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【佐渡市地域おこし協力隊インタビューvol.8】岩首集落担当 村山 凜太郎

『地域おこし協力隊』
その名の通り、地域おこしを考える団体に "協力する" 人を指すが、全国的に見てもその存在は勘違いされがちである。

佐渡市の協力隊の任期は3年。
それぞれが団体やプロジェクトの目指す目標を達成するための業務を遂行しながら、新しい土地での暮らしに順応しようと日々を過ごしている。活動の宣伝をしようと前に出れば移住者の代表面するなと言われ、裏方に徹すれば仕事をしていないと石を投げられる。

「どんな人がいるの?」「何をしているの?」
このインタビューは、私から見た "地域おこし協力隊という職業を選んだ仲間" をただ知っていただきたいという自己満足の備忘録である。


私から見た、村山 凜太郎というヒト

リンタローとの出会いも、五百川隊員と出会ったお花見が最初だ。
第一印象は「ジャーポットに豚汁を入れて持ってきたお調子者」という印象だけれど、そのフットワークの軽さと調子の良さに助けられている人も多い。

ただ付き合うにつれて気付くのが彼の真面目さである。
棚田、人間関係、プロジェクト…。何事にも全力なその真面目さが裏目に出ていることも時折あったが、この数年間のカオスな状況の岩首集落を担当できたのはリンタローしかいなかったと思う。後述にもあるが、彼もまた岩首に人を呼ぶ天才だった。

慣れない機械での田植えは2年もするとしっかりとした足取りになっていた(2021年5月当時の一枚)

岩首に引き寄せられる観光客、旅人、移住者、奇人変人…。
岩首ディープに触れた人の2度目の訪問は、佐渡というより、岩首を訪れたいと思う人が多いと言う。岩首談義所が閉所した今、集落のあちこちにその想いが浮遊してしまっているようだ。

「世阿弥の彼岸ボート」のノートは訪問者のメッセージでいっぱいだった

リンタローの世話役である大石 惣一郎さんに、ぜひ世話役としてインタビューさせて欲しいと言ったところ「僕はそういうものは受け付けておりませんので。」とのこと。愛ある喧嘩も多く、それでいて本当の祖父と孫のようなふたりの関係を改めて知りたい方はぜひ岩首へ。

棚田おじさんことお茶目な大石さんのInstagramはこちら


大学の地域実習をきっかけに

大学生当時の写真(留学先のネパールで)

村山:岩首集落担当の村山 凜太郎(むらやま りんたろう)です。新潟県十日町市出身で、岩首談義所を中心に活動していました。
棚村:11月で退任した村山さんですが、何がきっかけで佐渡に出会ったのでしょうか?

村山:大学の地域実習がきっかけですね。大学では地域創生学部を専攻していたのですが、そのランダムに割り振られる実習地が佐渡だったんです。当時は、「奄美大島や宮崎県延岡市など、他に実習地が14ヵ所あるなかでなんで新潟県!?」というのが正直な感想でしたね(笑) 修学旅行で行ったことはあったけど、ただそれだけだったと言うか。

棚村:私も金山のイメージくらいしか無かったです(笑)  ちなみにその実習ではどんな活動をしていたんですか?
村山:大学1年生から3年生の間、毎年佐渡に約1か月滞在していたのですが、1、2年生の時は佐渡島内で活動されている方々に会ってお話するのが主な活動でした。真野の大願寺に滞在したり、相川のおーやり館に行ったり。岩首集落に焦点を定めたのは卒論を書くことを見据えた3年生のタイミングです。

棚村:なぜ岩首に?
村山:食糧問題やコミュニティの在り方について興味があって、岩首のことをもっと知りたいと思ったからかな。3年生の頃には大学の単位もほぼ取り終わっていたので、卒業までの最後の1年間をそのまま岩首で過ごしてみることに決めました。

佐渡に来たのは大学4年生だったので、結局約4年佐渡に住んだのかな。
実は1年生の時に岩首集落で僕の世話役でもある大石さんにも会っていたのですが、その時は「変な場所だなと~」と思っていました (笑)


コミュニティの循環

棚村:岩首集落というとやはり『岩首昇竜棚田』が有名ですが、地域おこし協力隊として実際にどんな仕事をされていたのでしょうか?
村山:『岩首談義所』や、世話役の大石さんに依頼が来た案件の協力をしていました。

棚村:老朽化等のため解体が決まってしまった岩首談義所ですが、若者や旅人が集う素敵な場所でした。過去形で話すのも寂しいですが、あの場所はそもそもどういう場所だったのですか?
村山:岩首談義所は閉校した旧岩首小学校を活用した棚田地域の交流拠点でした。閉校直後、集落で『旧岩首小学校の利活用を考える会』という会が発足し、それが紆余曲折あって岩首談義所という形になりました。

棚村:前述したように、岩首談義所を訪れると若者・旅人・奇人変人がふらりと立ち寄っている光景をよく見たのですが、なぜそういった場所に?
村山:自然発生的なものもあるし、大石さんが繋いできた人の影響がありますね。大石さん自身はそういう場所にしたかったんだと思います。

岩首談義所は地域おこし協力隊の会議場所としても何度か利用した

棚村:岩首談義所の機能を引き継いだ『岩首めぶきラボ』が誕生しました。
村山:岩首めぶきラボは、談義所の解体に伴い、後任の存在として集落とコミュニケーションを図るために立ち上げた一般社団法人です。集落とのやりとりをさらに密に行い、お金の流れを明確にしながら「空き家の管理」「コミュニティの生成」「棚田の保全」「学生の受け入れ」などを行っていく予定です。

棚村:岩首めぶきラボが、談義所のように岩首を訪れる理由になって欲しいですね!


棚田の可能性を探った3年間

たくさんのこどもたちも楽しんだ『どろリンピック』

棚村:任期中は棚田を活用したイベントを多数企画されてましたよね。
村山:そうですね。2022年には名前そのまま棚田でヨガを楽しむ『Tanada de YOGA』や、田植え前の田んぼで泥合戦をした『どろリンピック』、2023年には焚火とコンサートを満天の星空の下満喫する『Tanada CAMP Fes』など...。

棚村さんとは『岩首竹灯りの集い』のPRも兼ねたコラボイベントもしましたね。農地として以外の新しい棚田の使い方の可能性を探していました。
棚田にいる時間を通してその魅力や抱えている問題を周知しながら、イベントで出た利益を棚田の維持保全活動費に充てることを目標にしていたのですが、実際問題として人手や予算の問題があり、継続が難しかったですね。

村山:また、イベントを通して感じたもうひとつの難しさは集落の同意を得ることでした。そもそも僕が所属していた岩首談義所内に、”集落の同意を得るためのプロセスそのもの” が無かったんです。これが岩首めぶきラボの「コミュニティの生成」にも繋がっているのですが...。それに気付いてからはプロセスの構築の要ともなる、人と人との繋がりを大事に活動していました。また、新型コロナウイルスの流行で、飲み会や祭りもなかったことも、同意を得る難しさの要因のひとつでしたね。

棚村:トップダウン型でモノゴトが進んでいた昔のスタイルが残っている場所あるあるですね。着手する前に諦めてしまう人が多い中、しぶとく粘る姿がいつも印象的でした。

村山:偏見も少しありますが、大多数の集落という集まりって『PTA総会』をイメージして頂けると分かりやすく伝わると思うんです。

棚村:PTA総会ですか?
村山:問題についての解像度や熱量もバラバラの人がたまに集まって、大多数の意見に従ったり、ずっと中立だったり否定的だったり。新しいことはしなくても良いけど、集まることが目的になっていて...。

棚村:言い得て妙ですね(笑)
村山:希望論にはなりますが、僕としては集落の方々が自発的に行う活動をサポートしたかったというのが本音です。この想いは今も変わっていません。ただ、この集落で何かをやりたいならずっと住むしかないんだなと思いました。同時に、何年住んでも足りないとも感じています。


棚田の荒廃から起こりうる負の連鎖

村山:ここが私のアナザースカイ!
棚村:岩首昇竜棚田、いつ来ても良い眺めだな~。

村山:棚村さんあそこ見てください、あぜの横のところ。すっごい丁寧に草刈りしてあるでしょ。こんな急斜面の棚田なのに、しっかり刈っていて。田植え後の青々としているのも、稲穂の実っているのもいいけど、僕は岩首のこういうところが好きなんですよね。

棚村:岩首の棚田は今後どういう風になっていくと思いますか?
村山:本当にどうなるか分からないですね。今まで岩首は棚田振興を行うことを前提に、中山間地域等直接支払制度という制度を使いながら棚田でのお米作りだけではなく、お米の販売やその他保全活動に力を入れていました。

中山間地域等直接支払制度
農業生産条件の不利な中山間地域等において、荒廃農地の発生防止や多面的機能の維持を図るため、集落等を単位として継続的に農用地を維持・管理していくための取決め(協定)を締結し、それにしたがって農業生産活動等を行う場合に、面積に応じて一定額を交付する制度

村山:だけどこの制度が無くなるか令和6年度からどうなるか分からないんですよ。そもそもこの制度は5年以上農業を続けることを約束した農業者に対して交付金が支払われる制度なので、制度が継続されたとしても、高齢者の多い岩首ではそもそも更新するか悩んでいる人が少ないのが現状です。

棚村:今75歳の方が80歳までずっと同じ生産量を求められるということですか。今は健康でも、5年後は分からない年齢…。
村山:5年間満了できなかった場合はそれまでに交付していた交付金の全額を返還しなければならないので、中山間地域から抜けてしまい、棚田も止めてしまう。そんな芋づる式の悪循環が起こるのではないかと考えられているのが令和6年度ですね。全国的な政策なので岩首だけの問題ではないのですが。

棚村:今見ているこの棚田の姿が数年後には全く違う可能性もあるわけですか。
村山:「日本の棚田百選」は20年程前に選定されたものですが、その半数は既に荒れ地が目立っているそうです。一般の人はこの現状を「失われている原風景」なんて言いますが、岩首に住んでいる人にとっては、棚田は「水害を防いでくれる場所」。棚田は小さなダムのような役割をしているんです。明治時代には実際に大水害で大きな被害を受けた記録も残っていますし、僕の世話役でもある大石さんの家の資産も全て流されたと話していました。

棚村:棚田の保全活動は、観光のために景観を守っているだけじゃないんですね。
村山:あとはきっと集落の祭りにも少なからず影響があると思いますね。田植え前、稲刈り前に舞う鬼太鼓。文化と農業が密接になっているものがどんどんと薄れていって今の形は変わっていくと思いますが、それも良いのかも。

何を想って祭りをするのかは、その時代の、その人たちによるものだと思います。文化ってそういうものだと思いますし。今も『岩首余興部』の鬼太鼓の舞いやリズムは、年代によっても全然違うらしいです。そういう意味では岩首の祭りはこれからも残っていくと思います。


岩首とこれからも

棚村:任期中の一番思い出深いことを教えてください。
村山:集落にとってはどうだったか分かりませんが、さどの島銀河芸術祭の『Manda-la(マンダラ) in sado』プロジェクトは僕にとっては一番思い出深いですね。正直、マンダラで満足しちゃった感もあるんです。

棚村:私も当日ボランティアで参加したけど、あの現場がずっと続いてたって考えるとそうなるのも不思議じゃないです。しばらく燃え尽き症候群みたいになってましたもんね。
村山:写真家として著名な 宇佐美 雅浩 さんの作品として岩首の姿が保存されるということは良いことだと思います。現在は両津博物館で見ることができるらしいので、ぜひ見に行って頂きたいです!

岩首談義所の黒板

村山:実はめぶきラボで地域おこし協力隊を募集する予定なんです。今度は受け入れ側として、新しい隊員が地域にしっかりと受け入れられるような橋渡しをしたいです。岩首とはこれからもずっと関わっていきますよ!

棚村:協力隊の制度についてどう思いますか?
村山:佐渡に住みながら、『長く佐渡に住むのはどうすればいいんだろう』をゆっくり探していける入り口になって欲しいですね。「佐渡であの人と何かやりたい!」のスタートはミスマッチが起こりやすいので、そういうことを防ぐためのケアもしていきます。

棚村:今後は何をされる予定ですか?
村山:地元の十日町に帰って、予定より少し早くなってしまったのですが家業を継ぎます。当面は家業を継承するためにしっかり勉強して、落ち着いたら家業をベースに色々展開できたらいいなと思っていますね。やりたいことはいっぱいあります!...が、まずは家業を継ぐための資格勉強を頑張ります(笑)

棚村:最後に、地域の一番好きなスポットを教えてください!
村山:棚田と、展望小屋と、お祭りと、集落の人と...  岩首全部じゃダメですか?(笑) 色々ありましたが、岩首は僕のこともよく気にかけてくれていましたし、温かさをいつも感じていました。こういう地域が住みたい地域って言うんだなと、ふとした時に思うんですよね。いるだけで心にゆとりができる岩首に、みなさんぜひ遊びに来てください!



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