見出し画像

ソフトシティ 人間の街をつくる/ディビッド・シム

2020年6月28日のパリ市長選で、現職だったアンヌ・イダルゴ市長は選挙公約に「車を使わず、日常生活を自転車で15分でアクセスできる街にする」という環境に考慮した都市計画政策を盛り込むことで再選を果たした。

多くの観光客が訪れ、交通渋滞も深刻なパリでは、大気汚染のために市民の寿命が6ヶ月短くなると言われている。また、パリ市民の平均通勤時間は45分と言われ、自動車通勤の人も多い。
ただし、自転車で15分圏内で行ける生活空間の確立を目指すこの計画は、脱炭素などの環境面の配慮だけの観点から提案されたものではない。買い物や仕事、娯楽、教育や医療などの日常的な生活に必要な施設へのアクセスが徒歩や自転車などで可能な生活圏の設計は、地域コミュニティの再生などの面からも求められたものだ。
このパリの例のみならず、北欧のさまざまな都市やスペインのバルセロナ、アメリカ・ポートランド、オーストラリアのメルボルンやカナダのオタワで同様の計画が進められている。 

デンマークの建築家ディビッド・シムは、『ソフトシティ 人間の街をつくる』と題されたこの本で、「密度×多様性=近接性」というコンセプトを提示する。

「密度と多様性が融合することによって、有益な物、場所、人が身近になる見込みや可能性が高まる」と彼は考えている。

都市の魅力は相互利益にある。それは互恵的なシステムや段取りを提供し、共生関係を可能にする。密度が高く都市環境の魅力として、少なくとも3つの利点――物理的に近接性、共有資源、仲間意識――を挙げることができる。

ディビッド・シム『ソフトシティ 人間の街をつくる』

パリの「15分シティ」構想をはじめ、ヨーロッパ中心に世界で「住みやすい街」で選ばれることの多い都市が実現しているウォーカブルな街は、シムのいうこの近接性をもった街だと言えるのだろう

機能ごとに分離したモダニズムの都市

序文で、シムの師にあたるヤン・ゲールが書いているが、19世紀以降のモダニズム建築や都市計画では「住まい、職場、余暇、交通は常に分離しなければならない」という機能主義の指導原理に基づいたデザインが行われてきた。まさにベンヤミンが『パサージュ論』で描きだす、大量生産と大量消費による市場経済が世界を席巻していくとともに起きた変化である。市場経済の生産性と利益追求が生んだ都市計画が住まいと職場や余暇が分離され、交通網でつながれる形態だったのである。

特に「1960年以降、世界のいたるところで都市化が進むと、モダニズムの計画原理は完全に支配的に」なり、「境界のはっきりしない無人地帯に囲まれた単一機能の建物というモダニズムの理念が、いたるところで最善とされた」。
シムのいう近接とは正反対の、それぞれ単一機能をもった建物が無人地帯によって分離された形で点々として存在し、人々はそのあいだを自動車や鉄道を使って移動しなくてはならない街が世界中にできあがったのである。

現代の社会において、「充実した生活を送る上で最大の難題は、おそらく日々の生活のさまざまな要素が物理的に分離されていることである」とシムはいう。「20世紀後半の都市計画は、この点で助けにならなかった」と。

それは、さまざまな活動を分離し拡散させる働きをした。私たちが必要とし求めているものの多くが広く拡散していたら、ローカルに暮らすのは難しい。一戸建ての郊外住宅、工業団地、郊外ショッピングセンター、オフィスパーク、教育機関のキャンパスは、どれも別々の場所にある。静かで緑豊かで安全な環境を約束してくれる平和な郊外生活の夢には、購入にも維持にもお金のかかる自動車が不可欠というアキレス腱がある。

ディビッド・シム『ソフトシティ 人間の街をつくる』

パリの「15分シティ」構想が何を問題視したかがあらためてわかる。
僕らだって、この2年強のコロナ禍の生活のなかで、リモートワークにも慣れてくるなかで、毎日時間をかけて電車に乗って離れたオフィスに通うことに時間をかけたり、同じように余暇や買い物のためにわざわざ時間をかけて離れた街に行くことのおかしさに気づいたのではないだろうか。

スマートシティとソフトシティ

こうしたモダニズムの計画原理がもたらした問題に対して、シムらが提示する解決策が、人間のための街としてのソフトシティだ。

「ソフトな街とは、人びとが近づき、互いに結びつき、身のまわりのあらゆる物事とつながりをもつことにかかわっている」とシムはいう。

昨今、デジタル田園都市国家構想などが、まちづくりの文脈においても注目されるが、この構想を進める上でも、単にデジタルを活用することばかりではなく、シムのいうソフトシティの観点でもデザインを進めることが必要なはずだ。

おそらくソフトシティは「スマートシティ」の対極にあり、それを補完するものである。急激な都市化の問題を解決するのに、複雑な最新技術に目を向けるのではなく、簡単、小規模、ローテク、安価な、人間重視の穏やかな解決策に目を向けることによって、都市生活をもっと過ごしやすく、もっと魅力的かつ快適にすることができる。よりソフトであることが、よりスマートかもしれない。

ディビッド・シム『ソフトシティ 人間の街をつくる』

スマートシティの否定ではなく、それを補完するものとしてのソフトシティという考え方には同意する。スマートシティの名の下でデジタルを街に導入するだけでは、モダニズム都市計画がもたらした問題の解決には至らない。シムがソフトシティというコンセプトで重視する「近接性」にもとづく、人間のつながりや交流、そして、それにもとづくまちづくりへの市民の主体的な参加なくしては、スマートシティがデジタル田園都市国家構想で描かれるようなウェルビーイングにつながるものとはならないと思うから。

ウェルビーイングのための街のかたち

昨今のウェルビーイングは、これまでのGDP重視の考え方から、より人びとの幸福そのものを重視することをさまざまな価値判断の基準とすることへのシフトという様相があるが、シムのこんな考え方もそれに通ずるものだろう。

生活水準と生活の質の大きな違いは、私の考えでは、生活水準が私たちのもっているお金とその使い方によって決まるのに対して、生活の質は私たちのもっている時間とその使い方にかかわる点である。一方は量にかかわり、他方は質に関わる。一方は物質にかかわり、他方は経験にかかわる。生活により多くのものを供給し受容する方法を探すのではなく、代わりに貴重な時間のよりよい使い方を手に入れる方法を考え、生活に重荷を負わせるのではなく負担を軽減し、仕事・子育て・健康維持・買い物・家政・近所づきあいの日常的な重圧と葛藤を日々の喜びに変える一助にしたい。

ディビッド・シム『ソフトシティ 人間の街をつくる』

こうした生活、暮らし、あるいはそこから得られる幸福をより良いものにすることを重視したソフトシティというコンセプトにおいて、シムは具体的な都市づくりのあり方として、ヨーロッパにおける伝統的な建築形態としての4-5階くらいのエレベーターなしでも上がれる低層の建物を組み合わせて囲み地をつくる方法を提示している。
図の右下の形態がそれだ。

このモデルを使うと、中庭部分に建物に住む人たちのある程度プライバシーも確保された安心・安全な共有地をもつことが可能になる。子どもを遊ばせたり、近隣住人どおしでバーベキューなどをしたり、テラス的な空間を確保したり、住人同士のコミュニケーション、つながりを生む空間となる。

建物と中庭のこんな多様な関係が写真とイラストで紹介されている。

囲まれた内側が住民たちの共通のプライベート空間として利用されると同時に、通りに面した外側部分の1階は、店舗などに利用することで建物と街の関係をつくる機能を持たせることができるようになる。
これも同様に、写真とイラストでそのバリエーションが紹介されている。

この街に開かれた外側部分と住民たちの共通のプライベート空間の組み合わせが、街のコミュニティに生きたつながりを生むことになる。

高層の建物のなかにあらゆる暮らしや仕事が詰め込まれてしまった形態の街では、見えなくなってしまう人びとの営みを、小さな囲み地をつくる低層集合住宅群がいくつも集まって街を構成する形態であれば、公・共・私でのそれぞれの活発な活動が街のなかにみえる形でうまく自転車で15分くらいの圏内につくることができる。
ヨーロッパの小さな街では当たり前にみられる街路でのにぎわいの理由はここにもありそうだと感じた。

移動のデザイン

シムが指摘する人のつながりがまちづくりの形態でもうひとつ興味深いのは、街のなかの移動をどうデザインするかである。

日本の街路を歩いてヨーロッパとは明らかに違うなと感じるのは、

  • 自転車が堂々と歩道を走って危険を感じる場面が多いこと

  • 建物の外の街路にまではみ出したカフェのテラスや商品の販売などがほとんどないこと

  • 場合によっては、地上は自動車中心に設計され、人びとや彼らが利用する店舗が地下に追いやられてしまっていたりすること

などだ。
これでは街に人のにぎわいが見える化されるはずはない。にぎわいとしての人びとの活動が街のなかで見えるようになっていなければ、街でいろんな出会いが起こるチャンスは生じないし、チャンスをきっかけに生まれるはずのさまざまな価値ある事柄もつくられない。

そんな日本の街の様子と、シムが移動という観点から描いたソフトシティのコンセプトイメージはまるで違っている。

その街は何より人中心につくられ、移動手段も、歩道、自転車道、公共交通機関、私的な自転車がうまく分離されるかたちでデザインされているので、人が街のなかで安心して過ごせ、そこでほかの誰かとつながる可能性をもたせた場となっている。

先のパリの15分シティ構想同様に、シムが描くのは従来の鉄道や自動車での比較的長い距離の移動を前提とした街の構成ではなく、自転車や歩行で大方の用事が済んでしまうコンパクトな街づくりだ。

評価の高い工業交通指向型開発(TOD)プロジェクトは、効率的な工学技術を使って高密市街地を大量輸送機関と結びつける。そして、人びとを効率よくほかの場所と結びつける。しかし私たちは、人びとを今いる場所にしっかり結びつけることこそが移動手段の真の課題だと考えている。私たちが必要としているのは、公共交通指向型開発よりも近隣指向型交通機関(NOT)なのである。

ディビッド・シム『ソフトシティ 人間の街をつくる』

このあたり、コロナ禍の状況を経て、日常的な移動に関する感覚も変わったいまの僕らなら、非常に納得感のある指摘ではないだろうか。特に首都圏などの都市部の街であればあるほど。

さらにシムは、以下のように写真とイラストを使って、時間ごとに街路の使い方を変えることで、街に人のにぎわいを可視化するアイデアも紹介している。

歩行者天国などはまさに街路を歩行者にとって快適なものにするためのアイデアなのだが、日本だと自転車のリテラシーがあまりに浸透していないために歩行者天国を平気で自転車で走っていく人が少なくないし、通りに面した店舗が歩行者たちとの接点をもてるように街路に商品を並べられるような法整備も進んでいないために、いまひとつシムのいうソフトシティまでにはつながらなかったりしている。このあたり、もっと真剣に街のデザインを法や人びとの交通リテラシーも含めて考え直していかないと、デジタル田園都市国家構想などもウェルビーイングな街の実現にはつながらないだろうと思う。

住みよい都市的密度のための9つの基準

さて、最後に、シムがソフトシティしての住みよい都市を実現するために具体的にポイントとしている、次の9つの基準を紹介しておこう。

  1. 構築形態の多様性

  2. 屋外空間の多様性

  3. 柔軟性

  4. 人間的スケール

  5. 歩きやすさ

  6. 制御感と一体感

  7. 快適な微気候

  8. 低い二酸化炭素排出量

  9. 大きな生物多様性

このうち、「構築形態の多様性」「屋外空間の多様性」「人間的スケール」「歩きやすさ」あたりが、囲み地の利用や人間中心にウォーカブル設計された街路、交通のデザインとして軽く紹介したことだ。

もちろん、こうした建築や都市設計といったハード面だけで、ウェルビーイングな街が実現できるわけではない。この人口減少社会で環境面でも持続可能性がつよく求められる社会でさまざまなサービスをデジタル化したりデータに基づく判断が可能なオープンのデータの整備やデータ取得のしくみづくりといったDX的な取り組みも欠かせない。

そして、何より必要なのは、こうしたソフトシティとしての街のデザインを進めていくまちづくり人材として市民が誰でも関われるようにするための学びやチャレンジの場だったり、そうした人たちが活動可能なアソシエーションや協同組合づくりを可能にする法整備ではないだろうか。

このあたりのこと、真剣に考え、議論できる場を用意していきたい。


この記事が参加している募集

読書感想文

基本的にnoteは無料で提供していきたいなと思っていますが、サポートいただけると励みになります。応援の気持ちを期待してます。