原木なめこと豊かな暮らし
十勝の田舎町で暮らしている。僕はきのこ農家だ。年の出勤日数は365日。毎日がきのこと向き合う暮らしをしている。季節の移り変わりも強く感じる。仕事柄、敏感にもなっているので、他の人よりも感じ方は強いのかもしれない。そして今年も10月23日がやっていた。
この日は、過去に僕が農家を見学するために町を訪れた日だ。それはもう8年も前のことになる。季節は秋だが、本州に住んでいた僕にとっては冬。雪もちらついていたから真冬と言ってもいいだろう。とにかく寒かったことを記憶している。
手伝わさせてもらった作業の中には、手が冷たさでしびれるほどに過酷なものもあった。原木なめこの洗浄だ。露地で栽培されているので、落ち葉などの汚れは酷い。広葉樹の葉はまだましな方だ。落葉松の針のような葉は量も多くやっかいだった。
収穫した原木なめこを流水で洗い流していく。水は井戸からくみ上げたものだ。とにかく冷たい。10分も作業をすれば、指先の感覚は消えてしまう。それでも止めることは出来ない。日没が迫っているからだ。
とはいえ、この作業は本業とは関係ない。趣味的に栽培しているそうだ。規模も小さく1時間ほどで終わった。聞けばこの時期だけの作業らしい。運がいいのか悪いのか、丁度のタイミングで僕は町に訪れてしまったというわけだ。
翌年、地域おこし協力隊となっていた僕は、変わらずに原木なめこの洗浄を行っていた。やはり季節は10月末。気象変化の激しい年であったが、なめこの発生時期は変わらない。もちろん水も冷たい。変わらないものがそこにはあった。それから2年後、僕は自分の農園の準備をはじめていた。傍らで、原木なめこの仕込みも行った。
おかげで、就農してからも冷たい水に悩まされた。販売も考えたが、コスパが悪いので見送った。なめこは近所に配る贈り物としては好都合。もちろん自家消費もする。次の年からは冷たい水ともおさらばした。自宅でぬるま湯を使ったのだ。品質には問題ない。その日のうちに食べてしまうからだ。
けれども、年を重ねるうちになめこの収穫量は減った。めんどくさいので採らなくなったのだ。美味しいが仕事にも支障が出る。もったいないが諦めたわけだ。故にシーズンで一回食べることが恒例に。採らなかったなめこは、全力で傘を広げ気持ちよさそうだった。
これくらいがいい。貧乏根性を出して、すべてを食べ尽くしていたら、きっと嫌いになっていただろう。それはなめこだけではない。季節そのものを嫌いになるだろう。それは避けたかった。いつも少し先の未来を望んでいたい。豊かな暮らしとはそういうものだと思っている。