北海道へ行きたいか?

医療系の研究施設で働いている。異動を繰り返して、今の現場は6ヶ所目。任されてる仕事は"お掃除"だ。そして現場を束ねるリーダーでもある。部下は1人。お家で過ごすことが大好きな姉さんと2人で現場をまわしている。

そんなインドア姉さんは出来る人だった。この現場も長い。オーナーからの信頼もある。新参者である僕の使い方もうまい。どちらがリーダーか分からないのである。

ここで気を付けたいのは、僕の頑張りが迷走することだ。現場を円滑に回すのがリーダーの役目なら、ときには一歩下がることも大切だと思う。実力がないなら尚更。故に僕はインドア姉さんのサポートに回ることにした。だからといって楽はしない。いつでもインドア姉さんの代わりを努められるよう、気は張っていた。

そうなると僕のリーダー業務は事務的なものが主流となる。勤怠管理や本社との連絡窓口。それは以前に『陸の孤島』と呼ばれていた事業所でも行っていたのでバッチリだ。

それと『本社会議』というものに出席しなくてはならない。それは年に何度か開催される。場所は東京。実はこれも以前に参加済みだ。そのときは『連絡員』という肩書で参加していた。今回は事業所リーダーとして参加する。

めんどくさいのだが、たのしみでもある。無料で東京に行けるからだ。もちろんカメラも持って行く。会議は午後から。つまり午前中は撮れるというわけだ。写真が好きな僕にとっては好機なわけである。

そして当日。午後からの本社会議は始まった。僕は前から3番めの窓際の席に着いた。ここでの僕は無口だ。けれども知っている顔は多い。会えばお話も始まるだろう。それがめんどくさかった。故に誰とも目に合わない席を探したところ、ここに行き着いたというわけだ。

ちなみに前2列はおえらいさんの席。実質、一般席の最前列だ。傍からみれば仕事熱心な奴に見えるだろう。だがしかし、見方によれば他社員と雑談という情報交換を一切しない”一番不真面目な奴”が僕だった。

会議の大半は各現場の報告である。1人づつ1分程度の持ち時間を使っての報告だ。僕はトップバッターだった。座った席がそうさせたのである。正直に言うと誤算だった。だが緊張はしたものの難なく済ませられたと思う。なぜなら台本を用意しておいたからだ。それだけではない。リハーサルも前日に自宅で行っていたのだ。何事も準備は大切。おかげでやらかすことはなかったのである。

他の人の報告が続く。ときおり知った声が聞こえた。新入社員だった頃にお世話になった大関先輩は、異動して割と大きめの事業所を任される事になったらしい。後釜には5番目の事業所でお世話になった四十路兄さんが入りリーダーとなっていた。

2番目の事業所でお世話になった係長も元気なようす。あいかわらず駄目社員の再生に励まれていた。3番目の事業所でお世話になった主任兄さんは、2つの事業所を掛け持ちでまわしているらしい。あいかわらずでたらめな人でよかった。

4番目の事業所でお世話になった闇リーダーもいた。声は小さく早口でよくわからない。内で威張る人は、外に出るとこんな感じなのだろう。

つまらないと思っていた現場の報告だが、蓋を開けてみればおもしろかった。内容はどうでもいいことばかりだが、知ってる人や場所の現在を知れて良かったのである。

営業部からの報告もあった。営業部の部長は人気者だ。女性社員からの支持は皆無だが、男性社員からの信頼は厚い。いつも取巻きに囲まれている。登壇しても笑いの野次が飛ぶほどだ。

「北海道でも1件の仕事が取れたから、行きたい奴は言ってくれ」。笑いが起きた。「誰もいかないっすよー」。野次も飛んだ。さすが部長である。場は盛り上がった。しかし一瞬部長が僕に強い視線を送ったように思えた。僕はそれを見逃さなかったのである。

本社会議は終盤だ。総務部の報告があり、社長の子守歌のような話も終わった。そして〆の挨拶は部長であった。

「北海道は涼しくていいところだ、行きたい奴は遠慮なく言ってくれ」。また笑いが起こった。すこしの間を入れて部長は言った。「タモツ、行くか?」。さらに笑いは大きくなった。

皆には申し訳ないが期待には応えられない。ここでの返しの正解は「勘弁してくださいよー」だと分かっている。けれども僕は北海道へ行きたい。その返しはできないのだ。

おそらく僕の素直な返しをすれば、せっかくの笑いも消えるだろう。それは部長も分かっていると思う。そう考えれば、僕は部長を誤解していたかもしれない。部長との付き合いは長い。僕は無口なので聞き役だ。悩み事を聞いたこともある。そういえば過去にこんなことも言っていた。

会社をうまく回すには人員の異動が必要だ。けれども承諾する者は少ない。会社は委託業者だ。彼らは会社の商品でもある。強制はもちろんだが、強く言うこともできず下手に出る方が多い。理想は"対等"だが、実際は現場の者の方が上の場合もある。もちろん異動を拒否する権利はある。こちらもそれは尊重したい。だがそれを当たり前と思ってほしくはないのだ。

おそらく部長はこの笑いを消したかったのだろう。

「行きます!」。現場の笑いは一瞬で消えた。空気も重くなる。皆はどん引き。「ありがとう。あとで連絡する」。そう言って部長は助けてくれた。

会議はお開きとなり、帰り際だが主任兄さんとすこしお話をした。僕の北海道行きが羨ましいらしい。会議の後で立候補もするつもりだったとか。さすが主任兄さん。この人もすこし変わっていたのである。

なにも部長の期待に応えたかったわけではない。だからといって皆の期待に逆らいたかったわけでもない。単に北海道へ行きたかったのだ。後日、部長と会った。車の中での密会である。

僕の北海道行きが内定した。だが直ぐにではない。そもそも僕は異動したてだ。頻繁に行う異動はお客さんにも迷惑が掛かる。故に1年後の異動が内定したというわけだ。

すこし待ち時間は長いが丁度よかった。僕の中の北海道と言えば写真の聖地。考えただけでもわくわくする。けれども写真の腕前が追い付いていない。ハイエンドのカメラを手に入れたが、まだまだ撮らされている状態だ。これを何とかしてから北海道へ行きたいのである。

前の事業所では仕事に物足りなさを感じていた。そのため上級資格を取ってみたが、今に思えば愚策だったと思う。生きがいみたいなものをサラリーマンの仕事に求めては駄目なのだ。遊びに向けた方がいいと思う。邪魔するものは無いからだ。

仕事は適当、遊びは本気。もちろんお客さんの要望には100%応える。できるだけ低い力でだ。残りは遊びに注ぐ。1年で写真のスキルを上げるために。これが僕の直近の目標なのである。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?