さよなら首都圏

医療系の研究施設で働いている。僕は短期転勤族だ。今も異動のための引継ぎを行っている。担っていたリーダー業務は、同僚の姉さんへ。優秀な人であり、前から少しづつ進めていたので問題なく引き継げている。そして残り2週間となったところで、僕の穴を埋める彼がやってきた。

彼は無口だった。加えて真面目。仕事の力量はいたって普通。そのかわり拘りが強い。反論はしてこないが、あきらかに不満そうな顔をする場面が多かった。その拘りも癖が強い。優秀かと言われれば違うと思う。リーダーとなる姉さんは項垂れていた。

考えても見れば納得する。優秀な人は異動しないのだ。そこのリーダーが放出にNGを出すからだ。そこの事業所を守るためには仕方ない。逆に使いづらい人材は両手で差し出す。故に穴を埋めるような人事配置では、邪魔者扱いされていたような人が来るのだ。

本当に仕方ないのである。誰も悪くはない。それでも悪者を探せば、それは僕だろう。北海道という勤務地に目がくらんで、上手くいっている事業所を後にするのだから。ごめん、姉さん。

そう、僕は北海道へ行く。端から見れば営業部の部長に気に入られたいがための行動に映っているかも知れない。もしくは僻地でも会社のために利益率の高い事業所を担当する英雄にも見えるだろう。

だが実際は仕事や会社のことなんて微塵も考えていない。単に北海道へ行きたかったのだ。僕は写真が好きだ。ジャンルは『風景』に近いと思う。そのため北海道は聖地と言っても過言ではない。そこへリスクなしで移住できるのだ。こんなチャンスは滅多にない。そこへ飛び乗っただけなのだ。

北海道への転勤が決まったのは、およそ1年前。そこから頑張ったのは仕事ではなく写真だった。せっかくの北海道行きも、写真スキルが低ければ宝の持ち腐れだ。すこしでも腕を磨いておきたい。その思いで撮り続けてきた。

最後の方は思い出作りのようになってしまった節もある。実家へも帰省した。実家近くの撮影スポットにも赴き、撮り直しもした。もちろん今暮らしている場所の近くのスポットも行き尽くしたと思っている。

4本目のレンズも手に入れた。105mm F2.4。フルサイズ換算でおよそ50mm。いわゆる『標準レンズ』というものだ。季節的に桜も撮った。すばらしかった。撮影OKなミュージアムにも行った。淡い光の中で手ブレと戦ったが、あたらしい境地を垣間見た気がする。

動物園にも出かけた。北海道へ行ったら旭山動物園にも行きたいからだ。まずはここで練習をしたというわけだ。

何気ない街の様子も撮影した。ここでも幾つかの発見があった。僕は『僕の思う最高の1枚』を目標に写真をやっている。そのヒントの1つを手に入れたと思えた。

そして仕事は無事に終わり、異動のための引越しを開始した。荷物は業者にまかしてある。僕は車で茨城の『大洗港』を目指した。フェリーに乗るためだ。乗船したのは夕方。明日の昼には北海道だ。

こんなに楽しんでいていいのだろうか。

僕の職業は実験動物技術者だ。資格もある。経験もある。次の現場では完全なるマネージャーとしての職務を期待されている。入社時と比べれば、とんでもない出世だ。だからといって、がむしゃらに頑張ったわけではない。『仕事は適当、遊びは本気』。その言葉も座右の銘になりつつある。

僕は一体、写真の何に惹かれているのか。そう思うことがときどき不安になる。仕事と趣味のバランスが分からない。本当は写真に惹かれている場合ではないのかもしれない。そんな中途半端な気持ちでは、会社やオーナーの期待に応えることは不可能なはずである。そのうち手痛い出来事が起こるのではなかろうか。

この楽しさが怖いのである。


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