僕の思う最高の1枚

医療系の研究施設で働いている。僕は短期転勤族だ。今の事業所は5ヶ所目。楽しく働かせてもらっている。だが同僚の全てが短期転勤族ではない。むしろ転勤は多くて3回ほどと聞いている。一度も転勤を経験しない社員も多くはないが少なくもない。そう、僕は自ら異動願いを出すこともあるから短期転勤族なのである。なぜなら写真が好きだからだ。

とはいえ写真の撮り方は固まってはいない。未だに手探りな部分もある。最近になって手に入れたハイエンドのカメラに至っては気持ちで負けている。故に撮影のための遠出はしていない。景勝地に行けば被写体にも負けてしまうからだ。近場の公園で撮るくらいが丁度いいのである。

中判リバーサルの組み合わせは最高だ。青空をこんなにも美しく撮れるものは他にない。朝夕のマジックアワーを狙えば、文字通り魔法を使ったような一枚にも出会えてしまう。ディティールも素晴らしい。構図で視点誘導すれば、何気ない被写体も美しく見える。それが中判リバーサルの成せる技と思っている。

だがそれでは物足りないのだ。そもそもそれは『僕の思う最高の1枚』ではない。カメラやレンズの性能に心奪われてるだけなのだ。だからといって被写体のすばらしさに頼った写真も違うと思う。あくまでも違うのは『僕の思う最高の一枚』であって、そのような写真もいいと思いうし、見ていたい写真でもある。けれども、僕が追いかけたい写真とは違うということだ。

そのために近所で撮っている。近隣の公園はほぼほぼ制覇した。紅葉の並木道。池の柵。橋も撮った。銅像は写したらポートレイトのようだった。休んでる猫も撮らせてもらった。ベンチに置かれた空缶はよかった。階段もだ。

一体僕は何に惹かれ、何を撮っているのか。撮り続けているうちにすこし分かった気がした。それは被写体の名前では解像度が低すぎることだ。「公園」ではなく「公園内の紅葉の並木道」を撮ったように、「紅葉の並木道」ではなくもっとミクロな視点で見た被写体の名前が必要なのかも知れない。それは「黄色く染まった葉」や「規則正しい樹木の並び」とかではなく、もっと抽象的と思えるもののような気がした。

だがそれは抽象的なままでは駄目なのだ。すくなくとも撮影者となる僕は具体的に説明できなくてはならない。そうでないと撮影がギャンブルになってしまうからだ。それではつまらないのである。おそらく『僕の思う最高の1枚』とは、具体的な説明が可能な写真だと思っている。

たしかにこのカメラで撮るとすべてが美しく思える。同時にその理屈を知らないと先に進めないとも思った。だが今できることはそれを考えることだけではない。考えるための資料が必要なのだ。そう、まだまだ撮りまくる必要があるというわけだ。

海や川、湖、山へもでかけるようになった。あまり写真スポットになっていな所を選んだ節もある。マジックアワーを意図的に外しても撮った。もちろん近所の撮影も止めてはいない。レンズもひとつ増やした。焦点距離は45mmの広角レンズ。あいかわらず単焦点でマニュアルフォーカスだ。撮影のバリエーションはかなり増えた。試せることも増えたのだ。

やはり試行錯誤はおもしろい。はたして僕の写真スキルは上がっているのか。未だに『僕の思う最高の1枚』の輪郭は見えてこない。一体何に惹かれているのか。僕の写真は止まらないのである。

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