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ニンファ・モデルナ 包まれて落ちたものについて/ジョルジュ・ディディ=ユベルマン

衣服くらい、人間が着ていたり、きれいに折り畳まれたりしている状態と、雑に脱ぎ捨てられている状態の快/不快の印象が変わるものはないのではないか。

雑に放置された衣服の落ちている場所が家の中ではなく、外の街路だったりすれば不快さは一気にあがる。家のなかにある場合は、誰の脱いだものかがわかるからまだよい。持ち主がわからない衣服が放置されている状態はこの服の中身であった人はどうなったのだろう?と不気味さすら感じる。食べ物が道に落ちてても汚いとは思っても、不気味さは感じないから、放棄された衣服はちょっと特別だ。

中の人間が消し去られ忘れ去られたあとに残った痕跡としての捨てられた衣服。生きた身体と切り離されて、そこに存在しない死を感じさせる放置された衣服。衣服というこの布きれが日常らすこしはみ出したときのこの異様さはなんだろう。

ジョルジュ・ディディ=ユベルマンの『ニンファ・モデルナ 包まれて落ちたものについて』を読みながら、そんなことを考えた。

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包まれて落ちたもの

この本でユベルマンは、美術史家・文化史家アビ・ヴァールブルクの理論のうちの重要な概念「残存」と、歴史上何度も忘れられては繰り返し蘇ってくる記憶としての残存のひとつのタイプとしてのニンファの近代における落下について、さまざまな面から論じている。

ユベルマンがこの本で提示しているのは、ニンファはただ落ちただけではないということだ。地に落ちたニンファからは身体の部分が消え失せて、身体を包んでいた布だけが都会の舗装された地面に襤褸布のようになって落ちていることをユベルマンは示す。「包まれて落ちたもの」というサブタイトルはそういうことだ。

表紙に用いられたジェルメーヌ・クリュルの「リヴォリ通りと中央線市場通りの交差点、午前10時半」という1928年の写真作品に写っているのも、パリの舗道に落ちて他のゴミといっしょになった汚らしい襤褸布に、ユベルマンはニンファの残存をみる。

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ニンファ、布の襞

ただ、どうして落ちた布がニンファなのか。
この本を読んでなければ当然、湧いてくる疑問だ。

その理由を理解する作業は、そもそもヴァールブルクがニンファに何を見たかを端的に説明するユベルマンのこんな文章を読むことからはじめたい。

アビ・ヴァールブルクは、フィレンツェ・ルネサンスの傑作群に、ニンファたち――ヴァールブルクはやがて彼女たちをそう呼ぶ――が現れ出るさまを見た。ボッティチェッリにおける古代の女神たちの「満ち足りた無関心」――画家は、その情動を風に揺れる髪や布といった「運動する付随物」に転移している。

ヴァールブルクは、ボッティチェッリの「プリマヴェーラ」や「ヴィーナスの誕生」、そして、よく引かれ、手稿の表紙にもその図像を貼り付けていたギルランダイオのフレスコ画にニンファを見出した。

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彼女たちに共通するのはユベルマンが指摘するように、顔の表情以上に豊かに情動を露わにしている「風に揺れる髪や布といった「運動する付随物」」である。その「付随物」こそが、彼女たちのパトス=情動を表現している。ゆえにユベルマンは、付随物へのパトスの転移を指摘する。

ボッティチェッリの絵に描かれた人物たちは不可解なほど感情を欠いているが、そのパトスは実のところ、身体の端部という、「付随物」でありながら「運動する」要素、つまりは風に揺れる髪や布の襞へ転移されているのだ。

ある意味では、生きたニンファは動く髪や布の襞に移っており、本来本体とも思える思考する頭部を中心とした身体はもぬけの殻――しかも、着られていたときの動きを維持して襞をまとった――となっているのだと見ることができるわけだ。

そう。つまり、ヴァールブルクが発見したときからすでに、ニンファとはもぬけの殻となった衣服だったのだといえる。

横たわるニンファから、身体を消せば

落ちたニンファという点では、ニンファは元より落ちる傾向があったこともユベルマンは指摘する。

ボッティチェッリにも「ヴィーナスとマルス」のような横たわるニンファの図像があるし、

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もうすこし時代を下ってジョルジョーネとティツィアーノの作品にもなれば、横たわったニンファの身体と布は分離される。布は、身体の下に脱ぎ捨てられた状態となる。

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さらに象徴的な作品をユベルマンは紹介している。ローマのサンタ・チェチーリア・イン・トラステヴェレ聖堂にあるステファノ・マデルノの「聖カエキリア」の彫像だ。

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ぐったりと横たわり頭部を地面に向けて顔は見えない。よく見るとその首からは血が流れ出していて、聖人伝に語られる彼女の斬首刑を物語る。

しかし、この彫像の印象の大部分を占めるのは、その血の流れる首やヴェールの外に出た手足の先よりも、身体の大部分を覆った多くの襞のできたヴェールそのものだろう。それは処刑された打ち捨てられた聖人のニンファとしての属性を示すアトリビュートである。

近代以降に残存として現れるニンファ

ここから現代のスティーブ・マックィーンの「ダム」と名付けられた写真作品に写し出された、パリの舗道の側溝に落ちて水の流れを邪魔する襤褸布という姿になったニンファはそれほど極端には遠くない。

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冒頭書いた僕自身の道を歩いて見つける捨てられた衣服の気持ち悪さもこれと同じだ。ニンファとの関連を僕は見出してはいなかったけど、そこにある種の死あるいは生の抹消を感じるのは同じである。

都市の人類学的研究ともいえる、こうした観察のなかで、路肩に落ちた襤褸布となったニンファを発見したのはマックィーンや表紙の写真を撮ったジェルメーヌ・クリュルだけではない。バウハウスで教鞭をとり、後に亡命先のシカゴでニュー・バウハウスを立ち上げたモホイ=ナジもその1人だ。

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ドゥニーズ・コロン、アラン・フラシェールにも同様の作品があることをユベルマンは紹介している。

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わたしたちは街路にいる

さて、「わたしたちは街路にいる」。
こういったのは、ヴァルター・ベンヤミンである。

「「街路にいる」とはなにを意味しているのか」とユベルマンは問い、こう答えている。

単にわたしたちが舗道と門に仕切られた建築空間にいるということか。断じてちがう。街路は生きて動く、複雑な弁証法の場なのだから。わたしたちの歩みを導くこともあれば、逆に方角を見失わせることもある。わたしたちの眼差しに構築されたものとして現れることもあれば、逆に破壊されたものとして現れることもある。

この「弁証法の場」ということが大事だ。僕らはあまりに身勝手に、世界を二分して、一方のみを信じ、他方を打ち捨てがちなのだから。自然と人工だとか、理系と文系だとか、身体と精神だとか、戦争と平和だとか、ブルジョワとプロレタリアだとか。しかも、自分たちで二分したものをあたかも最初からあった区分であるかのように思い込んで、その二分法自体があることがそもそもの諸悪の根源のように言ったりもする。とんだ茶番である。

だからこそ、二分された偽りの世界像を弁証法的に止揚する場としての街路は「わたしたちの眼差しに構築されたものとして現れることもあれば、逆に破壊されたものとして現れることもある」わけで、破壊されたものとして現れるのが、ニンファが残存として回帰する襤褸布のある街路なわけだ。僕らはその襤褸布と同じように「街路にいる」。

時代遅れのものの回帰

「そのようにして、わたしたちの弁証法から思考にとっての怪物が生まれてくる」とユベルマンは言う。「モダンなもののうちにあっては、「流行」と「流行遅れ」の対置が撥ねつけられる、というわけなのだから」と。

そして、『パサージュ論』でモードを論じたベンヤミンの言葉と、この怪物としての「流行」と「流行遅れ」が弁証法的に統合されたモードの関係をユベルマンは橋渡しする。「死、それは弁証法の中心となる係留点だ。モード、それはときの尺度だ。[……]死体のパロディとしてのモード」というベンヤミンの言葉とを。

だから、弁証法としての場である街路に「構築されたものとして現れる」のがモードであると言えるのだろう。それは死んだもの、流行遅れのものの回帰という点で、街路に打ち捨てられた襤褸布とは同じものの表裏の関係にあるはずだ。だからこそ、ユベルマンは次のように書くのだろう。

モダンなものは、死んだもの――流行遅れのもの、時代遅れのもの、古代的なもの、過ぎ去ったもの、死体じみたもの、太古のもの、残存するもの――を流行させるのだ。つまりモダンな芸術とは、記憶の技法をモードに持ち込み、流行遅れそれ自体を流行のうちで作動させる、宿命的にアナクロニズムめいた実践知なのだといえる。

そして、モードとして回帰しなかったものが、襤褸布として回帰する。では、何が襤褸布としての回帰の原動力となるのだろう。その答えはユベルマンの引く、ヴィクトル・ユゴーの言葉にヒントがあるのだろう。

「パリの地下は隠匿している。歴史を隠しているのだ。どぶ川が告解の小部屋に入ってこようものなら、どんなことを語りだすかわかったものではない。[……]事実として死んでしまったどんなことがらも教訓としては生きている。何といっても選り分けてはならない。偶然にまかせて見つめることだ」

地下に隠匿された、忘れ去られた歴史がどぶ川から下水道を介して、路肩の側溝から嘔吐のように溢れだす。だからこそ、ニンファは襤褸布として、路肩の側溝にびしょ濡れになりながら回帰するのだろう。それは近代以降の都市のシステムを逆回しにすることで蘇ってくるのである。つまり、そうして回帰する襤褸布は紛れもなく、モードが生み出されるのと同じく近代以降の社会のシステムの生産物なのだ。

現代の大量の襤褸布

ここ数年で、南米やアフリカに大量に廃棄された古着が環境を汚染しているということも知られるようになってきた。紛れもなくこれは路肩の側溝に溜まった襤褸布が現代的に進化したものだろう。

サーキュラー・エコノミーということが論じられるが、ある意味、大量の襤褸布というかたちでそれはすでに循環している。それはすでにして社会がゴミとして捨て去ったはずの弁証法的な統合である。サーキュラー・エコノミーがゴミをゴミでなくす前に、それは大量のニンファ――ボッティチェッリが描いた「プリマヴェーラ」や「ヴィーナスの誕生」と同じ―― として、あるいは「怪物じみた「げっぷ」として回帰してくる」。

それは新たに循環型のしくみをデザインしようとおそらく同じだ。人が要と不要を二分しようとして、そのシステムを動かすかぎり、そのシステムを逆転させるかたちで、ニンファはどこまでも落ち続け、回帰してくるのだろう。


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