消えてなくなる詩のようなお金を夢見て
ケイト・ラワースの『ドーナツ経済学が世界を救う』を読んでいて、こんな一文に出くわした。
新しい経済の自画像には、世界のなかにおける人類の位置も反映されなくてはいけない。昔から西洋では、人間に自然を足もとにひれ伏させ、好きなように利用する存在として描かれてきた。「人類に自然に対する決定権を取り戻させよ。自然は神によって人間に授けられたものなのだから」と17世紀の哲学者フランシス・ベーコンは述べている。
ベーコンの言葉とされるのは、彼の『ノブム・オルガヌム』中の文章だそうだ。
1620年に発行された『ノブム・オルガヌム』は、アリストテレスの著作『オルガノン』(ギリシア語で道具を意味する)に対して、新しいオルガノンとして、それまでの演繹法中心の学に対して、客観的な観察と組織的な実験に基づく帰納法による学、すなわち後に英国王立協会に集まった科学者、数学者たちによって形づくられることになる実験哲学をベースとした近代科学につながる道を開いた著作だ。
なるほど、そのベーコンの著作の一文を引いて「昔から西洋では、人間に自然を足もとにひれ伏させ、好きなように利用する存在として描かれてきた」と、ラワースが書きたくなるのもわかる。
しかし……、である。
知の果実を口にする前は
先の一文とほぼ同様のことを、ベーコンは、『ウァレリウス・テルミヌス』という別の著作のなかで、こう書いている。
前後の文も合わせて引用してみる。
してみると知の真の目的は、好奇心の快でもなく、解決の自若でもなく、精神の昂揚でも、機略の勝利でも。言葉の暢達でもない。職業の利得でも、名誉、名声への野心、事業の円滑でもない。他に比べれば少しは価値のあるものもあるが、すべて劣っており、堕落していることに変わりはない。そうではなく、人間を劫初(いやさき)の天地創造の時に人間が帯びていた稜威(みいつ)と力(というのも被造物をその真の名で呼ぶことができるなら、再びそれらを宰領できるからだが)、に連れ戻し、回復すること、これである。簡にして潔に申せば、あらゆる営為を(可能として)不死から最も卑近な機械仕事にいたる営為の可能性を発見すること、これなのである。
先の引用と重なるのは「人間を劫初の天地創造の時に人間が帯びていた稜威と力(というのも被造物をその真の名で呼ぶことができるなら、再びそれらを宰領できるからだが)、に連れ戻し、回復すること、これである」という箇所だ。
ここでベーコンが「劫初(いやさき)の天地創造の時」と書いているのは、明らかに「エデンの園」追放前のことだろう。
となれば、ラワースが「人間に自然を足もとにひれ伏させ、好きなように利用する」ということと、このベーコンの考えを重ねるのは不自然だ。
劫初のエデンの園で暮らしていた当時の人間は、知というものを知らぬまま、園にともに暮らす動植物と一体となった生活を送っていたはずなのだから。
そこにはまだ「自然を足もとにひれ伏させ、好きなように利用する」ような人間はいなかったはずである、知の果実を口にするまでは。
だとすると、ラワースのドーナツ経済学の姿勢と、ベーコンが考えていたことは実はそう遠くないはずである。
問題は、そうであるはずのベーコンの思考を「自然を足もとにひれ伏させ、好きなように利用する」近代以降の西洋的思考の源泉のように考えさせてしまうものは何か?である。それこそが問われるべきだろう。
科学に対置されるポストロジカル思考
ところで、このベーコンの文章を、僕はエリザベス・シューエルの『オルフェウスの声』という本から引いた。
科学的なロジカル思考に対して、詩的な観点をもったポストロジカル思考を対置する一冊で、シューエルは、通常は近代の科学的思考の起点として捉えられがちなベーコンを、むしろポストロジカル思考をもった人物として描きなおしている。
ベーコン以後随分たってなお、この「個別対象を相手の精妙な知識」が生物学に役に立つか否かの論争は続く。しかしベーコンが定めようとしているのは標本蒐集の原理ではなく、ポストロジカル思考のための原理なのである。ベーコンは実体(entities)からプロセス(process)へ、静から動へと注意を向け換えさせなければならない。『進境』には、だから「ナチュラル・ヒストリーは自然の営みと働き(the deeds and works)を扱う」とあるのだ。自然は一個の活動であり、さればこそ即ち精神中の活動たるナチュラル・ヒストリーにそっくり反映さるべきなのである。
シューエルは、この本の冒頭、「生物学者は大体において、それだけで彼らの扱う主題にぴったりくる道具として数学は向かないと感じている」と書いてはじめている。
「生きた有機体の本質は時間と変化であるのに、数学が本質的に時間と無関係の世界だということもあるし、大体が生物学の素材が数学や論理学の手法に合うような小単位に分け難いもの、ということもある」として、物理学などのように世界を数学的モデルによって描きだそうとするほかの科学と、生物学を区別している。
エデンの園の神話の思考
そして、科学的な言説では、エデンの物語のような神話を取り込むことはできないことに着目する。
科学はエデンの物語だろうと、ギリシア神話だろうと、日本の国作神話だろうと絵空事として否定するだろう。それは科学的言説の限界だ。
それに対して、シューエルが採用するのは、こうした戦略だ。
科学の方から神話を取り込めないのであれば、逆に神話の方から手をうつ。神話をして科学を神話と同様に想像力のもの、肉体的なもの、比喩的形象的なものと解釈させればよいだけのことだ。発見とは科学においても詩においても、マインドが世界解釈の方法としてみずから考案した形象と一体化する神話的な状況の謂である。その形象はいつも何らかの言語の形をとる。
そこで追求される発見的な言語的活動は、「ネイチャーでもヒストリーでもなく、むしろナチュラル・ヒストリー、言語の自然史とでも言うものに近い何かである」と、シューエルは言う。「ダイナミックなプロセス追求、精神と言語の自然史である」と。
ようは科学的なロジカル思考による言説ではなく、詩的なポストロジカル思考の言説だ。レヴィ=ストロースなら「野生の思考=ラ・パンセ・ソバージュ」と呼ぶだろう。神話の思考は、科学の思考ではなく、野生の思考である。
それはひとつ前で紹介したローベルト・ヴァルザーの文体にも感じるプリコラージュ的な性格をもつ(ああ、だから、ヴァルザーの文体を美しく感じたのか、といまさら)。
その手元にあるものを寄せ集めてつくりあげる姿勢は、ラワースが指摘した「自然を足もとにひれ伏させ、好きなように利用する」ような思考というより、エデンのアダムのようにそこにあるものとともに思考=活動し続けるような姿勢といえる。
そのとき「言語は一個の実体として考えることはできない」のであり、「それは一個の活動である」と捉えられる。
言語を没時間的パターンに抽象化する権利の諦棄を意味し、言語を固定された現象としてではなく、運動する事件として、時間とプロセスに開かれた言語プラス精神として捉えようとする努力を意味し、つまりは生物学の語で考えようということなのである。
ナチュラルヒストリーの一部としての技芸史
そうした詩的かつ神話的なポストロジカルの思考を考察されるにあたって召喚されたのがベーコンである。
今度はベーコンの『知の球体論』から引用しておこう。
私としては、技芸が何か自然とは異なれるものであり、従って人為のものは全く種類の違ったものとして、自然のものから峻別されるべしというふうに言ってみるのが流行している現況に鑑みて尚のこと、技芸史を自然史の一部と考えてみたくなるのである。右の如き弊風あるによって自然史の記述家の大方が動物、植物、そして鉱物の歴史を考えれば足りるので、(哲学にとっては最重要な)機械的技芸の諸実験入り込むことなどないと考えるようになっている。……かくて自然は常にひとつたり、自然の力は万物万有に及び、かつも自然は決してみずからを見棄てることはない以上、これら3つのものは是非とも等しくひとり自然にのみ従うのでなければならない。即ち自然の経路、自然の逸脱、そして技芸、というか人間が力貸す自然の3つである。そして、かるが故、ナチュラル・ヒストリーにおいてこれらの全てがひとつの連続して切れ目のない物語に取り込まれているのでなければならない。
ベーコンのいう技芸とは自然に対して、こうした立ち位置をとるものであって、自然と対立しそれを制御しようというものではない。それは彼自身が「技芸が何か自然とは異なれるものであり、従って人為のものは全く種類の違ったものとして、自然のものから峻別されるべし」ということを否定していることからもわかる。技芸もまた自然の一部なのであって、自然と人間的技巧を対立するものとしてしまったベーコン以降の17世紀の科学者・数学者たちに問題があったのだ。
では、なぜベーコン以降の時代、ふたたび人間を楽園から追い出すような――いや、人間みずからが楽園を後にするような――変化が起こったのだろうか?
類似の曖昧さから同一/相違の分析へ
ベーコンが生きた「17世紀初頭、ことの当非はべつとしてバロックと呼ばれる時代に、思考は類似関係の領域で活動するのをやめる」と書いているのは、『言葉と物』のミシェル・フーコーである。
「相似はもはや知の形式ではなく、むしろ錯誤の機会であり、混同の生じる不分明な地域の検討を怠るとき人が身をさらす危険なのだ」という変化がその時期に起こっていたことをフーコーは指摘する。
変化が起こる前の類似関係、相似が知の形式であった時代、たとえば、シェイクスピアに代表される栄光ルネサンス演劇全盛期とは、こういう時代だった。
あらゆるところに相似関係の妄想が描かれるが、それが妄想であることをだれもが知っている。それこそ、だまし絵、滑稽な錯覚、二重化されて劇中劇を演じる芝居、取りちがい、夢と幻覚、そうしたものの幅をきかす時代なのだ。人をあざむく感覚の時代、隠喩、比喩、寓意が言語の詩的空間を規定する時代である。
1642年にイギリスで劇場封鎖令が出るまで、シェイクスピアの演劇を印刷した本は出版されておらず、シェイクスピアとは読むものではなく、舞台の俳優の台詞を通じて聞くもの、あるいは全身で体験するものだった。台詞にせよ、俳優の演技にせよ、固定されざるプロセスとして聞き、体験すると同時に消え去っていく。そこでは錯覚して、取りちがいが起こることは前提であり、そのための隠喩や寓意が詩的表現として多用される。
そんな類似や相似が中心の言語空間、思考空間に変化が訪れたのが、17世紀初頭だとフーコーはいう。類似の詩的かつ感覚的な言語空間は、同一と相違の分析的かつ科学的な言語空間に取って代わられる。
長いこと知の基本的範疇――認識の形式であるのともに内容――だった類似者が、同一性と相違性の用語でおこなわれる分析によって分離されたのだ。そのうえ、計量の媒介をへた間接的な仕方であれ、いわば同一平面上での直接的な仕方であれ、比較は秩序と関係づけられることになった。
分析的な言語のもつ再現可能性を有する秩序が、類似というあいまいな状態でつなぎとめていたものを、同一性と相違性に分割してしまう。
似ているものは、同じ部分と違う部分に分けられる。
ひとつのモノ、ひとりの人、ひとつの共同体やひとつの地域がそうして分断される。自然と人間は分断され、アダムたちの子孫たちが二度目の楽園追放の憂き目にあったのはこのときだ。
算術的操作が世界を表象に置き換える
そのとき、何度でも同じ結果が出るようにするのが、量、数的計量、算術的操作であった。
量と数の計量は、秩序の設定に帰着させることが可能なのだ。算術的な値は、つねにある系列にしたがって秩序づけることができる。それゆえ、さまざまな単位は、「計量的認識に属していた困難が、ついにはただ秩序のみの考察に支配されるような秩序にしたがって、配列」されうるのである。そして、法とその「進歩」は、まさしくこの点に存する。すべての計量(たがいの相等関係によるあらゆる種類の決定)を、単純なものから出発してさまざまな相違を複雑性の段階としてあらわす、ひとつの系列に帰着させること。類似者は、単位と相等・不等の関係とにしたがって分析されたのち、明白な同一性と相違性とにしたがって分析される。そしてその《相違性》とは、《推論》の秩序のなかで思考されうるものなのである。
量的操作、算術的操作が思考の再現可能性を実現する。
そのためには、計測は正確でなくてはならず、ゆえに音声言語の曖昧さは嫌われ、すくなくとも文字として固定された情報、もっと正確には数値データによって固定された情報がもてはやされることになる。
ヴァルザーの作品「フリッツ・コハーの作文集」でフリッツ少年は、「自然はとてもぼんやりとして曖昧で、とても繊細で、捉えがたく限りない」から作文にするのがむずかしいと書いていたが、その自然の曖昧さをうまいこと捨象して、明確な記号をもって数学的に扱えるようにした結果、自然は表象に置き換えられた。
ルネサンスにおいて、記号についての理論は、標識によって示されるもの、標識となるもの、そして後者のうちに前者の標識を認知することを可能にするものという、完全に区別される3つの要素を含意していた。ところで、この最後の要素こそ類似性であって、記号は、それが指示するものと「ほとんど同一の物」であるかぎりにおいて標識としての機能をはたしていたのである。「類似による思考」と同時に消滅したのはこの統一的な三元的体系であり、それは厳密に二元的な組織によっておきかえられたのだ。
自然と自然を表象する記号は、かつてはそれらを媒介していた「類似」を抜きに結びつけられるようになり、表象は表象される対象そのものであるかのように捉えられ、疑われなくなった。
それまで「つくりもの」を意味するfactが「事実」を意味するようになったのはそのときだ。
スペクタクルの社会に閉じ込められて
数値を用いた世界の表象への置き換え。
この観点で、資本主義と科学は同根であり、現代社会に対して同じくらいに悪さと良さをもたらしているのだということを証明したいと、実は、ずっと思い続けている。
両者は、同じ/違うを明確に区別できる数量的情報をベースに、その情報によって表象された価値=意味をどこまでも蓄積可能にし、どこまでも再現・翻訳可能にすることで、どこまでも表象の世界が”成長”可能だと思わせる。
その無制限(にすくなくとも思われる)な成長の可能性は、表象でできた世界に、これまた制限のない格差を生むことを可能にする。
ゆえに、経済格差と知識の格差はほとんど同種のもののはずである。
ところが、環境や社会のさまざまな問題の現況として資本主義を批判する人は数多くいるが、なぜかそうした人が科学を賛美したり、資本主義のもたらした問題の解決を科学に委ねようとしたりする。おかしな話だと僕は常々感じている。
確かにお金のほうが悪くみえる。
でも、お金の力だけで世界がここまで危機的な状態になっただろうか。
そうではないこと、そこに科学的な思考が大いに関係していることは直観的にわかるが、まだ、僕はそれをうまく説明できる言葉を見つけきれてはいない。
残念ながら。
だから、最近「スペクタクル」というものについて考え直すと思った。
近代的生産条件が支配的な社会では、生の全体がスペクタクルの膨大な蓄積として現れる。かつて直接に生きられていたものはすべて、表象のうちに遠ざかってしまった。
と、フーコー的なことを述べているのは、『スペクタクルの社会』のギー・ドゥボールである。20世紀後半のフランスでアンテルナシオナル・シチュアシオニスト (IS)というグループを率いて、1968年のフランス5月革命にも影響を与えた人物である。『スペクタクルの社会』は1967年に出版されている。
ドゥボールが「生のそれぞれの局面から切り離されたイメージは、一つの共通の流れのなかに溶け込み、そこではもはや、この生の統一性を再建することはできない」と、書くとき、僕はアガンベンが考察する「剥き出しの生」を統治対象とする現代の政治の問題のことを思い出す。
人間の身体的な生が数値化され、データ化され、政治的な管理・統治の対象となっている。ジェンダーの問題も、緊急事態宣言下でのさまざまな規制も、結局は生・身体の情報化、データ化、表象化に関連している。
エデンからみずからを2度めの追放においやった人類は、自分たちの身体も、自然同様、分析の対象とし、統治可能な表象へと置き換えてしまっている。それは科学的分析可能だし、経済価値として評価可能なものでしかない。
ドゥボールがこう書いているとおりだ。
部分的に考察された現実は、それ自体の一般的統一性において展開するが、この一般的統一性なるものはそれだけ別に取り出された擬似的な世界であり、単なる凝視の対象でしかない。
労働と非―労働の外の世界はどこに?
17世紀以降の同一/相違の言語空間が、それまで類似によって統一されていた世界を、分析的思考によってバラバラに分断してしまったことは先にも書いた。
その思考が、ひとりの人間の人体をまさにバラバラのパーツの寄せ集めのように統治しようとするし、ほんとは切っても切れない複雑な関係性にあるエコシステムを経済的な観点で値踏みをしてバラバラのパーツに切り分け商品化してしまう。
そのバラバラ化に向かう思考は、人間の人生のなかでの労働をほかの経験から分断してしまう。しかし、その分断にかかわらず、僕らは、近現代の生産方式としてのスペクタクルの社会の枠の外には出られないのである。
ドゥボールはこう書く。
労働と非―労働としての余暇のスペクタクルな関係性について。
分離された事物を分離された生産方法によって生産することに成功したまさにそのことによって、原始社会では主要な労働と結びついていた基本的な経験が、いまや、システムの発展の極において、非―労働の方へ、無活動の方へとその場を移しつつある。だが、この無活動は、いかなる点でも生産活動から自由ではない。それは生産活動に依存し、不安とあこがれを抱きながら生産の必要と結果とに従属している。この無活動は、それ自体が生産の合理性の産物なのである。
ようは仕事から離れたからといって、僕らはスペクタクルの社会の生産方式の外には出られない。余暇もまた、同じ生産方式の一部であるからである。
ライスワークなどと言って生活のために働いているかのように言うことがあるが、実は、働いて数値的なデータとしてのお金を生産するために、生活しているようなものだともいえる。余暇の時間にも、僕らの自由はない。
そういう袋小路な状態を、ドゥボールは「スペクタクルの社会」と呼んでいる。
活動の外に自由はありえないのに、スペクタクルの枠内であらゆる活動が否定されているのは、まさに、こうした結果を包括的に築き上げるために現実の活動がスペクタクルのなかにすべて完全に取り込まれてしまったからにほかならない。したがって、余暇の増大による今日の「労働からの解放」は、いかなる意味でも、労働のなかでの解放でも、この労働によって作られた世界の解放でもない。労働のなかで奪い取られた活動は、どのようなものであれ、労働の結果への従属のなかに再び見出されることはありえない。
言い古された表現ではあるが、労働含め、社会すべてが商品化されているのだ。
スペクタクルの本質的な運動は、人間の活動のなかに流動的な状態で存在していたすべてのものを自らのうちに取り込み、それらを凝固した状態で、すなわち、生きた価値を否定的に様式化することによって価値を独占的に体現するモノとして、所有することにある。この運動のなかに、われわれの旧来の敵の姿が認められる。その敵とは、見た目には、何か取るに足らぬあたりまえの事物のように見えるが、実は、逆な非常に複雑で、数多くの微妙な形而上学的問題を含むもの、すなわち、商品である。
そして、ケイト・ラワースが『ドーナツ経済学が世界を救う』で、いくつも事例をあげて書いているように、読書であれ、森林の保護であれ、地域への貢献、献血であれ、いちどそのことに報酬を与えて――お金が介在して商品化して――しまった途端、元々もっていた人びとの意欲は損なわれ、前は無償でも意欲を持ってやっていたこともやらなくなるどころか、お金をもらってすら、無償の時代より質の低いやり方しかできなくなってしまうということがわかっている。
報酬という表象の恐ろしい面だ。
消えてなくなる詩のようなお金
では、このすべてが商品でできたスペクタクルの社会の外に出ることはできないのだろうか?
蓄積可能、翻訳・再現可能、表象化可能ということが、17世紀に資本主義と科学が台頭してきたことで起きた変化のポイントであることを思い出すとき、これらの特徴から抜け出すことのできるシステムを再設計することで、スペクタクルの外への脱出は可能ではないか? ケイト・ラワースも「現在では、不平等は経済に必然的に伴うものではないことがわかっている。不平等が生じるのは、設計の失敗による」と書いている。設計のやり直しが必要だ。
その点では、「縁を切るお金と縁をつくるお金」でも、チェコのデジタル通貨の例を紹介しつつ、すこし考えてみた「溶けるお金・翻訳不可能なお金」というのも、システム設計の際のひとつの要件になるのではないかとも思っている。
翻訳・蓄積が可能な数値的お金ではなく、声に出して詠まれる詩のように消える詩的なお金は考えられないか。
先にあげたシェイクスピアの戯曲にしろ、もっと古くはホメロスの叙事詩にせよ、元は文字で書かれた本ではなく、声に出して詠まれる言葉だった。それは固定的に存在するデータとして誰もが同じように使えるものではなく、使う人それぞれによって容易に変化してしまうし、そもそも容易に他の人が利用可能にはならない非ポータビリティさ、再現困難さがあった。
しかし、それらの音声言語作品も、いつの間にか、文字で読む文学作品であるかのように作り変えられてしまった。
ところがである。あれ、では何故、たとえば日本の歌舞伎や能の演目は、いまでも本として読まれることが一般化せず、いまだに舞台芸術として観るものとして残っているのだろう?と昨夜ふと疑問に思った。
このあたりに何かリデザインのヒントはないだろうか。
あるいは、科学ではありながら、数学的なモデル化を回避しつづける生物学に目を向けることでもリデザインのヒントはありそうだ。
まだまだ言葉にしきれない部分が多いけど、前は読み進められなかったドゥボールの『スペクタクルの社会』が読めるようになってきただけでも、前よりいろんなことがわかってきたような気がする。
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