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絶望への決断

自分には何が必要なんだろう?何ができるんだろう?

多くの人々は今日より明日をより良くするため、日々試行錯誤を繰り返し生活をしています。

特にそうですね。10代、20代なんかはそうなんじゃないでしょうか?それに最近じゃあ、40歳手前になるともうひと波くるって話もチラホラ耳にするようになりました。

ぼくなんかもそうでして、18歳19歳の頃や、20代の半ばの頃は「オレができることってなんなんだ?」「歩む人生はこんな感じで十分満足してんのか?」なんてことを考える時期がありました。

なので、手当たり次第に、いろんなことにチャレンジしていました。

正直いうと、はたから見ればあっちにウロウロこっちにウロウロ、完全に行き場を見失った迷子のように感じられたかもしれません。「あいつ、会うたんびに言ってること違うけど、大丈夫なん?」って言われてたかもしれません。

けど、今ふりかえると、それも10代、20代の特権なのかな?なんて思うこともあります。

だってそうじゃないですか。ある程度経験も重ねて、ちょっと人の上に立つ役割もするようになると、フラフラフラフラすることができなくなります。いや、できないというよりもやってはなりません。

「Aをするぞ!」と言っておきながら、翌日には「Bに変更だ」と言う。えぇ〜〜っと思いながらも従ってると、また急に「Bはやめだ!Cにするぞ!」と言われる。かと思ったら次の日にはD案が浮上する。

そんなことが毎日行われていたら、その人の元で働く人々は愛想をつかし離れていくというのは、目に見えてわかりますよね。

で、40代、50代になって気がついたら、指導者となってバリバリ働いているタイプとうだつの上がらないタイプに分かれている、、、というわけです。

こういうことを考えていて、やっぱり思うことは、「フラフラするのは覚悟を決めれない裏返しなんだ」ということです。

仕事だろうが結婚だろうが子育てだろうが、人生に関わる全ては「絶対にやる!」という覚悟がないと、どうしても意識がふらついてしまいます。

なぜなら、世の中はある意味豊かで選択肢が多いからです。

だから自分で悩んでいるうちは、外の青い芝生が見えちゃったりして「ああ、このままでいいんだろうか、、」と思い苦しむわけです。

なので、結局いつも思うところは、最初のうちは「知るか!やりたいんだからやるんだよ!やりきってやる!」といった、『絶望への決断』が必要じゃないんかな?ってこと。

進んだ先に断崖絶壁があるのか、それともオアシス・ユートピアがあるのか。そんなもん誰もわかりません。

でも、「進むんだ!」と決めた自分のことだけは、自分で信じてあげないといけません。

『絶望への決断』そして『病的にやりきる信仰心』

この2つを持って進むことで、自分だけの人生っていうのが出来上がってくるのかもしれませんね!

田辺輝恭

ReveDunJourプロジェクトは"夢”に特化し、子どもたち若者たちへ夢の持ち方・叶え方を発信しています。世界で夢を叶えてきた達成者たちが在籍。彼らから知恵と考え方を絞り取ることを是非としています。大和の心で我が儘に。