通り、知らない店についた。
色気がない女を選んだ。

で、童貞を捨てるのは、あっけなく失敗したのだ。
女などでは、射精に至らないのだ。

が、友人には、しっかりと女を抱いたような顔をした。

人妻との密会

結婚した園子と再会したのは、2年ぶりだった。
最初に会ったのは麻布の道端。
偶然に会った。

私は童貞だったが、園子はすっかりと人妻だった。
園子は言う。

「幸せだけど」
「・・・」
「言ってはいけないけど、別の生き方があったのかも」
「・・・」

それからは、度々と合うようになって、食事をしたり、お茶をしたり、散歩をした。

「こうして会ってるのが、時々わからなくなるの」
「・・・」
「なんのためかしら」
「・・・」

園子がようやく、疑惑の門口へ来ていることを私は悟った。
開かないドアは、そのままにはしてはいけことを、感じはじめたのである。

ラスト10ページほど

その日は、食事をしたあとだった。
もう30分で、私たちの別れの時刻が来る。

情熱にも間違える暗い焦燥が、その30分を、油絵具のような濃厚な塗料で塗りつぶしたい気持ちにさせた。

ダンスホールの前で、私は立ち止まった。
店頭の拡声器が、調子の狂ったルンバを、街路に撒き散らしていた。

園子はうなずいて、30分のダンスのために、行きなれないダンスホールへ従った。

オフィスの昼休みを自分勝手に延長して、踊り続けている常連でダンスホールは混雑していた。

ただでさえ不備な換気装置に、外光を避ける重苦しいカーテンが加わって、場内には淀んだ息苦しい暑熱が、ライトの映し出す霧のような埃をどんよりと動かしている。

汗と安い香水と安いポマードの匂いを振りまきながら、平気で踊っている客種はいわずと知れていた。

園子を連れ込んだことを、私は後悔した。
しかし後へ引き返すことは、今の私にはできない。

私たちは、気の進まぬまま、踊りの群れに入った。
まばらな扇風機も、風らしい風を送ってはよこさなかった。

アロハシャツの若者が、汗みどろの顔で踊っている。

一緒に踊っている女の子の鼻は脇には、ファンデーションが汗に粒立だって、どす黒いデキモノのように見えていた。
ドレスの背中は、薄汚れて、濡れそぼっていた。

私たちは、少し踊っただけだった。
外気を吸いに中庭に出て、粗末な椅子で休んだ。

私が、あらゆるものから感じている侮蔑の痛みが、園子をも無言にさせているのが感じられる。
この沈黙に耐えられなくなって、目を周囲に移した。

「おかしなことをうががうけど」
「うん」
「あなたはもう、もう、あのほうは、ご存知?」
「・・・うん、残念ながら」
「いつごろ?」
「去年の春」
「どなたと?」
「名前はいえない」
「どなた?」
「きかないで」

彼女は訊いておきながら、驚いたようにして黙った。
私も平静を装うように努力を払った。

2人とも、歌声のなかで身じろぎもしなかった。
同時に腕時計を見た。
時間だった。

私は立ち上がる。
もう1度、向こうの椅子のほうを盗み見た。
そこにいた一団は、踊りに行ったとみえる。

空っぽの椅子が、照りつく日差しのなかに置かれ、卓の上にこぼれている何かの飲み物が、ぎらぎらと凄まじい反射をあげた。


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