見出し画像

自分は進化した未来人なのではないかと気づいた日曜日の午後

同棲を解消してもうすぐ1年になる。ひとり暮らしからふたり暮らしになり、またひとり暮らしになる時に、家具や家電の分与でモメて、不本意でアンバランスな家財道具を新居へと運び込んだ。
そこから1年かけて、ちまちまと新たに収納家具を買い直したり、狭い部屋には不釣り合いなものを捨てたりして部屋を整えていった。

最近プロジェクターを買った。1万円もしない安物だけど、部屋の一角に映し出すには十分。この季節、少しだけ広いのが自慢のベランダにシートを敷いてハイボールでも片手に映画を観りゃ、最高にチルがアウトする。

大きな画面で映画を眺めながら「いま、隣に恋人がいたらどんなに良い気分だろうか」と思うこともある。うっかりスマホで連絡先をスクロールして何年も連絡をとってない人たちにアプローチしそうになる。危ない危ない、あともう1杯飲んだら確実にそれをやってしまうから、酒のペースをぐっと抑える。

生まれて初めて住んだ馴染みのない街も、今では肉を買うスーパーと野菜を買うスーパーを分けて使いこなすようになり、ノマドがはかどるカフェも見つけた。
平日も休日もその店には行くけど、土日にはやっぱりひっきりなしに数多の恋人が出入りし穏やかな空気が店内をつつむ。この世には本当に本当にたくさんの「2人組」がいる。揃えてないのにお揃いみたいな服装の2人や、顔が似ている2人、一つのアイスクリームを分け合う2人。いろいろいる。みんな2人組だ。
この世界は2人組でないと歩んでいけないかのように、みんな揃って2人でお互いを高め合い、お互いを慰めあっているように私には見える。
見ているほうの、私はひとりだ。
寂しさを取り除く方法も、辛い時に労わる方法も、最高にワクワクする休日を彩る方法も、自分用のやつだけ、全部知っている。

一人でいてもどうしても寂しくなれない自分を責めたこともあった。

なぜ自分は、自分で作った豪華な昼食を自分ひとりで平らげて満足なんだろう。
なぜ自分は、自分以外誰も出入りしない部屋をどんどん快適にすることに喜びを感じるんだろう。
なぜ自分は、休日に古民家を改装した居心地の良い珈琲屋にたった一人で何時間もいられるんだろう。
私には人を想うという感情が欠落しているのではないか。
私は欠陥品なのではないか。

ある時、不思議な感覚が到来した。

「私、もしかして人間の進化系なんじゃないか、未来の人間なんじゃないか」

みんなはまだ、一人では生きられない生物だけど、私は進化しているから、自分の機嫌を自分でとることができて、本来は2人じゃなきゃ得られない喜びをひとりでも得ることができたり、本来ひとりでは治癒することのない傷をひとりで癒したりできてしまうのではないかって。
欠けているのではなくて、むしろ進化していて、完全体なんじゃないかって。

とまぁ、こんなバカみたいな考えも、ひとりの私は誰にも邪魔されずに育める。そう、時に2人組というのは邪魔で息苦しそうにも見える。
邪魔で息苦しいのがいやだから、私はひとりなのかと考えたこともある。でもやっぱり違う。なぜなら、友達や親には心を砕くことができるから。「2人組」の候補とされる人たち以外とのたまに起こる面倒なやりとりには、「まったくもう」なんて小言を言いながらも、とことん付き合える心は持ち合わせているから。

だからやっぱり私は、2人組でいる必要だけがない、まるまるとした完成形なのだろう。

この世界はまだ2人組用に作られているから、未来人の私にはちょっと窮屈だけど、それでも居場所を与えてくれるくらいには寛容だ。

たまにはわたしを完全でない現代人だと見誤って、「まだ君は2人組になって“完成”しないのかい?」と言ってくる人もいて、昔はいちいちショックを受けていたけど、今じゃ心の中で「未来語」を呟きながら、そしらぬ顔で受け流すのも結構うまくなってきた。受け流すことを覚えりゃぁ、こっちのもんよ。

そうして私は心置きなく「未来人」として、この2人組でいることが不可欠な世界に、今日もひとり紛れ込んでいる。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?