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フーリッシュな知性(前編)理解の外で

理解をするということは大事なことだと思う。
対象が何であるかにかかわらず、自分自身でその対象について理解を深めていくということは、とても大事なことだ。
「理解する」という行為は、対象物との関係性を深め、対象に対する配慮やリスペクトや愛を生み、対象との協働の可能性を高めてくれる

つまり、逆に言えば、「理解している」かは、対象に対する配慮やリスペクトや愛や、利用可能性やコラボレーションの可能性をどれだけ手に入れたかによって測ることができるということだ。

現実において使えないような知識を獲得しただけでは、理解したことにはならない。包丁は食材を切るものだと知っていたとしても、それを実際に食材を切るのに使いこなせないなら、それは理解に至っていないのだと言える。

誰か他人がつくった理解を鵜呑みにするだけでは、それは自分で使えるものになっているという意味で「理解した」とは言えないし、そんな他人の与えてくれる知識としての理解では、対象に対する愛もリスペクトもそれほど高まりはしないだろう。その意味では他人からただもらうだけの知識は、なんとも悲しい知識であるようにも思う。
現実において対象と折り合いをつけて、ちゃんと協働できるようになること、そして、その協働を通じて互いに愛やリスペクトを育めるようになるつながりこそが理解するということの本質なのではないかと思う。

だからこそ、僕は「自分で理解する(答えをつくる)」などのnoteで、わかりやすさから身を離し、自分自身で考え、自分で理解をすることの大切さをたびたび書いていたりする。

ジェスター、カーニヴァル、クラウン

しかし、一方で、もう一歩先の次元で考えると、「理解」を通じてつながるさまざまな対象との関係は、「使える」ということが判断基準になっているという意味において、そのこと自体、非常に人間中心的な姿勢であるとも言える。

このことをあらためて考えるようになったのは、ここ最近読んだ数冊の本――ヤーコプ・ブルクハルトの『イタリア・ルネサンスの文化』、フランソワ・ラブレーの『ガルガンチュア』、ジョルジョ・アガンベンの『書斎の自画像』――と、いま読み途中のウィリアム・ウィルフォード『道化と笏杖』が伝える、古代からルネサンス宮廷文化まで連綿とつながるジェスター(身体的、精神的不具者が道化として仕える形態)や、カーニヴァルなどの祝祭での上下の逆転、あるいは死刑や市中を恥ずかしい姿で引きまわす刑の執行、さらにまたサーカスや喜劇におけるクラウンなど、そうした日常的に正常とされる秩序や道徳を裏返したようなものをみて、笑い、歓喜する文化について知り、考えるきっかけがあったからである。

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たとえば、ウィリアム・ウィルフォードが「多くの時代、多くの場所で、侏儒と傴僂がジェスターとなった」と書いているように、「白痴の知能欠陥に対応する形で、侏儒は肉体のサイズに欠陥を持ち、傴僂は、狂人の心的偏倚に対応する形の肉体的奇形」をもった人たちが、ルネサンス期の宮廷には当たり前のように採用されていた。

逆さまの世界

ブルクハルトが『イタリア・ルネサンスの文化』で紹介する16世紀初頭の教皇レオ10世の例などもその代表的な例だろう。

教皇レオ10世がいかにもフィレンツェ人らしく、道化師にたいする特別な愛好を示したのは、まったく注目すべきことである。
「もっとも高尚な精神的享楽を求め、それにおいて倦くことを知らない」この君主でもやはり、食卓に2、3の機知に富む道化師や、大食を芸とする者がはべることを、忍ぶばかりか、これを望んだ。その中に2人の修道士と1人の不具者がいた。祭りのおりには、かれらをわざと古代風の嘲笑をもって、寄生動物としてあつかい、猿や烏をうまいあぶり肉に見せかけて、かれらの前に供した。概して教皇レオは悪ふざけを自分が使うために留保していた。

そのことはシェイクスピアなどの戯曲をみてもわかる。
『リア王』、『ハムレット』、『お気に召すまま』。さまざまなシェイクスピア作品に宮廷の人びとに寄り添う形で道化たちが登場する。

道化という形でなくとも、宮廷とジェスターの関係を匂わせる作品もある。
『シェイクスピア・カーニヴァル』において、ヤン・コットが、シェイクスピアの『真夏の夜の夢』のなかで、機織り職人ボトムが、普段は馬鹿にされる対象であるがカーニヴァルにおいては王の座に祭り上げられる存在であるロバの頭に変身させられた挙句、妖精の女王タイタニアに見染められて妖精宮殿に迎えられる話に関して、言及している。まさにカーニヴァル的「逆さまの世界」だ。

ボトムの変身において、彼とタイタニアの出会いにおいて、高きものと低きもの、形而上学と物理学、悲哀と滑稽とが出会うばかりか、ふたつの演劇的伝統も出会うのである。すなわち仮面劇と宮廷娯楽がカーニヴァルの「逆さまの世界」と出会うのである。

と、コットが書くように、宮廷のジェスター的な伝統は、カーニヴァル的な逆さまの世界とつながっていることをシェイクスピアは理解していたようだ。

この伝統は、イタリアで16世期から17世期にかけて流行したと言われる仮面喜劇コンメーディア・デッラルテにもつながっており、アルレッキーノ(英名ハーレクィン)やプルチネッラ(英名パンチ)などの道化役がその他の類型的役柄の登場人物が繰り広げるストーリーを断ち切るような即興的演技で振る舞いながら笑いを誘う。
この仮面劇はイタリアを超えて、ヨーロッパに広く流行し、シェイクスピアもこのコンメーディア・デッラルテに影響を受けたとも言われている。

そして、これはヨーロッパに限定される話でもない。
「エジプト第6王朝の国王ペピ(もしくはパピ)1世(在位前2310年頃)の宮廷にいた1人の侏儒」を歴史に記録に残る最初期の例として、「大昔の中国にも侏儒のジェスターがいたし、コロンブスが来る前のアメリカ大陸に於ける2つの高度な文化圏に於いても、侏儒と傀儡が宮廷ジェスターとして禄をはんでいた」など、世界中至る所、至る時代に例が見られる。

この日本に目に向けても『古事記』で語られる日本神話の国産みの際、イザナギとイザナミのあいだの最初の子として生まれたヒルコ(蛭子神)は、「わが生める子良くあらず」と記述され、葦の舟に乗せられて捨てられてしまうのだが、後世の解釈では手脚に畸形があった子ではないかと推測されていたりする。
蛭子神は笑いの対象ではなかったようだが、中心的な神の側に不具者がいたとする点では他の地域の伝統と何かを共有しているのだろうと思える。

チャップリンとキートン

そのジェスターの伝統を受け継ぐのが、サーカスのピエロであり、映画の中に登場するさまざまな道化、喜劇役者たち(早くはチャップリンやキートン、比較的近いところでは、Mr.ビーンのローワン・アトキンソンや、『マスク』や『トゥルーマン・ショー』などのジム・キャリーなど)だ。

ウィルフォードは、映画『ライムライト』でのチャップリンとキートンのヴァイオリンとピアノによるコンサートのシーン、「キートンが弾き始めようとすると、楽譜がピアノのところから散らばりだし、混乱はいよいよひどくなる一方で、まるで物の怪がとり憑いた感じになる」シーンについて言及している。

今度はピアノがゆっくりと、しかし悪意ありげに解体し始め、ピアノ弦が切れてはくるくる巻いていくものだから、胴体内部は鋼の糸の迷宮と化す。弦が一本ずつ切れる度に、無気味な音が漏れてくる。

ピアノは悪魔にとり憑かれたように、勝手に壊れていき、ピアノ伴奏者キートンを嘲笑う。それは悪魔の仕業であると同時に、壊れた機械の動作のようでもある。
冒頭書いた「使える」ということとの関係に気づくだろうか? 
ここではまさにピアノは「使える」状態から脱して、混沌とした魔の領域に落ちている。それは非人間的な領域だ。

一方のヴァイオリン奏者役のチャップリンにも悪魔の悪戯は襲いかかる。

チャップリンがばかばかしく派手な演奏を始めようとする刹那、彼の一方の足が縮んで、ズボンの中に姿を消してしまう。彼は演奏をやめ、びっくり顔で下を見下し、両手で足を引っぱり出して床にまで下すと、また演奏を始める。足はまたぞろ縮む。観客は爆笑である。

チャップリンの縮む足もまた、傍らで壊れていくキートンのピアノ同様、機械の不具合による制御不可能な事態に見えるわけで、それに振り回される様子は確かに滑稽であろう。

しかし、キートンに起こっていることがピアノというキートンにとっては外部の対象に起こっていることであるのに対して、チャップリンに起こっていることは他ならぬ彼自身の身体に起こっていることだ。
もし、それと同様のことが日常で起きたのなら、彼が足を折ったのではないかと心配するのが普通だろう。しかし、観客たちはそうした状況にあるチャップリンを笑う。

ウィルフォードは、こう指摘する。

誰かが転倒する時、相手が足の骨を折っていないとはっきりしないうちに、我々は転んだ人間をちゃんと笑うのである。体の歪んだクラウンたちを笑うように、この人間を笑う時に、我々は予期せず起こった事態の外に自分の身を置こうとしているわけで、またそうしようとすることで期せずして、我々に対してその事態が持つ恐怖の性質を明かすことになる。

足が縮むチャップリンを笑うことが、ルネサンス期の教皇レオ10世が不具者を側にはべらすことを楽しむ感覚からそう遠くないものであることに僕らは気づかないといけない。

「我々がクラウンたちを笑うのは、(特に不幸の状態にある)他者に対する快い優越感によるのであろう」とウィルフォードは書く。
不具者を側に置いたレオ10世の頃よりはるかに遠く、チャップリン映画の時代よりもさらに距離を置いて、僕らは「不幸の状態にある他者」を眺めるようになっているが、その距離を置くことで他者を笑う姿勢に、実は大きな径庭(ちがい)はないのかもしれない。
間近に不幸を見て笑う度胸は失っても、影でこそこそと他人の不幸を笑ったり蔑んだりするという意味では、何も変わっていないし、距離を置いている分、むしろ残酷非情になっている面すらないだろうか。

クラウンたちに起こっていることに対して我々はクラウンたち同様に何も知らないのだから、この優越感節も怪しくなる。そして、我々の足が万一チャップリンの足みたいに縮んだら一体どんなふうな感じになるのかを、何とかして我々は感じまいとするのである。クラウンたちは、怪物性にギリギリのところで踵を接する人間像の限界点に対する、身の捩れた記念碑なのである。混沌の魔どもに抗おうとする人間意志に対する記念碑。

王侯貴族が権力を失うとともに、文化そのものが民主化されていく歴史のなかで、フールたちもまた民衆を相手にするようになった。だが、役割そのものが変わったわけではない。
彼らは引き続き、日常の秩序やルールとの亀裂に自ら入りこむことで、自身の存在とともに秩序やルールを笑いの対象へと引き込み続けた。

しかし、そのような形で渾沌という魔と戦うクラウンたちの姿さえ、僕らは目の前から遠ざけた。そうすることが渾沌そのものを排除しようとすることにつながる行為であるかのように。

果たして、それはうまくいっただろうか?

YESとは、到底言いがたいだろう。

マニエリスムの身振り

さて、ウィルフォードは『道化と笏杖』で、次のような問いを立てている。

なぜ、無骨な田舎者、お調子者、トリックスター、笞(しもと)、そしてスケープゴートとして、フールは世界に、そして世界の想像的表現もろもろの中にかくも繰り返し巻き返し立ち現れてくるのだろうか。なぜ、フールたちは時と所こそまちまちであるのに、かくも鮮やかな類似性を示すのだろうか。なぜ、我々は、いろいろな場所、いろいろな時代の人々と同様、このフールたちに魅惑されてしまうのだろうか。これらの問いは実は、我々に影響を及ぼすこのフールたちとは一体何なのか、フール役者と彼のショーの観客との相互作用はどうなっているのかという問いなのである。それによると、愚行というものが人間性をめぐる、多分世界をさえめぐる至上の事象の1つであることになるはずの、かつては生き生きしていた観念に対する敬意の念をもって、私はこれらの問いを発してみたい。そのような観念の基礎となった類の経験もろもろと、意識的、無意識的に、我々がどう関係しているのかをたどることにしたいのである。

フールたちとは何かを問うとき、意味の裂け目としての言語や身振りに注目するジョルジョ・アガンベンの視点は参考になる。

アガンベンは『書斎の自画像』で、スイス人のドイツ語詩人である、ロベルト・ヴァルザーの文体について「わけてもそのマニエリズムは、深淵に宙吊りにされているため、誰にも真似できないものである」と書いている。

「ヴァルザーの登場人物たちは、ある種の超越的なバランスを保ちながら、ほとんど踊るようにして」振る舞い、その「彼らの流儀は、無の身振り、パントマイムやサーカスのそれであり、あらゆるパントマイムがそうであるように、通過儀礼的な要素を含み、語の純粋な意味で神秘的なものである」という時、そこに見えてくるのは、マニエリム的な半自動的で半機械的であるがゆえに、正常な日常的身振りとのギャップを生む奇妙な身振りだ。先のキートンとチャップリンの身振りを思い出してみると良いだろう。
それがより人間の日常に近づけば「不気味の谷」となるのだが、チャップリンの演技がそうであったように、それよりも大きなギャップがあるからこそ、その奇妙さは笑いへと転じるのだ。

それがマニエリスム的な機械仕掛けのクラウニングであり、ルネサンスの時代までの宮廷に普通にジェスターがいた時代から、すこし距離を置いて仮面劇やサーカスという非日常的な空間にクラウンたちを押し込める時代への移行のはじまりなのではないかと思う。

レオ10世の宮廷にいたジェスターたちは、仮面劇コンメーディア・デッラルテの劇のなかの登場人物として、あるいは、シェイクスピア演劇の登場人物として、非日常的な空間に役割を狭められていく。
それは同時に、17世紀以降、カーニヴァルの文化が社会から徐々に失われていくこととも連動していた。

さて、長く、当noteの特徴だが、今回あまりに長くなりそうなので、このあとは「後編」にゆずることにする。
そこでは、フーリッシュな知性が暴く「知性」というものの本質的な性質について迫ってみたい。


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