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新潟の田園風景と米作りにおける技術革新

先日、新潟に行ってきました。
新潟の田園風景は本当に綺麗でかなり目が癒されます。

新潟は日本で1位の生産量を誇ります。

米を育てるために昔は豪農といって、大人数で大きなお屋敷に住み共同生活を行い、お米を育てていました。

明治23年の日本の長者番付では新潟の豪農の主人達が上位を占めていたようで、米を持っていることが力の象徴であった時代が伺えます。

今では米の生産コストが劇的に下がり人手をかけずに生産することができるようになったために、豪農という存在は無くなっています。

明治時代、人手がないと量を作ることが出来なかった日本人の主食である米。
ただ今では、機械化が進み人件費が下がり、誰もが生産可能となることで、農家自体の収入も減ってくるというのは、技術革新の良し悪しを知ることが出来る話だと感じます。

モノは最終的に人手がかかった分がコストに変わり、取引価格が変動していきます。

欲がある人は、高く取引されている商品を、より多く作り出すために技術革新を行います。
けれど、技術革新こそが諸刃で、技術革新により誰しもが手にしやすくなってしまうと、人手がかからなくなり価値がなくなり、安値で多くのものが流通するようになっていきます。

その結果、今では、当然ですが、新潟の豪農一家が長者番付に名を残していません。

技術革新によって私たち日本人は、いつでも困ることなくお米を食べることが出来るようになりました。

ただ、行き過ぎた技術革新は、需給のバランスがかわり、儲かるはずの米作りが儲からないものへと変わってう。

実際、時代は繰り返しテレビなど白物家電も同じく、行き渡り過ぎるほどの技術革新によって儲からないものへと変わってきています。

今回の豪農の歴史を学ぶことで、モノ作りをしていく上では、人手を掛けるべきところと技術革新すべきところの良いバランスを見極め、急ぐことなく、世の中へ流通させていくがビジネスを長く続けるコツなのであろうと感じてなりません。




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