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【初公開】兵庫県での陸上生活

どうもこんにちは!たむじょーと申します!
本日はYouTubeでの動画でも語っていない、そして僕の友達でもごく少数しか知らない中学1年生~中学3年生の夏休み前までいた兵庫県での陸上生活について記事を書いていきたいと思います。この記事は皆さんに是非読んでもらいたいです。それくらい僕の思い出と経緯が詰まっています。

    千葉から兵庫への転校

僕は小学生6年生まで千葉県にいて卒業と同時に親の仕事の都合で兵庫県に転校した事は皆さん知っていると思います。
僕は千葉県にいた時の小学校と友達がとにかく大好きでした。親友のたけを初め他にもたくさんの友達がいてみんな仲良くしてくれました。

また、陸上で結果を残していて転校しなければ行くはずであった中学校(後に中学3年生で千葉県に戻ってきた時に入る中学校)は陸上がめちゃくちゃ強い中学校でした。
なので卒業と同時に転校するのは友達に一生会えなくなるかもしれないという辛さと同時に強い環境で陸上ができなくなる不安さを持っていました。
転校する当日までに親に「俺は絶対に転校しない!」友達にも「俺は絶対に転校しないから中学でもまた遊ぼうな!」と泣き叫びながら言うくらい転校したくなかったです。
まあ、そんな思いは通らず決まってしまった事はしょうがないので千葉県から兵庫県に転校することになりました。

     兵庫県での生活

当日も不安な気持ちで兵庫県に転校しました。
正直な感想、転校した時は初めての関西で環境に慣れる事から始まるし、千葉県のみんなに会いたい気持ちが強かったです。
そんなこんなで迎えた兵庫県での中学校生活、僕はもちろん大好きな陸上部に入りました。
しかしここである事件が起きます笑
なんと、陸上長距離入部者僕含めて2人!
中学1~3年生合わせた男子長距離総人数5人!!おい!これじゃ駅伝出れないじゃないか!!!という感想が率直な感想でした!笑
正直言うと驚きましたね。。笑

でも一緒に陸上部に入ったもう1人の新入生(以下R君)が僕とめちゃくちゃ気が合いました!
R君の家はゴルフ関係の仕事をしており僕は小学校までゴルフをやっていたのでR君の家でパターゴルフをしたりして毎日遊んでいました。
このR君は僕の兵庫県での親友になります。
彼には本当にたくさんお世話になりました。

まあ下を向いてても始まらないので、気持ちを入れ替えて「この環境でも強くなってやる」と心に決め、陸上部での活動に打ち込みました。そしたらなんと1年生の市内大会で1500m4:40で4位入賞して県大会に出場する事ができました!周りは騒然でした。笑 

兵庫県は陸上が盛んな県なので強い選手はお互いの事を知っているのですが、その時の周りからの感想は「誰だ?あの4位のやつ、名前も聞いた事もないし顔も見た事ないぞ」こんな感じだったと思います!笑
そして、県大会では予選落ちでしっかりと負けてしまうのですがここで朗報が飛び込んできました!顧問に突然「市内の強い選手達が集まる練習会があるんだけど行きたいか?」と言われました。
僕はそんな話が飛び込んで来るとは思っておらず「はい!行きたいです!!!」と言って先生に車で練習会に連れて行ってもらいました。

先生は陸上部での活動を部員達になかなか満足にさせてやれなくてせめてもの思いでその練習会に交渉してくれたみたいです。
今思うと本当に最高の顧問でした。特に僕には良くしてくれて僕をいろいろな練習会や練習場に連れて行ってくれました。

   練習会で出会った猛者達

ワクワクな気分でその練習会に参加しました!
そしてここで後に箱根駅伝を走る有名選手や多くの強い人たちと知り合うことになります。

僕は転校した身で周りから誰だ!?みたいな目で見られたかもしれませんがこの練習会でたくさんの強い選手と仲良くなる事ができました!
そこで知り合った人が元東海大学、現大阪ガスの中島怜利くんや、元中央大学、現トヨタ自動車の堀尾謙介さんです!(2人とも大白書中)
僕の中学ととても近くて大会でも実績を残しているこのお二人は尊敬する存在でした!

特に中島怜利くんとは大会で会う度に調子どう?とか進路どうするの?などお互いの近況について話したりしていました!
中島怜利くんが僕と中学校からの仲というのは実はここでの出会いだったんですよね〜!

その他にも兵庫には当時1500m、3000mの中学記録を樹立した池田親くん(加古川山手中)や、800m中学女子日本記録保持者の髙橋ひなさん(山陽中)に出会う事になります。
同じ市内の友達の紹介で池田くんと仲良くなり当時は身長が高くてびびってました。笑
大学では会ったら話したり同じ記録会を走ったりもしました!
髙橋さんは800mで僕よりも速かったので憧れていました!とあるレースでゴールした時に補助員としてゼッケンを回収していた髙橋さんを見つけて渡しに行った時「回収します!お疲れ様でした!」と言われたのを今でも覚えていてとても嬉しかったですね!!笑

そんなこんなで猛者達と出会い練習に打ち込み中学2年生では1500m4:27、800m2:12までタイムを上げることができました!
このまま箱根駅伝出場する為に中3で大活躍して全国大会出場!!と言いたいところですが現実はそう甘くありませんでした。

   過度な貧血に悩まされる

中学2年生のトラックシーズンが終えた秋から過度な貧血に悩まされました。僕らの中学校は人数が少なすぎて冬にある駅伝大会に出場する事ができませんでした。
なので僕は中学3年生の最後のトラックシーズンに全てをかけて練習をしていた矢先のことでした。全く走れないのです。練習も全然できない。練習会で知り合ったライバルが着実に強くなっていく。
そんな現実を目の当たりにして悔しくて毎日悩んでいました。そんな中僕の唯一の同期のR君がたくさん慰めてくれました。その時既に上級生は引退して同期の長距離部員は2人でした。タイムも出ないで走る事もできなかった僕をR君はとにかく慰めてくれて今思ってもR君がいなかったら辞めていたかもしれません。

    迎えたラストイヤー

R君と2人だけで頑張ってきた陸上生活も遂に最後の年です。僕はもちろん励ましてもらった分顧問やR君に結果で恩返しがしたかったです。しかし貧血という目に見えない敵は甘くありませんでした。迎えた中学3年生の総合体育大会。これで県大会に出場できなかったら引退です。僕は1500m、800mに出場しました。全力で走りました。R君の励ましも、顧問に良くしてくれた思いも、兵庫県で出会ったたくさんの猛者達との練習会の思い出も、全て背負って全力で走りました。

しかし結果は1500m4:54。800m2:21。
あれ?1年生よりも遅くなってね?
普通3年間真面目に陸上に打ち込んだらタイムって上がるもんじゃないの?
貧血が全てを奪い去ると同時に様々な悔しい思いとやるせない思いが僕の脳裏をよぎりました。まさに絶望でした。

顧問やR君に恩返しできない、着々と結果を残し続ける練習会の猛者達に合わす顔がない。
もちろん部員は僕とR君の2人なので駅伝大会に出る事もできない。
こんな思いを背負って僕は兵庫県での陸上生活に幕を下ろしました。
正直、辛かったです、悔しかったです。
持ち前の明るさとは裏腹に全てに置いて絶望でした。
この引退と共に小学生からの夢だった箱根駅伝の出場も諦めて陸上も中学で辞めようと思い、高校受験の勉強を始めました。

しかしその1ヶ月後、こんな未練しかない僕の陸上人生を180度変えてくれる魂の親友(たけ)に出会います。

この親友と出会った話は僕のYouTubeでの動画でも語られていますが(以下参照)
https://youtu.be/06QIOeVTr-E

そのたけと運命的な出会いをするわけです。
そこで自分の人生が大きく変わったのですが、次回はこの動画でも語られなかった部分や兵庫県から千葉県に転校してからの陸上生活をこの記事の続編として書いていきたいと思います。

という訳で皆さん読んでくれて
ありがとう〜!ありがとう〜!
次回もよろしくー!

※いつもサポートしてくれる方々本当にありがとうございます。これからの活動費用に大事に使わせて頂きます。この場をお借りして感謝申し上げます。


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