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私とアートと幼少期

こんにちは。yukikon520です。

今回は、私が芸術に興味を持った理由を、幼少期の記憶との結びつきに触れながら書いていきたいと思います。

幼少期の思い出や記憶は、少なからずとも「今」を作り上げることに影響を与えているのではないか、と感じることが多くあります。好きなことや、今でも続けていること、それは趣味、仕事に関わらず、長い長い時間を越えて自分の今の形として繋がっているのではないか、と思うことがあります。例えば、今の私が芸術に関わる仕事をするようになったことにも繋がっています。

私が芸術に興味を持つようになったのは、小学校低学年の頃に、初めて母に連れられていった上野の美術館での鑑賞がきっかけでした。

母は今まで特に絵を描いていた訳ではありませんでしたが、鑑賞するのが好きな人でした。中でも印象派のモネやルノワールの絵画が好きで、展覧会が東京に巡回してくると、実家のある茨城から1時間ほど電車に乗り、何度も家族で美術館に行ったのを覚えています。実家には印象派の展覧会の図録が多く並び、美術館に行けない時にはパラパラとめくっていた記憶があります。

私が初めて美術館に行く前に、母はなぜ絵が好きなのか、例えば色の柔らかさが好きで、それを感覚で感じることのおもしろさを子どもの私にわかりやすく伝えてくれていたことが、絵を鑑賞する導入を容易にしてくれていたのかもしれません。

そして、当日。当時は海外の美術館から巡回展が来る、となるとチケットを買うまでに2時間並ぶことは当たり前で、ようやく入場できても、鑑賞には長い行列のままトボトボと歩きながら何とか作品を見る、という混雑ぶりでした。それでも、子どもながらに飽きずに、大人の足元から覗きながら何とかして作品を見ようとしていたことを覚えています。絵を見る、ということが楽しく、自分自身の感覚に合っていたのだと思います。

思い返すと、絵画というジャンルに関わらず、表現されたものに対して、子どもの頃から感覚という部分で何かを掴みたがる癖があったように思います。絵を見る時には色から感じる心情、本を読む時には比喩表現や倒置法といった、言葉が紡ぎ出すものに心地よさを感じ、音楽を聴く時には楽器が作り出す音の響きが体の中に入ってくる高揚感を感じる、といったように。

私の場合、「感覚」を使って表現と向き合う、ということが芸術への興味と繋がっていきましたが、ジャンルを問わず、幼少期の記憶や体験が今の自分と紐づいている人は多いのではないかと思います。何気ない記憶や体験がその人を作り上げ、今に繋がっていることを思うと、今まで積み重なってきた経験、特に幼少期の記憶や体験には非常に感慨深いものを感じます。幼少期を振り返ることで、自分のことを深く知り、自分を見つめるきっかけにもなっていくのではないか、と感じています。

拙い文章ですが、最後までお読みいただきありがとうございます。また今後も投稿していきますのでよろしくお願いします。

(*トップに使用した写真:散歩の途中で見つけた電信柱。広告が剥がれてできたコンクリートとの色彩の構図が気に入って撮影。蔵前にて。)






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