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例外状態/ジョルジョ・アガンベン

3月5日、1都3県では緊急事態宣言の2週間延長が正式決定された。この宣言下では2度目の延長となる。

飲食店の20時以降の営業停止や不要不急の外出自粛の要請といった厳格な禁止を伴わない対策を疑問視する声は多いものの、通常の法権利を抑制したものという意味では、これも「例外状態」と呼ばれるものにほかならないだろう。

例外状態
一般には、国家の危機的な状態において、通常の法権利の停止を含む非常事態を宣言することをいう。
法権利の停止は、わかりやすくいえば、自由の制限だ。あるいは、人間的な権利の部分的な剥奪ともいえる。

ヨーロッパをはじめとする海外でのロックダウンなどは、よりこの例外状態に近い。

ジョルジョ・アガンベンの『例外状態』によれば、この法の停止という政治的な危機への対応方法が近代法において認められるようになったのは、18世紀後半のフランス革命の時期であるという。

戒厳状態という制度の起源は、1791年7月8日のフランス憲法制定議会が発布した政令にある。

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おもしろいのは、この自由の剥奪、人権の一部的な剥奪が法的にも認められたのが、絶対王政の権力による養成ではなく、市民が自由や人権を獲得した革命的民主主義的権力の要請であったということだろう。

つまり、民主主義的な近代の法には、その最初から、国家の危機においては、自由を含む人権――ようは法権利――を主権者が剥奪すること―― ようは法の停止――ができるという内容が法そのもののなかに書き込まれていたということになる。

法のなかに、法が除外したものをまぎれこませることで、権力は成り立っていることを、例によってアガンベンは暴いているのだ。

戦争状態のみを対象にしたものから広がって

アガンベンが問題にしているのは、この例外状態の適用範囲が徐々に広がっていったことだ。

起源としてのフランス革命後のナポレオンによる帝政下においては、以下のように、外からの敵の軍事的なリスクに対するものとして例外状態は想定されていた。

この意味では「擬制的あるいは政治的な戒厳状態」という用語の歴史から教えられるところが少なくない。この用語は、1811年12月24日のナポレオン政令に関するフランスの法学説にまでさかのぼる。この政令は、敵の軍勢に包囲されるか直接に威嚇されている都市の実際の状況とは独立に、皇帝が宣言できる戒厳状態の可能性―― 「状況が軍事警察に今以上の力と行動の余地をあたえるこのを余儀なくさせるときで、なおかつそうしないとその土地を戒厳状態に置く必要がある場合」――を想定していた。

しかし、いまのロックダウンなどはあきらかに軍事的な危機への対応ではない。
最初のロックダウンの時期にあたる昨年の3月にフランスのマクロン大統領が「いまは戦争状態である」といってロックダウンを宣言したのは記憶に新しいが、とはいえ、それは比喩的なものであって今回のコロナ禍のロックダウンは敵国が軍事的に攻めこんできたことへの対策ではない。

アガンベンが、

戒厳状態のその後の歴史は、それが戦争状態から漸次的に解き放たれていった歴史である。もともとは戦争状態と結びついたものであった戒厳状態は、国内な無秩序や暴動に直面した治安管理部局の特例的措置として使用されたことで、事実上のあるいは軍事上の戒厳状態から擬制的あるいは政治的な戒厳状態へと転化していったのだ。

と書いているとおり、どこかの段階で例外状態の発令の対象が戦争への対応以外にも広がるタイミングがあったわけである。

2つの世界大戦のあいだで

その時期とはいうまでもなく、第一次と第二次の2つの世界大戦のあいだだといえる。

なにより「例外状態」ということばを最初に定義したカール・シュミットの『政治神学』が書かれたのが、1922年である。

シュミットは、ナチスが政権をとったのちの1933年からその法学理論を確立するための協力もしている(ただし1936年には失脚)。
ようは、ナチス・ドイツやイタリアのファシズムの独裁に法的根拠を与えたのが、例外状態という法を停止するという法的処置のあり方であり、その適応範囲の拡大であったわけだ。

もちろん、ドイツにおいて、第一次大戦後にナチスが政権を握った上で、次の戦争がはじまるまえに事実上の例外状態をつくれたのには、そもそも、そうした法的環境が先に整っていたということも条件としてあった。
具体的にはシュミットも、指摘した次のようなヴァイマル憲法第48条がそれである。

ドイツ帝国内において安全と公共の秩序が重大な程度に攪乱されるか脅かされるかした場合には、ライヒ大統領は、軍隊の力を借りてでも、安全と公共の秩序の再建に必要な手段を取ることができる。この目的のために、ライヒ大統領は、憲法第141条、第115条、第117条、第118条、第123条、第124条、第153条において定められた基本的諸権利を全面的にあるいは部分的に停止することができる」

これが第一次大戦後の無秩序と暴動の状況下で新憲法に組み込まれたもので、ヒトラー以前の「ヴァイマル共和国の歴代内閣は、ブリューニング内閣に始まって、第48条を――1925年から29年にかけての相対的休止期間があったものの――継続的に活用し、250回以上も例外状態を宣言し緊急政令を発布してきた」のが、ナチス前夜の状況だという。

ヴァルター・ベンヤミンは「非常事態〔例外状態〕が(…)通常の状態である」といったが、まさにそのとおりで、これだけ例外状態が続けばそれは通常になる。

その意味において、以下の引用にあるように、例外状態が戦時下における緊急事態対応という枠組みをこえて、通常の状態における政治的な統治の方法となっていったのが、この2つの大戦のあいだの時期であったことをアガンベンは指摘している。

「立憲独裁」という用語は、すでにヴァイマル憲法第48条にもとづくライヒ大統領の例外的な諸権限を指示するためにドイツの法学者たちのあいだで使われていた(フーゴー・プロイス「帝国憲法にもとづく独裁」)。(中略)また、彼らの著作以前に刊行されたもののうち、せめて言及だけでもしておくべきものに、スウェーデンの法学者ヘルベルト・ティングステン『全権―― 大戦中と戦後の統治権限の拡大』(1943年)がある。これらの著作は、その内容には互いにかなり相違したものが認められると同時に、全体としてみると一読して得られる印象よりもはるかひシュミットの理論に依拠しているのだが、いずれも重要なものばかりである。というのも、これらの著作は、二度の世界大戦のあいだに進行した執行権力の漸進的な拡大の結果、そしてより一般的には二度の世界大戦に随伴していた例外状態の結果生じた、民主主義諸国の体制の変容を初めて記録しているからである。それらの著作は、いくぶんなりとも今日のわたしたちがはっきりと眼前にしていること、すなわち、「非常事態〔例外状態〕が(…)通常の状態である」(ベンヤミン、1942)ことからして、例外状態は、もはや例外的尺度としてではなく、ますます統治の技術として登場するようになっただけではなくて、法秩序を構成するパラダイムとしてのその本質を明るみに出すようにもなっていることを告知する先導役を果たしている。

三権分立の事実上の解体

例外状態というのは、法の一時停止を行うことで、行政が事実上、司法や立法の機能をみずからに吸収してしまうことにほかならない。事実上の三権分立の解体だ。

それは現在のこの国で議会や裁判所が、政府与党に事実上吸収されてしまっており、政府そのものが法をおかすような行為があっても法的処置を保留にされている現状はまさに例外状態だといってもよいのだと思う。

とはいえ、それとは比べられないほど、大きな影響範囲で三権分立を無視した独裁によって、主権者が権力を我が物にして多くの市民や社会に悪影響を及ばせてしまったのが、ナチスやイタリアにおけるファシズムの政府による行為であったのは間違いない。

アガンベンは戦中期のイタリアの状況については、こう紹介してくれている。

暫定措置法は「確実に起きると保証された緊急事態に対処すべく増強された法律の素案」と定義されうるほどに立法化の通常の形態を構成するまでになったのである。これが意味しているのは、権力分立という民主主義の原則が守られなくなってしまったということ、そして執行権が事実上、立法権の少なくとも一部を吸収してしまったということである。議会は、法律をつうじて市民たちに義務を課すという独占的な権限を付与された主観的機関ではもはやない。議会は、執行権が布告するさまざまな政令を認可するだけの存在になってしまったのだ。法技術的な意味で言えば、イタリア共和国はもはや議会制国家ではなく、政府主導の国家なのである。

民主主義の基盤であるはずの議会がその機能を失えば、民主主義的な自由や法権利が守られるはずがない
国会にしろ、地方議会にしろ、それが本来的な市民の声を形にする機能を担っておらず、行政の一部と化してしまっている状況は、それゆえ通常状態においてそもそも、法権利を停止させた例外状態となんら変わらないのだともいえる。

ただ、いまのところ、その権利の停止の範囲が致命的ではないというだけだ。それが今回のコロナ禍で通常よりさらに権利の剥奪が行われたように、今後別の危機を前にして、さらなる権利の剥奪が行われないとは限らない。それがいま、僕らが置かれている状態であることは理解しておいた方がよさそうだ。

ゆえにいかにして市民の声を政治的な活動に反映させるしくみ――議会の正常化か、別のしくみの確立なのかはわからない――がいま必要とされているということなのだと思う。

現政権による革命の権限を法的な付与する

だからこそ、最初に書いたように、自由な民主主義的な社会的なしくみを夢見たはずのフランス革命政権がそれを損なうような戒厳令の権利を法に盛り込んだことは疑問にも感じる。

だが、アガンベンを読み慣れていると、それは不思議でなく、そもそもにおいて法権力が、なんらかの対象を外に除外することがその排除した対象を包含することそのものにつながり、法権力の効力を強化するのだということを知っているので、まさに例外状態をもつことで通常状態における権力が成立していることにはなんら不思議はない

例外状態は法秩序の外部でも内部でもないのであって、その定義の問題は、まさにひとつの閾にかかわっているのである。言いかえれば、内部と外部が互いに排除しあうのではなく、互いに互いを決定しえないでいるような未分化の領域にかかわっているのである。規範の停止は規範の廃止を意味してはおらず、規範の停止が確立するアノミーの領域は法秩序との関係を失ってはいない(あるいは、少なくとも失っていないふりをする)。

当然だが、法を停止することその権限そのものを主権者に委ねることは法の内部に書き込むことができたとしても、実際に法が停止されたのちにどのようなことが起こるかまでは法に書きこむことは不可能だ。そのさきはまさにアノミー(無規範・無秩序状態)で、主権者のやりたい放題となる。アノミーな例外状態下において、主権者が新たな法をつくって執行することも可能である。ようするに、それは革命による権力奪取によって新たな政権を確立するのと同じことだ。

だから、例外状態への以降の権限がフランス革命期に法に書き込まれてもなんら不思議はない。
例外状態への移行の権限はある意味現政権が合法的な革命を実行することを可能にすることを盛り込んでいるのだともみることができるわけである。

権威と権限

ここでは書ききれないが、例によってアガンベンは、近代的な例外状態の起源にある、古代や中世における法と主権の問題にも遡って考察を行なっている。

そのなかで見出されるひとつの対比が、権威と権限の対比である。

まさに、この対比される2つの権力のありように、法の外部と内部の混ざりあい(あるいは不分明さ)があらわれているのだとアガンベンは言う。

西洋の法体系は、異質ではあるが同格の2つの要素からなる二重構造として現れる。すなわち、一方は狭い意味での規範的かつ法的な要素であり――それをわたしたちは便宜上権限という標題のもとに登録しておくことができる――、他方はアノミー的でメタ法的な要素である――それをわたしたちは権威の名で呼ぶことができる。
規範的要素は、自らを適用できるようにするためにはアノミー的な要素を必要とする。が、他方で権威は、権限が効力を発揮しているか停止しているかということとの関連においてのみ、自らを主張することができる。

そして、ここにこそ例外状態という法的―政治的な装置が働く余地が生じているのだ、と。

例外状態は、究極においては、アノミーとノモス、生と法、権威と権限とがどちらともつかない決定不能性の状態にある閾を設けることによって、法的―政治的な機械の2つの側面を分節すると同時にともに保持するための装置である。

この装置が『ホモ・サケル』以降、アガンベンが問題としてきた〈剥き出しの生〉を対象にして、それを制御しようとする現在の政治が可能になっている。

法権利をいったん付与したように装いつつ、それをすでに平常時における統治の技術と化した例外状態により適宜奪っていく。政治的な生(ビオス)はそのようにして、剥き出しの生(ゾーエー)に変えられ、

聖なる人間(ホモ・サケル)とは、邪であると人民が判定した者のことである。その者を生け贄にすることは合法ではない。だが、この者を殺害するものが殺人罪に問われることはない。

と定義される、古代ローマ法における法の外に置かれたホモ・サケル同様の状態に誰もが置かれている。

「ホモ・サケル」シリーズにおける第2群のうちの最初の巻にあたるこの『例外状態』で提示された問題は、ここでも紹介してきた、その後の『オプス・デイ』『身体の使用』において、さらに詳細に考察される。

いずれにせよ、ここでアガンベンが考察しようとしていることは、まぎれもなくより良く生きよう――ウェル・ビーイング――とすることを目指す僕らの生のあり方―― まさに『身体の使用』で問題視される〈生の形式〉だ――を妨げようとする法権力=政治的なしくみとしての「例外状態」だ。

ゆえに、それは僕ら自身の生に関わる問題であり、僕らの幸福に関わる問題である。

それを考えるきっかけが、アガンベンの本にしては短い本文170ページほどのこの小編に示されているように思う。




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