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農の原理の史的研究 「農学栄えて農業滅ぶ」再考/藤原辰史

多くの人が複雑な話に振り回されるより、シンプルで直感的に理解できる話で済ませたいと思うだろう。抽象的で理論的かつ構築的な事柄に触れているよりかは具体的で直接的かつ体感できるものと付き合っていたいのだろう。人工的なものに対する自然や生命の尊さだったり、言語や理論に対する行動や実践だったりをどちらかというと選ぶ傾向にあるのではないか。

とりわけ日本人はそういう傾向が強いのではないか。
むろん、民族の特性などではなく、理論的、構築的な思考の訓練が足りないからである。そうした思考方法が身についてないから、理論的な思考や構築的な思考はむずかしく、それを開発できるような直感的で具体的なものを選びがちになる。

しかし、そんな選択が実は世界をよけいにややこしいものにしている。もはや世界がそんなにシンプルで直感的なものではないからだ。
なのに、無理矢理、シンプルな行動や直感に導かれるままの実践で済ませようと望むからますます事態はややこしくなる。もはや複雑で抽象的な理論構築物としての世界システムを前に、どんどん直感的で実践的なものが切り捨てられていく傾向にあるのに対して、なおも切り捨てられていくものにしがみつく。

この本を読んで、どうやら、それがいまにはじまったことではないのだということに気づかされた。

実はそれらの存在の証となるのは切り離された「後ろ髪」の方であり、だから、たびたび「後ろ髪」をめぐる思想、つまり生命や相互扶助や共生や有機といった「経済外的なもの」、すなわち、人びとの情念を掻き立てる生命主義や農本主義、そして行動主義、実践主義、排外主義が頭をもたげてくる。

『農の原理の史的研究 「農学栄えて農業滅ぶ」再考』で、著者の藤原辰史さんがこんな風に書くことで教えてくれるのは、20世紀前半、2つの世界大戦を挟んだ時期から2つめの大戦後にかけての農学をめぐる歴史を追うことでみえてくる、産業主義的、資本主義的なものに対抗して、農業を守らんとするがゆえの奇妙なほど閉塞的で後ろ向きの意志である。

社会の西洋化の流れのなかで、工業化へと進んでいく明治から大正、そして戦前の昭和初期の時代の移ろいに対して、小規模農業を良しとする農本主義を当時の農学は打ち出すのだが、その資本主義にも、同時期の共産主義にも対抗しようとするその姿勢は、不幸にも軍国主義や日本的ファシズムにも重なってしまうのだということを、この本を読んで知った。

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「農学栄えて農業滅ぶ」再考

気候変動という環境面の課題からも、人権や経済格差といった社会的な面の課題からも、資本主義経済をベースとした現在の社会システムに対する批判する声は、昨今、ますます大きくなっている。

普段から僕のnoteを読んでいただいている方なら察しているとおり、僕の姿勢も明らかにそっちを向いている。資本主義的なものに対して疑問を抱いていない人に対して疑問を感じるくらいには、どちらかという左寄りの姿勢かもしれない(まあ、完全に左寄りかというとそうではないのだけれど)。

とはいえ、資本主義への懐疑や抵抗はいまにはじまった話ではない。早い段階からその対抗手段として共産主義が生まれたのだし、さらにその双方への対抗としてのファシズムさえ台頭した。それはすでに100年以上前からはじまっている出来事であって、この本が扱う歴史はそういう時代の農学の歴史である。

「資本主義とはいったい何か。これを食と農から考えてみたい」と著者はいう。その問題意識がこの本の全章を貫いているのだ、と。

そして、それは次のような問いに置き換えられるのだとも。

農学は、なぜ農業の死をもたらそうとするのか。

と。

すでにサブタイトルにも「「農学栄えて農業滅ぶ」再考」と入っているとおり、この本は、農業についての本ではなく、農学について本である。いや、農業に対して農学がどんな影響を与えたのか?を考える本だ。

食べることも面倒だと思う人をつくる農学

「農学の発展は、料理だけでなく、食べることそのものを面倒な作業だと感じる人を増やしつつある」と本書の冒頭、著者はいう。

そして、こんなアンケートの結果と戦前から続く農学との関係を紹介する。

2018年12月6日から9日に日本でなされたTwitterでのアンケートで、1345名の有効回答のうち、実に39%が食べることが面倒だと答えている。プロテインバーやシリアルバー、プロセスチーズやレトルト食品の多くは、アメリカ陸軍のネイティック研究所で誕生した糧食の民間転用だが、必須栄養素がバランスよく含まれており、それを朝食や昼食に変えるビジネスパーソンも少なくない。これらの食品を数分でかじれば、仕事や英会話や資格取得の勉強の時間に余った時間を費やすことができる。日本陸軍の初年兵の厳律だった「早食い、早糞、早走り」が、もはや現代社会の会社や家庭の規範になりつつあるのかもしれない。食べることをやめるのは、人間の条件どころか動物の条件からの解放を意味する。農学が先鞭をつけた食と農をめぐるテクノロジーの長足の進歩は、もう人間を動物の一員から引きずり下ろすところまで来ている。

4割近くの人が、食べるのを面倒と思っているなんてびっくりだ。

農作物を育てる面での生産性や効率化を求める発想が、料理をする面倒を省くことや、さらには食べることすら、効率の観点から生活から排除するような思考へと発展するという。食べることをなくさないまでも、栄養を効率的に正しく摂ろうとする発想もそれと変わらないのだろう。動物のように食べるのではなく、栄養学的に機械のように食べることへの移行は、どれだけ効率的に農業生産性を高めるかという発想と変わらない管理や制御がつきまとう。

20世紀初頭のロシアの農学者、アレクサンドル・チャヤーノフが書いた小説『農民ユートピア国旅行記』では、主人公がディストピアにタイムスリップするらしいが、その前に住んでいた国では、社会主義革命が成し遂げられ法令に従い「家庭の台所の廃止」が宣言されるという話が描かれてるという。

「家庭の台所を破壊することによってわれわれは、ブルジョワ体制に最後の一撃を与えるのだ」と。

「集会でこのような言葉を聞いて頭痛に悩まされながら家宅した主人公は、壊れかかった家庭の台所へ足を機械的に進める」シーンがあるそうだ。

おそろしい話だと思った。

ユートピアとして描かれる公衆食堂

だが、それだけではない。

台所の廃止が具体的に何を意味しているかは、ここでは書かれていない。だが、おそらく社会主義国の住人たちは、この法令のあと、もっとも時間のかかる日々の家事労働から解放され、外の公衆食堂のような空間で朝昼晩と食事をすることになるだろう。食の集団化である。田村真八郎の研究によると、ユートピアには公衆食堂が描かれることがすくなくない。プラトンの『国家』(紀元前375年頃)の「共同食事」、トーマス・モアの『ユートピア』(1516年)の「会館に集まっての会食形式」、カンパネッラの『太陽の都』(1623年)の「公共調理場」と「共同食堂」、エドワード・ベラミーの『かえりみれば』(1888年)の「共同厨房」など、事例に事欠かないが、チャヤーノフも横井もその例外ではなかった。場合によっては共通した献立を国民が食べなくてはならなくなるかもしれない。これは、ロシア革命のあとも、農民の暮らしのなかにある程度の私有制を残したいと思っているチャヤーノフにとっては悪夢であるが、横井を含めすべての書き手が食のマイナスととらえていたわけではなく、女性の社会参加や地域の自治の発展に寄与するものと考える書き手もいたことは注意を要するだろう。

これを読んで寒気がした。家庭から料理することが排除されるなんておそろしいと思った。

ここで優先されるのは効率だ。女性の社会参加のために何故、家庭の料理を禁止するという発想になるのか。そんな理由で自分も家で料理できなくされるなんてまっぴらだと思う。しかし、食べる時間をもっと他のことに有意義に使いたいという発想さえできてしまう思考からはそんな発想も正当化されてしまうのだろう。

そんな射程が農業の効率化を目指す農学に含まれているとすると、これは厄介だと感じるのだ。

農学の初期からすでに

この本では、資本主義や工学的な大量生産の大農業に対抗して小農家による農業を推進しつつ、トラクターなどの農機や化学的な農薬などの新たなテクノロジーとは絶妙な距離をもって語られる農学のあり方の変容や、その変容の方向づけをすることになる何人かの農学者たちの思想や実践が考察される。

18世紀後半から19世紀の前半にかけて生きたドイツの農学者で「農学の父」とされるアルブレヒト・ダニエル・テーアからして「テーアの農学は、経営、土壌、肥料、畜産のそれぞれの分野で体系的かつ統合的に理論が記されているばかりでない。小麦、ライ麦、大麦、エンムギ、キビ、エンドウ、レンズマメ、(中略)とうもろこし、赤クローバー、白クローバー、イガマメなどそれぞれの作物についての紹介や育成方法について網羅的に記されている」といった風に「農業を迷信や呪術から解き放ち、科学の審判に耐えうるだけの強度を持った体系に築き上げた」ものとしてはじまっている。

そして、こうした科学的な視点をもって、効率的に農業の生産性をあげ、同時代の工業同様に農業を大きな産業に育てようとしたところに、農業本来の固有性が失われていくような方向性が示された。

著者はそのことをこう指摘している。

農学とは、農業固有の価値を否定もしくは軽視してはじめて、みずからが登場する環境を整えたものであった。農学は、その豊穣な成果を、生命科学へと、そして経済学へと分割しつつある。農学の存立根拠がいまこれだけ問われるのは、そのためである。
農業従事者の目線に立って、できるだけ苦労せず、効率的に農業が営めるようにする農学の精神は、それだけいっそう自然から農業従事者を解離させていく。「農学栄えて農業亡ぶ」とは、すでに「農学の父」テーアによって意識されぬままに設置された、いわば時限爆弾で、あった。

すこし前に紹介した、平賀緑さんの『食べものから学ぶ世界史』で描かれた、食料生産と消費のグローバル化が進んだ17世紀以降の世界を思い出す。

そんな資本主義経済化と植民地主義と重なる形で進む世界で、この本で論じられる農学も育まれた。

農業労働の「勤勉」という名のテイラー主義

都市化や人口の増加などの社会変化によって、1918年の米騒動に代表させるような食糧難や、農村の収入の相対的な現象、働き手の不足を生む。農村に危機が到来し、その対策を当時の農学者たちはさまざまな形で提案する。だから、資本主義的なものや工業化への対抗の姿勢を示しつつも、農業の生産性の向上や農村の暮らしの改善を目指してやはり効率化を目指さざるを得ないという相反する要請に引き裂かれたような状態になる。

それでも、大戦前、農村は自分たちの存在価値をじょじょに見失っていく。

この手記が伝える農村の危機はもっと深刻である。「幾等働いても苦しくなる許りだ」や、「同じ動作を繰り返してゐる」というような表現からわかるように、農民たちは停滞しているからである。働くことの意味や働く目標が失われている。日露戦争以後加速化しはじめた都市と農村の所得格差の増大、それによる農村離村現象にもまして、農業恐慌は、農民たちが仕事をすることからも、その根拠を奪い去ったのであった。

この事態に対して出されたのが、満州国への移民だった。食糧不足ゆえに輸入に頼らざるを得なくなっていた状況も、輸入元の国を植民地化することで輸入ではなくなり、そこでの農民たちの働く場所もつくりだすことができる。

「1939年11月、文部省、拓務省、農林省3省の話し合いの末設定された「満州建設勤労奉仕団」の一環として農林省が中心となって実施された」満州報国農場隊は、「当初予定されていた分村移民が思うように進まないなかで、満蒙開拓団とは別に各府県や各種団体が実施する満蒙移民団」であり、「敗戦時にはおよそ70近くの報国農場が存在し、約4600名の隊員が派遣されていた」という。「もともと満蒙開拓団の分村移民政策は長野県、岐阜県、山形県など世界恐慌による養蚕の壊滅的打撃で苦境にあった県で、一農家あたりの経営面積を増やすために実行されたもので」、「打撃が軽度で済んだ滋賀県などは一度も分村移民を実行していなかった」ということで、基本的には、植民地政策である。

この政策の正当化に、農学者たちが持ち出したのが二宮尊徳であり、満州移民の農民たちに勤労精神を植え付けた。

分村移民というかたちで農村の「更生」とセットになって満州移民が進められていくが、この過程で加藤完治らの二宮尊徳的な精神主義が幅を利かすようになる。ここには、横井時敬以来の、農家経営の「強靭性」を強調しておきながら、その強靭性の源である生命力を最大限国家のために流用しようとする意図が感じられるだろう。こうして、農業労働のテイラー主義的な醇化を求め、栄える農学が農業の特色を消していく思考過程が、橋本傳左衛門を経て、満州移民運動の精神主義、勤勉主義へと結実していくのである。

そう、この引用で指摘されているとおり、効率化を目指して、勤勉主義という名の労働のテイラー主義が推進されていくわけである。

資本主義、産業主義の社会的な影響が増し、社会は資本や産業の観点からどんどん複雑さを増すシステムとしてデザインされていくなか、そのシステムに取り込まれていくことへの対抗として農本主義的姿勢を農学は示した。ところが、その対抗の方法としてテクノロジーを用いたり、独立性を維持するための方法が閉じたファシズム的傾向を示すようにもなったという。

不完全な所有権しかもたない不完全な個人

食という人間の生命を維持するのに欠かせないものを生産する農業であるからこそ、容易に政治に利用されるのだろう。特にその農業を成り立たせる土地、土壌の社有の扱いに関する政策は農業のありかたを左右することになる。アメリカ型の資本主義的な大規模農業にも、ロシア型の共産主義的共同農業も採用できないドイツと日本が、土地の所有に対して独特の政策を用いて、農民たちに不完全な自由を与えたのは、まさに効率的な生産のための管理の方法だった。

この点に限って言えば、土地所有者の非土地所有者に代する農業生産力の高さを訴えた農民解放の思想、あるいはアメリカ農業の個人主義と基本的に変わりはないだろう。ただ、尊重されるのは、土地への所有権だけであり、売買や担保化が原則として禁止されている以上、農民は、不完全な「所有権」しか持たない不完全な「個人」でしかない。この不自由を覆いかくすように、ナチスは、ソヴィエト・ロシアよりも、ナチス・ドイツの農民が自由であるというプロパガンダを展開して、世襲農場法の自由の制限を正当化する。このプロパガンダには、飢餓に苦しむロシアの農民や餓死した子どもや馬などを撮ったセンセーショナルな写真が用いられた。
こうした土地制度に対する煮え切らない態度と対照的に、非常に徹底しているのは、農民のエリート意識の価値の創出である。これは「勤勉な大和民族」観を農業経済学に接合した橋本傳左衛門や杉野忠夫にも見られた考えだ。

こうした農学の影響がいまの農業にはもちろん、僕らの生活にも影を落としているのだろうと思った。

農業の効率化のさらにその先に、農業や食の放棄へと導くのが農学的な姿勢だとしたら、その過度な効率化や自己保存は、冒頭に書いたシンプルさや直感的なものにも容易に結びついているのではないだろうか。

このあたり、もうすこしちゃんと勉強しておきたいなと思う。


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