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ただいま!終わりの記念碑

ただいま。
いま帰ったよ、大好きな文化史‼︎

この半年弱、とあるプロジェクトで構想を練り、そのプロジェクトのクリエイティビティを高めるための会話をするために最低限の知識を得るために、現代哲学から始まり、科学人類学やエコロジー、生物学や宇宙生物学、生態系に関する科学書や意識の進化を扱った本などを読み漁ってきたのは、このnote上でも紹介してきたとおり。
読んだ本はどれも面白く興味深かったのは間違いないし読んで後悔してるなんてことはこれっぽっちもないのだけど、その一方で本当に読みたい本を我慢してたのもまた事実!

でも、その我慢の日々も終わり。
これは開放感。

晴れて手にとったのは、ずっと読みたかったのを我慢して、積まれた本の山の背表紙を眺めるだけだった、マリオ・プラーツの『ローマ百景 建築と美術と文学と』のⅠ、Ⅱ部の2冊。

やっぱりプラーツ最高です。

都市開発で変わりゆくローマに捧げるレクイエム的な一冊は、1966年に書かれたもの。

英国ルネサンスの詩人ジョン・ダンの瀕死の知人を看取ろうとする者たちをうたった詩を想起しながらプラーツはこう序に書いている。

ダンの詩句が浮かんできたのは、これらの文章を綴っていた年月の間、ローマに対して私は重病人の枕元に立ち会う動揺した証人の立場にあったことに気づいたからである。私はローマの脈に触れ、その息を心配しながら見つめてきた。ローマに長い親しみのない者には、そんなことはできないであろうし、今たまたまローマを訪れる者には、ましてやそんなことはできるはずもない。

ローマへの愛。
今年はその地に訪れる予定なので、その前にこのプラーツの愛に触れておきたかったのもある。早く読みたかった理由として。

まあ、その死にゆくローマ(いや、すでに死んでいる?)の姿をこんな風に書かれると、ちょっと行くのが心配にはなる。

蝸牛がその殻と結合したように、人間は自動車という小さな動く家と結合してしまったが、自動車が祖先の威厳ある建築物を葬り去ってしまうことであろう。それは単に、自動車が周囲をわがもの顔に占拠したり、轢かれないよう人に注意を義務づけることによって、パラッツォを目につきにくくしているという意味ではない。より破壊的なのは、交通が楽しむべき街路の展望を消滅させてしまい、街路を排泄のための器官に変えてしまうことである。ところが、不幸にもこの器官は、痙攣を起こした腸のように、思うように排泄することができない。

まあ、どの都市も同じようなところはあるだろう。
でも、パリなどのされていたから、いきなり20世紀になって交通網の侵略を受けたローマとは違うだろう。

さて、そんなローマの景を語ろうとする書の冒頭にぴったりなのは、やはりピラネージだろう。

18世紀、イタリアの情景を版画で描いた説明ジョヴァンニ・バッティスタ・ピラネージ。

彼の描くローマは、人体の解剖図のような様相を見せる古代ローマの廃墟建築だ。

プラーツはこんな風に書く。

ゾラ「ルーゴン-マッカール叢書」の最後の主人公、パスカル医師が自分の一族の歴史を調べるように、ピラネージは、イタリア文化が「秋」に入ったころに、その遺産目録を作成したのである。

ルネサンスやバロックを経て盛えたイタリア文化もピラネージが生きた18世紀には下火となっていた。そんな中、建築家でありながら、もはやルネサンスやバロックの時代のように建築の需要がない中で、ピラネージは古代の建築の廃墟をいくつも描いた。
「そして、彼はローマを遺跡の都として確立した」のだという。
その「遺跡の都」というローマのイメージは、ピラネージによる創作なのだ。

公園には偽物の遺跡や、「狂気(フォリー)」と呼ばれる奇抜な制作物がたくさん配置されている時代に、ピラネージはもっとも記念すべき遺跡としてローマを打ち立て、「狂気」の最も奇妙な作品として《牢獄》を作成したのである。ピラネージにおいて、イタリアは自らの過去を、もはや実際の活動としてではなく、夢想として生き直した。

そのピラネージを「彼はイタリアには数少ない悲劇的天才の一人となった」とプラーツは評する。そして、「その仲間としては、ダンテとミケランジェロがあるのみである」のだという。

ダンテとミケランジェロが何故、悲劇的だとされるのか?と理由を問えば、

彼らはいずれも「悲劇的」であったが、それは彼らとともにひとつの時代、ひとつのサイクルが閉じようとしていたからであった。中世は野蛮な暴力と宮廷風恋愛、神秘家たちの幻視を特徴とする時代であったが、ダンテによって裁かれ、黙示録的構造物(『神曲』)の中に要約された。ルネサンスは不遜な巨人たちの世界であったが、ミケランジェロとともに、頽廃の淵に崩れ落ちそうになる。そして、《レダと白鳥》が表している快楽は、《夜》の悲しげな闇に変わっていく。

となる。
時代の終わりに臨終の報せを告げる。それが悲劇の天才の仕事だと言うのだろう。

「これに対して、ピラネージの場合」はどうか?
ピラネージのケースにおいては、

イタリアがもった文化のすべて--卓越した壮麗な建築、皇帝や教皇たちの栄光、歓楽の劇場の華やかな装飾、等々--に対して、記念すべき墓碑が与えられるのである。

悲劇の天才によって描かれる「記念すべき墓碑」。
ピラネージ好きの僕がひとつの時間の連なりの終わりのタイミングで、久しぶりに読みたい本を読もうと選んだプラーツの一冊に、そんな一時代の終わりを告げる「記念すべき墓碑」がおかえり!と出迎えてくれたのは、なんとも微笑ましい。

さらにピラネージの廃墟画が反転させて、普段は内側に隠れてあるものを外へと明るみにだす様を、ロバート・ボイルの『憂鬱の解剖』のこんな一文と重ねあわせてくれるプラーツは最高だ。

空中楼閣を築き、気まぐれが命じるがままに、部分に無限の変奏を加えつつ、ひとり微笑みながら歩んで、筆舌に尽くしがたい比類なき喜びに浸ったあとで……一挙に場面は転換する。……不安や苦悩、猜疑、不満、生の苦しみと倦怠感が突如として襲いかかってくる。

そうそういった類がまあまあ押し寄せてきたりするものだ。終わりとはそういうもの。

ただいま!文化史‼︎
ここはやっぱり温かい。

#本 #読書 #文化史 #ピラネージ #廃墟 #ローマ

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