就農することに決めた

十勝の田舎町で暮らしている。僕は地域おこし協力隊だ。任務は自身の就農研修と、所属している生産組合の活性化。基本的には農家さんのヘルパーとして働いているが、そろそろ次のフェーズへ進まなくてはいけない。このままでは生産組合は活性化どころか消えてなくなりそうだからだ。

僕の就農の決意は固まってきた。この地に伝わる技術が喪失することは、あまりにも惜しい。国内でも珍しい道内の栽培技術だが、その北海道の中でもこの地に伝わる技術は珍しかったからだ。

そもそも、生産物となる”きのこ”の一大産地は九州だ。北海道でも栽培は可能だが北限ぎりぎりだろう。そんな寒冷地での栽培は時間が掛かる。榾木の腐朽に1.5年を掛けると、品質の良い”きのこ”を発生させることができるが、『時間を掛ける』と『時間が掛かってしまう』では違ってくる。後者の方がより自然な栽培となるから品質も良くなるらしい。

だからといって、腐朽期間中にさぼっていてはダメだ。適切に動かし榾木の中の菌を刺激してやる必要がある。こうして生まれた”良い榾木”からは良質の”きのこ”が採れる。榾木から複数回にわたって”きのこ”を採るために、休養させる必要があるが、高速休養を可能にするためには、やはり”良い榾木”であることが重要なのだ。

これは寒冷地に特化した栽培方法ではないが、この方法を守らないと寒冷地での栽培は難しい。他所のように効率を上げるための”端折り”ができないのだ。

だが、そのメリットもある。難しいとされる菌種の栽培も可能となるのだ。旨味成分が豊富で美味い”きのこ”が発生する菌種がある。グアニル酸ではなくグルタミン酸が豊富な菌種だ。業界でも有名だが、栽培が難しいことでも有名。その菌種も、この地では栽培が可能なのであった。

『寒冷地、二夏林内伏せ、5K-16菌種』。この組み合わせは、おそらく考えられる上で最高の栽培方法である。ステータス的には日本一美味い”きのこ”を栽培できるであろう。これが喪失するにはあまりにも惜しすぎるというわけだ。

僕はこの文化を守りたい。その想いも強くなっていた。こんな僕にもアドバンテージもあったからだ。昔からこの地で”きのこ”栽培をはじめる者は多いと聞く。だが長続きはしないらしい。栽培が上手くいかなかったそうだ。おそらく微生物の基礎知識が乏しいのだろう。現役の農家さんの話を聞いても、そう思うことが多かった。

”きのこ”栽培は簡単だ。誰にでもできる。教科書通りに栽培すればいいのだから。だが、そうできない場面も多々ある。物理的に無理だったり、経済的に問題があるからだ。そのときは教科書通りの栽培方法から部分的に逸脱する。そこだけ我流な栽培方法になる。そんな我流の栽培方法を構築するときに、微生物の基礎知識が乏しいと、致命的な欠陥を生み出すことになるわけだ。

僕は元実験動物技術者だ。菌の振舞いは熟知している。業務で菌の培養もしていた。加えて学生時代には、微生物学の他にも、遺伝子工学や細胞工学、生化学など、”きのこ”栽培に関わる知識は有していた。栽培方法で省いてはいけないもの、省いていいものの判断はできる。僕のアドバンテージとはこれのことだ。

都会暮らしに疲れていた。サラリーマン的な働き方にも疲れていた。写真と向き合う時間が欲しかった。これらはすべて地域おこし協力隊となってまで移住したかった理由だ。正直に言うと、”きのこ”栽培はその手段でしかなかった。

だが、ここに来てすこし気持ちは変わった。この文化を守りたい。僕の就農の決意とは、そういうことなのである。

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