第二の人生考える

医療系の研究施設で働いている。僕は短期転勤族だが、今の事業所では1年以上もお世話になっている。最近にしては長い方だ。仕事は安定している。特にストレスになっていることも無い。しいて言えば都会暮らしが不慣れなだけだ。異動願望も少ないのである。

僕の業務内容は社員のマネジメント。新社会人も3人含まれている。彼ら彼女らは優秀だ。僕の負担も少ない。ただ、そのうちの1人から相談を受けた。

『会社にはなんて言えばいいですか?』。退職したいのだが、その理由は伏せておきたいらしい。聞けば、他にやりたいことがあったのだが、諦められずに再び挑戦したい、とのこと。内心、僕は彼女の退職に反対であった。ひっかかるところがあったからだ。

彼女は今の生活にストレスを感じているようだった。その理由も前々から話してくれていた。そこから抜け出すための口実に『挑戦』を使っているかも知れない。そう思ったからだ。心が弱っている時に挑戦はしない方がいい。ただただ逃げ出せばいいのだ。異動という手もある。本社への退職理由を偽りたい裏には、なにか後ろめたさもあるのかと思ってしまうわけだ。

だが、僕は仕事上の上司だ。プライベートな部分まで詮索することはご法度。部下の意思には無条件に尊重したい。退職理由は『一身上の都合』でいいことを彼女に伝えた。それに加えて過去に退職した人のエピソードを何件か伝えた。そこから彼女にとって何かしらの足しになることがあったら御の字だ。後日、交換日記のようなOJTノートに、それにまつわる感想が綴られていた。どうやら上手く伝わったようであった。

そう、僕の会社は退職者が多い。その理由も多種多様だ。割かし夢を追ってやめる人も珍しくない。この仕事に魅力が無いのだろう。いとも簡単に皆は辞めていく。僕も例外ではないだろう。ただ、僕の場合は退職願が異動願に変わっている。仕事や職場に愛着が薄い。そのことは自覚していた。

そんなことはオーナーとも話す。そのためか、やたらと僕の転職先を持ってきてくれる。もちろんヘッドハンディングも含めてだ。中には農家になれる案件も勧めてくる。地域おこし協力隊という制度だ。僕が北海道に未練たらたらなことを知っているから、嬉々として勧めてくるわけだ。

とはいえ、今の僕は安定している。給料も周りと比べたらいい方だ。経験が豊富なこともあるが、担当している事業所の離職率が、周りと比べたら圧倒的に低いからだろう。おそらくリストラ候補にも選ばれていない。会社の欲しい人材になれているというわけだ。

離職率の高さは会社の重要課題にもなっている。定期的に開催される本社会議では、それが議題に上がることも多い。コンサルを招いてワークショップが開かれる程にだ。

「部下とは毎日雑談をするようにしています」。その発言の主は知っている人だった。裸王さん。僕の4ヶ所目の事業所でお世話になった人だ。ブラックな職場で諸悪の根源の1人。実力はないのに威圧だけで上役をまっとうする『裸の王様』のような人だ。時を経て、ワークショップで同じグループになってしまったのである。

「タモツ君ちゃんとやってる~?」。あいかわらずのマウント体質。当時、裏から手を回し、あの事業所から彼女を追い出したのは僕である。そのことを言うか迷ったが踏みとどまった。代わりに上級資格の取得と、最高峰事業所での勤務実績を伝えた。彼女に返す言葉はない。僕は大人げなかったが、追加でワークショップ的な言葉を投げておいた。

「部下との雑談を増やしても、部下にしてみれば”上司と雑談する”という仕事が増えるだけですよ」。グループの空気は固まった。正論過ぎたのかも知れない。

そもそもだ、雑談しただけで部下からの信頼を得られるわけがない。『どうしたら部下の信頼を得られるのか?=どうしたら部下をコントロールできるのか?』。まずはこの図式を壊した方がいい。コントロールしようとする者に信頼を寄せるわけがない。そう考えれば、このワークショップの開催自体がマイナスなのである。

だが、そんなことは言えない。本社会議での僕は、過去の僕だ。基本的に無口。座る場所も変わらない。前から3列目の窓側の席。陰キャの特等席だ。故にワークショップもそのまま続く。

「となりの人と雑談をしてみましょう」。めんどくさいのである。隣の席には大関先輩が座っていた。僕が入社時にお世話になった人だ。頭は上がらない。知った人ではあるがしんどい。この雑談にはお題があるからだ。『相手の興味あることを聞く』。大関先輩はパチンコが好きだ。僕もやったことはあるが興味が無い。その話を膨らますのだ。僕は”上司と雑談する”という仕事を淡々とこなしたのである。

部下からの信頼を得る方法は、部下を信頼すること。それ一択だと思う。まずはこちらから信頼を寄せるのだ。それは難しいが、部下の『がんばります!』の言葉を担保にして進んで行く。難しいが単純なことなのだ。

なにもこれは僕があみ出した方法ではない。そんなようなことが本に書いてあった。『ドラッガーのマネジメント』。その本を読めばいい。わざわざお金の掛かるワークショップを開くまでもない。そのことが分からない本社に対して、すこし信頼が置けなくなった。

僕もそのうちに退職するのだろうか。夢とは言えないものだが、もうすこし写真と向き合う時間はほしいと思っている。そのためにアクションを起こす日も来るかもしれない。それがすこしの不安材料だ。


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