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言葉とイメージの狭間で

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ヨーロッパ文化史に関する話題を中心的に扱いながら、人間がいかに考え、行動するのか?を、言葉とイメージという2大思考ツールの狭間で考える日々の思考実験場
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#ビジネス

デザイン力としての分解と組立

なにかをつくる上で大事なことの1つは、ものごとを要素に分解して考えることができ、その分割して理解した要素を元にその時々に適切な組立を行えることだと思う。 世の中のサービスデザイン系、UXデザイン系のフレームワークの多くは基本そのためにある。 ビジネスモデルキャンバスしかり、 カスタマージャーニーマップしかり、 サービスブループリントしかりだ。 いずれも共通しているのは、最終的にビジネスやサービスで使われるモノやシステムのデザインではなく、そのビジネスやサービスが何なのか

抽象化と具体化を繰り返して

話を聞いたり、物事を見たりして、集めた情報からなんらかの共通点を抜きとって、その傾向を一般化する。 ようするに、抽象化する思考の働きなんだけど、これがあんまり得意じゃなかったり、やらなかったりする人が時々いる。 でも、抽象化を頭のなかでそれなりの頻度で日々やらないと、物事の理解ってなかなか進まないし、いろんな発想をするのにもきっかけがつかめなくて苦労するはずだ。 自分で自分が何の仕事をすればよいかを見つけられなくて、前にやったことがある仕事以外は、仕事の形を決めて用意し

非同期型社会と再生可能性

イノベーションはいずこへ? あっという間に、人間が生きる環境が一変し、あらゆるものが機能不全になってしまった。 もちろん、この機能不全によって生じた、今日明日の生活がままならない人や企業に対する補償は急務であることに間違いない。 だが、一方、今日明日の生活や事業推進という意味ではそこまで壊滅的でない人たちだっている。 そうした人たちにとっては1番の課題は補償を得ることではないだろう。この環境での自分たちの生活や事業の持続性を確保するために、どのような抜本的な変革を行うかと

同期型と非同期型

何週間か前から週に2日か3日のテレワークを行ってはいたけれど、今週は月曜日を最後に自宅での仕事が基本となった。 すでにテレワークを始めていたこともあって、家で仕事をすること自体は慣れてきた。 けれど、今週は会社のほぼ全員がことで、オフィスではなく、インターネット空間がバーチュアルなオフィス空間となったことで、逆に忙しさが増した。 Zoomでのミーティングに、Slackでのやり取りが相手が見えないが、ゆえに遠慮なく入ってくる。そして、よりテレワークでの共同作業をスムーズにする

世界は頭のなかに

「目に見えないほどの一本の糸でいかに自然がぼくをつないでいる」。 エルネスト・グラッシの『形象の力』の冒頭に置かれた、上の言葉で終わる文章が僕は好きで、ときおり思いだす。 もうすこし長く引くとこういう流れのなかに上の一文はある。 人間であるぼくは火によって原生林の不気味さを破壊し、人間の場所を作り出すが、それは人間の実現した超越を享け合うゆえに、根源的に神聖な場所となる。これをぼくに許したのは、自然自身であり、ぼくは精神の、知の奇蹟の前に佇んでいるのだ。自然がぼくを欺瞞的

自分の居場所に行く

外出自粛の要請対象の週末。 要請どおり、家で過ごしている。 まあ、今日にはじまったことではなく、この数週間、近くのスーパーやコンビニに食料品などの買い物に行く以外に外に出ない日は、休日、平日問わず、もう15日くらいは経験してきた。 もはや僕自身にとっても、それほど特別なことではなくなっている。 とはいえ、もともと出不精なんてことはまったくなかった。むしろ、この騒動以前は、不要不急の外出は風邪で熱でも出さないかぎり365日してた方だ。たぶん電車に乗らない日は1年のうち10日

デフォルト値の更新

日常的な生活空間にあいた亀裂から、異常が溢れだしてきてからもう何週間も経つ。 各国で非常事態宣言がされ、店舗の営業が禁止されはじめたかと思えば、とうとう域内の渡航制限がされる状況にまで追い込まれたヨーロッパに比べれば、まだそれでもマシな方だとは言えるが、それでもいままで「日常」に普通にあるものと思っていたものが制限され、いまこの日々からは失われているものはたくさんある。 不要不急なものだからと我慢しているそれら失われたものは、果たしてもうすこし時間が経てば戻ってくるのだろ

自分で理解する(答えをつくる)

理解するのには、2つのベクトルからのアプローチがある。 1つは、話をする側、何かを表現し伝える側のほうから、受け手に理解してもらいやすく工夫することで受け手の側の理解を得ること。 もう1つは、その受け手の側、話を聞く側であり、何か表現されたものを視聴したり読んだりする側のほうから、自分から積極的に発信者側が何を言ってるか、言おうとしているかなどを理解するために、内容を整理したり、わからない点を質問したりすることで理解を形づくろうとすること。 現代において、前者の努力は方々

文句を言わずに

しばらくぶりの更新。 といっても1週間プラス1日だけだが、僕としては長い空白。 時間がなくて書けなかったというほどではなかったが、僕自身にとって生産的なことを考える余裕はない、ここ2週間くらいだったのは確かだ。 「書かずにはいられない」で書いたとおり、noteに何かしら書くことは、僕にとってストレスをためない、精神衛生上、大事なルーティンだ。 それを1週間ちょっとやらずに済ませれば、それなりにストレスはたまる。おまけにもうひとつのストレスをためない方法である読書もちょっと量

書かずにはいられない

先日、とあるプロジェクトの打ち上げの席で、僕が日々noteを書いていて30000人を越えるフォロワーがいるという話題になった。 その流れで「どうして書いているんですか?」という質問を受けた。 同席していた別の場所に人が「発信したいことがあるですか?」と言ったが、僕の答えは「そうじゃない」。 誰かに何か発信したいことがあって、このnoteを書いているかといえば、まるでそうじゃない。誰かが読んでくれるということさえ、まったくないとは言わないが、さほど期待してない。 では、何で

品質を想像する

自分用のメモ程度に簡単に。 プロジェクトが良い結果に終わるかどうかのポイントのひとつは、品質に対する想像力だろうなと思っている。 「品質」はプロジェクトマネジメントの知識体系であるPMBOKにおいても10の知識エリアのひとつだが、ここをどれだけ大事にできているか?で、プロジェクト全体の良し悪しは変わってくると感じている。 品質を起点とするプロジェクトを実施する上で、設計が大事だというのは、以前から繰り返し書いていることだし、先日も「設計が役に立つ理由」というnoteを書い

設計が役に立つ理由

一発勝負のイベントごとなどで、何かしら予期せぬ出来事に出くわしたときにも、慌てることなく臨機応変に正しい対応を選んで実行することができるかどうかを左右するものは何か? それは外でもない。 事前の設計と準備だ。 何ができればよいかを知っているリアルタイムで進行するさまざまなイベントごとで、監督やファシリテーターとしての役割を担っているとき。 多くの場合、予期せぬ出来事に際して焦ってしまうのは、突然目の前に現れた想定外の事柄に、その先、どうすればよいかの指針が見当たらなかったり

判断力の根っこ

仕事をする上で大事な能力のひとつは判断力だと思う。 異なる選択肢が2つ以上ある場合、何を選んで仕事をその先の段階に進めていくか。はたまた目の前にある作業の結果を良しとしてそのまま進めるか、良くないとして修正に戻すか。 何かをつくりだす仕事は当然として、その他たいていの仕事のなかには、こうした「判断」の場面が日常的に何度も発生する。 判断基準があらかじめ明確になっていて、それに照らし合わせて判断すればよいことももちろん数多くあるだろうが、それと同じくらい基準は明確になってい

優れた人は、読書家である

ちょっとびっくりした。 1つ前で『時間は存在しない』を紹介したnoteの反響のあまりのなさに。 自分ではとても面白い本だと思って紹介しただけにこの反応の薄さは予想外。 内容的にも「時間が存在しない」という衝撃的なことを物理学的に分かりやすく教えるものだし、世の中的にもよく売れてたりもするから、自分自身の紹介の仕方がよくなかったのかなと反省している。 まあ、それは仕方がないこととして、今回は、その本の内容自体の驚くべきすごい思考の展開もさることながら、もう1つ驚かされた著