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同期型と非同期型

何週間か前から週に2日か3日のテレワークを行ってはいたけれど、今週は月曜日を最後に自宅での仕事が基本となった。

すでにテレワークを始めていたこともあって、家で仕事をすること自体は慣れてきた。
けれど、今週は会社のほぼ全員がことで、オフィスではなく、インターネット空間がバーチュアルなオフィス空間となったことで、逆に忙しさが増した。
Zoomでのミーティングに、Slackでのやり取りが相手が見えないが、ゆえに遠慮なく入ってくる。そして、よりテレワークでの共同作業をスムーズにするためのツールの検討や設定などもあるし、従来やってた仕事も当然あるから、仕事量は今週になっていきなり増えた。

そして、集中できる分、総労働時間は変わらないけど、はるかに仕事をしているのだと思う。生産性とは何か?といま問われると、ちょっと迷う。
まあ、そんな感じでこれまでの常識を変えて新しく仕事というものを見つめ直した方が良さそうだと思っている。

対面型・同期型・対話型

仕事の仕方を見つめ直す、という意味では、同じ場所にいる者同士で行う対面型でやる仕事の常識を疑うことが必要だと感じている。

僕の仕事は、組織や分野を横断した多様な人との共創の場から新たなものを生みだすことを目指す仕事だ。ワークショップやハッカソン、デザインスプリントなどの方法を応用しながら、いろんな人が集まり、共同でディスカッションやプロトタイピングするなかで、新たな価値創出のきっかけをつくることが多い。

だから、仕事の仕方の特徴としては
対面型であり、
同期型であり、
対話型である。
組織や分野を越えて、多様な人が対面し、同じ時間と場所を共有した上で、互いに対話を行う
ヨーゼフ・シュンペーターが「新結合(neue Kombination)」という語で、イノベーションをはじめて定義し、新結合を行う者を「新しい組み合わせで生産要素を結合し、新たなビジネスを創造する者」(Wikipediaより)と書いたとおり、対面・同期・対話から「新しい組み合わせ」による新たな結合が生まれることを期待するわけだ。

とはいえ、対面・同期・対話という特徴ゆえに、いま、この状況では成り立たない仕事の仕方である。
それが普段の僕の仕事だ。

同期型にとらわれない

イベント的に行うワークショップなどだけでなく、日常的にも複数人でのブレインストーミングでいろんな物事のアイデアを考え、方向性を決めたりするから、こうしてテレワーク状態となり、互いに顔を合わせる機会がせいぜいZoomなどを介したもののみになると、普段どおりの仕事のやり方はできない。

もちろん、ZoomといっしょにMiroなどのツールを使えば、オンラインワークショップ的なこともできなくはない。
でも、それだとやっぱり劣化型の代案だ。
それはオンラインセミナーとかでも同様である。
ワークショップやセミナーという手法にとらわれてしまっているのであって、本来の目的からすれば必ずしも最適な手法の選択ではないことが多い。
手段が方法となってしまっている典型例だし、いわゆる正常性バイアスにとらわれた選択だ。

対面に障害がある状態で、無理してほかの同期型だったり、対話型という特徴を維持する意味があるかというと、僕はそうは思わない。

ワークショップのなかで行うアイディエーションだって、対面で同じ場所にいて、まわりの様子がちらちらとわかるから(完全にはわからないところがミソ)、それがピアプレッシャーになって互いの創造性のモチベーションにつながる。
だが、オンラインではそうはなりにくい。

だったら、無理矢理、同期型にしていっしょに同じ時間にアイディエーションをする必要はない
それぞれがやりやすい時間にアイデア出しをし、それを決まった時間に集まって共有すればよい。
そう。非同期な形に切り替えるのだ。

非同期の利点を活かす

同期型に固執することなく、非同期にしてオフラインとオンラインをうまく組み合わせることが可能になることで、従来のひとつの場所に同じ時間に集まって行うワークショップなどのデメリットも解消される。
ようするに、同じ時間、同じ場所にたくさんの人が集まらなくてはならないというむずかしさが解消できる。

本来ならば、何度かワークショップを行いたかったり、もうすこし時間をかけて行いたかったりしても、複数の人が長時間、同じ時間を共有する日程調整はむずかしいがゆえに断念して、限られた時間でやりきるよう設計せざるえないケースはあるあるだ。
しかも、日程調整がむずかしいがゆえに、ある程度、ちゃんと興味をもった人でないと参加しづらかったりもする。試しにちょっとができないのだ。

そういう対面型のワークショップの難点が、対面をあきらめて、非同期も許容した瞬間、解消しやすくなる。

それぞれが別々の個人ワークでアイデア出しをして、その共有のタイミングでだけ、Zoomなどを使って集まってディスカッションするだけなら、時間も1時間くらいになる。
そうすると日程調整のむずかしさは格段に減る。
いままであきらめていた複数回に分けての開催もできるようになる。

Miroなどのツールを使えばいつでも個々人でアイデアを出し合えるし、他の人のアイデアを見て、そこからアイデアを膨らませておくことだってできる。
何もそういうことが同期型、対面型でないとできないわけではない。

また、参加するハードルが下がればいい意味で、傍観者的な人の参加も可能になる。
傍観者として参加してみることで興味をもち、そこから本格的な参加者となり、仲間が増えるということにもなりうる。

つまり、非同期の利点は分散型に変えられるということでもある。それは旧来パッケージで売られていたコンテンツを、サブスクリプション型で売れるようになるのと重なる利点が得られるということだ。このあたり今後追及していくと面白そうだと感じてる。

もちろん、非同期にしたからといって、本来大事にしている、組織や分野を越えた多様な人びとがコラボレーションすることで価値を創造するという方法論そのものに変化はない。単に、対面がむずかしい環境に合わせて、同期型から非同期型の手法に変更するだけだ。手段にとらわれず目的を大事にしようとすればそうなるはずだと思う。

もともとデザインスプリントのフレームワークでは同じ時間と場所を共有しつつも、作業自体は個々人がそれぞれ行う非同期型のスタイルをとったりもする。
であれば、対面型がむずかしいいまの環境なら、非同期の利点をうまく使ったオンライン型のスプリントを実践してみることの方が、無理矢理オンラインワークショップをやるより理に適っている。

非同期ではテクストが主になる

同期から非同期になるとは、どういうことか?
それは話し言葉中心から、文字中心の仕事に変わるということである。
音声という時間とともに失われるものから、文字という時間の経過によっても失われない言葉を主に切り替えることで非同期の可能性が広がる

だから、非対面、非同期のスタイルに切り替えるためには、テクストによる言語化スキルが問われるようになる。

先ほど、僕自身、テレワークとなって、Slackの処理が山のようにあると書いたが、それはどちらかというと、自分から何かを発信したり、誰かの問いに答えたりということに時間がとられるようになったということだ。
逆に、他の人がそういうことをしてるのを見かけるかというと、残念ながらそういうことにはなっていない。オフィスにいる日々では、いろんな人がいろんな会話を交わしているのを見かけたが、それと同じ状況がSlack上で起きているかというと、そうはなっていない。

まだ対面型、同期型のスタイルから切り替わってはいないということだろう。
非同期型のテレワークスタイルに切り替わるためには、テクストを読み書きする力が必要になる
慣れや経験も含めてそうだ。

非同期だから民主主義的になれる

しかし、よくよく考えてみれば、対面型で行うワークショップでも、ポストイットでアイデアを書きだしたり、それをKJ法的に整理したりする際には、文字を書いて行なっているのだから、非対面になって急にテクストによる言語化力が問われるようになったわけでもない。

対面型のワークショップで口頭だけでブレインストーミングするのではなく、ポストイットに文字で書き出すという作業過程を導入しているのは、そこのタイミングで非同期な時間を導入し、参加者に民主主義的な時間を与えるためだ。
そう、話し言葉主体の同期型の場では弁の立つものが時間を制圧してしまいがちだが、文字という非同期なメディアを採用することで時間を民主主義的にそれぞれに分け与えることが可能になる

初期のインターネットがいまより民主主義的な夢を抱かせてくれたのは、テクスト中心のメディアだったからなのだろうと思う。
Zoomのセキュリティが問われたりするが、本当の意味でZoomが問題なのは、この非対面がデフォルトな環境において、人びとが本来手に入れられるはずの非同期のテクストベースのコミュニケーションの利点を疎外して、人をビフォアコロナの時代の同期型の幻想に囚われたままにしてしまうことではないかと思う。

この非同期のテクスト中心の思考術、コミュニケーション術も含め、僕らはちゃんとコロナ以降の時代を生きるためのサバイバル術を身につける必要があるだろう。

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