考え続けること

第7号

7って縁起いいですね、好きな数字です。

専門学校に入学して学年を重ねる度に考えることが多くなった気がします。
高校生の時は自分で考えるなんてことはほとんどしなくて、他人任せで無責任だったはずなのに。

要因としては、「色んな人と関わった」「勉強した」ことが大きかったんじゃないかなと思います。
高校生の時も色んな人はいましたがなにせ陰キャなもので関わる事はほとんどありませんでした。その点、進学してからは学生のみならず鍼灸師の先生方ともTwitterやオープンチャットなどのコミュニティを通じて関わらせていただきました。

そこで感じたものは皆さん常に考えているということです。

鍼灸業界の課題は何か、もっと盛り上げるためには何ができるか、治療に対する賛否両論など。見るだけで勉強になるものばかりでした。
少し話は逸れますが、僕自身は何も考えていなかったと痛感させられる出来事も経験しました。将来のビジョンは見えていない、自分の長所は答えられてもそれをどう活かすのか考えていない。
当時はかなり辛かったですが、今思えばそこから「考える」ということをするようになったと思います。

あとは先述した通り、「勉強したこと」です。高校生の時はろくに勉強していなかったですが進学後はめっちゃ勉強してました。絶対に試験落ちたくないので。
結果、その中で考えることの楽しさを見出したような気がします。特に問題解いている時とか。

と、色々経験して「考える」について感じた事があります。
それは、人は考え続けることで成長するんじゃないかなって。
例えば、何かに挑戦する時(ゲームでもスポーツでも)に先人が切り開いてくれたヒントを参考にするとします。それを脳死で実行するのか、それとも何故それをするのか考えながら実行するのか。後々成長が見込めるのは後者だと思います。
最初は意味が分からなくとも経験を重ねるうちに真意を知ることはできると思います。しかし、最初で分からないなりに意味を考えていたことによって応用が効いてくるのではと。ヒントを鵜呑みにせず試行錯誤しながら経験したことにより行動に幅が生まれ、そこには感動と面白さがある。
そして次なるステップに進み、試行錯誤しながらも発見を経て、追加で知識を得て成長していく。

では逆に、ただヒントや攻略をなぞっただけではどうでしょうか。
最初は順調かもしれませんが、基礎から外れると応用が効かず上手くいかず、その先にあるのは虚無感と飽きです。

完全に僕自身の経験と偏見なのですが、考えること放棄したら楽は楽なんですけど何の成長も見込めないし、何より頭を使わないので知能が低下している感覚がします。

随分と意味の分かりにくい文章になってしまいましたが、要は考えることで人生面白くなるし損しないんじゃないのかってことです。

これから長い人生、面白くするためにも悪い人に騙され損しないためにも、自分の頭で考え意見を持ち、日々成長しながら生きていきたいですね。




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