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新しいものは専門分野の外からやってくる

ジャンルを超える。
新しいものが、ジャンルの超越から生まれてくることは多い。

だから、いかに複数のジャンルをまたいだ/結びつけた形で発想するか、活動を行うかを考えることが大事。けれど、フィルターバブルに自分からはまりにいってしまうというか、つい自分がいるひとつの狭い領域にしか興味を示さず、すべてをその世界の論理、常識で考えてしまう人は少なくない。
それをやってしまうと、非常識でエモーションをかきたてるようなアイデアが生まることはほぼ期待できなくなる。いや、そういうアイデアの兆しをとことん潰す方向で、すべての思考や行動を行なってしまう。

いわゆる異業種から学ぶとかいう無難な話ではなく、異なる業種、異なる職域、異なる研究領域に飛び込んでみたら何が起こるかというリスクを伴うアクションが必要だ。 残念ながら、未知に対して必要以上に臆したり、失敗を過度に怖れることが許されるような余裕はもはや誰ももてる時代ではない。

美術における専門分化と自立化

実際、歴史をみても、領域横断的なことが行われた際に、新しい動きが生まれている。
ダリオ・ガンボーニが『潜在的イメージ』で伝える19世紀末期のフランス美術界が、突如、領域を超えて文学者との交流機会を増やしたことによる変化もその一例だろう。

ガンボーニによれば、芸術の領域では「専門分化と自立化が急速に進行」したのが19世紀から20世紀にかけての時代であり、なかでもフランスの19世紀末期は決定的な変化のあった時期であったという。

国家的な美術制度の瓦解、および制度からの解放運動によって、モダン・アートが発展する--私は「モダン・アート」よりも「アンデパンダン(独立派の)」芸術という呼称のほうがふさわしいと思っている。独立派の芸術家たちは、国家に代わる独自のネットワークを組織し、新たな美術市場と美術批評を開拓した。

フランスでは、17世紀にルイ14世の要請によって設立されたアカデミー・フランセーズの付属学校としての美術学校を起源として、1819年に、絵画・彫刻・建築の部門が統合された国立の美術学校、エコール・デ・ボザールが設立されている。このアカデミーが主催する展覧会がサロンであり、このサロンの審査員であるアカデミー会員は新古典主義の傾向を持っていた。

1863年、こうしたサロンの傾向と、いつにも増して厳しい審査の結果に不満をもった落選した芸術家が、日常生活の中の裸を描いたことでスキャンダルを起こして話題になったマネの「草上の昼食」を含む、有名な「落選展」が開催されている。これを皮切りに、1874年に印象派展、1884年に無審査、出品して無制限のアンデパンダン展が開かれるという流れが、ガンボーニが「モダン・アートが発展する」と書いた具体的な事柄の一例と言えるだろう。

美術と文学の交差

ガンボーニが指摘するのは、こうした新しい潮流の背景に、美術と文学が密接な関係があったということだ。

この新たな状況において、文学者および美術評論家が重要な役割を果たすようになり、美術と文学が密接な関係をもつことにもなる。

美術の領域において、テクストによる修辞の役割が重視されるようになったのがこの時期だったとガンボーニはいう。言い換えれば、文学という異なる領域の「修辞」と合体することで、美術は、新古典様式のテーマがわかりやすい絵画であることから解放され、印象派や象徴派のような、ガンボーニがこの本で考察する曖昧さや不確実性をもった「潜在的イメージ」の可能性を開くことになる。

美術の外にある文学のもつ修辞の機能が、描く人と観る人の関係を対等なもにすることを可能にした。もはや、造形芸術は、必ずしも作り手がイメージすべてを作りきるものではなく、観るものが曖昧で不確実性をもったイメージを自身の(あるいは文学者や評論家の)修辞で補完してイメージとして確定するものとなったわけだ。芸術家と鑑賞者の共同作業が芸術的な行為となるという大きな変換が起きた瞬間だ。

こうして「前衛」美学を創案して推進する共同体の内部では、イメージの創造者としての芸術家とそれを受容する批評家の役割が、同等に重要であるとみなされるようになり、さらには、作り手と受容者の関係が逆転するような事態も生じつつあった。革新性が芸術に不可欠な特性となり、「あらかじめ準備した」メッセージを伝達するだけの作品ではなく、受容者の自由な解釈を促し、次々と新たな批評基準を要求する作品が求められるようになったのだった。

主題を描くことであった絵画が、主題よりも画家の想うイメージ(印象であれ象徴であれ)を描くことを重視するようになる。さらには、芸術というものを芸術家の一方的な側に置くのではなく、芸術家と鑑賞者の間に開かれたものとして存在するものに変わった。

外部との交流で内部に変化が起きる

そんな視覚芸術の一大転換。
それが視覚芸術とは異なる領域の、文学との関係の内に成し遂げられという外部性は、新しいものは領域横断によってしか生じえないという一例だろう。

もちろん、この大きな変化は単に文学との関係のみによって生じたのではない。大量生産される工業製品やそれらを生みだす機械や動力などからも影響を受けている。けれど、それらも芸術にとって外部であるという意味では同じことだろう。

新しいものは専門領域の外部からやってくる。ましてや、現在のようにリアルなモノの世界にまでどんどんICTが入りこんでできたネットワーク型の社会環境においては、amazonが金融なども含めたあらゆる分野の競合になろうとしているように、領域などというものはビジネスの分野においてはないに等しい。そして、既存の領域にしがみついていたら、その領域ごとなくなりかねないのが、いまの状況だろう。

いやいや、それはビジネスの世界だけの話ではないだろう。学問、研究の領域だってそうだ。いまどき理系だ文系だと言ってたら時代遅れも甚だしい。文系だからといって数学的思考や論理思考ができなくて許されるわけじゃないし、理系だからといって言語化したりグラフィカルな表現ができなくてよいわけでもない。少なくとも自分ではできないまでもそれらが得意な人と話ができ、その人たちの手を借りてでも自分が苦手とする領域のこともできるようになる必要がある。

19世紀末のフランスでアカデミーから、新しい種類の芸術家たちが外に飛び出して、新たな芸術の領域とその独立性を勝ち取ったように、僕らは常にそんな風に外の領域を目指している必要があるのだ。

僕個人としては、そんな外を目指す人たちの隠喩的=変身的な外部との連携のカタリスト(触媒)となるような働きをこれからもしていきたいと今日あらためて感じた。

#領域横断 #アンチディシプリナリー #イノベーション #触媒 #美術史 #文化史 #コラム #ビジネス

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棚橋弘季。人間の思考はどんなふうに作られているか?を問うことがライフワーク。とりわけヨーロッパ文化史に興味あり。中世後期から19世紀あたりまでを広く守備範囲に。渋谷のロフトワークという会社で働いてます。

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