モリア

スポーツマンに見られがちなインドアマン。忘れたような些細なできごとに、光を当てるブログ…

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スポーツマンに見られがちなインドアマン。忘れたような些細なできごとに、光を当てるブログです。

最近の記事

バッドエンドには、つづきがある

30歳でCMの企画を書く仕事を始めたのですが、その仕事を始めて1年半ほど経った頃、チャンスが回ってきました。 当時、わたしは、結構ひどい生活をしていました。週に20から30本ほど企画案を書きながら、夕方から深夜までダラダラと打合せして、深夜25時から接待で飲みにいく。始発前にタクシーに乗って帰宅し、昼前に起き、企画案を練ってから昼過ぎに出社して、夜の打合せに備えて企画書作成と資料収集をする。まだ業界のことをよくわかっていなかったので、いつかはこんな生活も終わると希望を抱いて

    • 先生の思い出

      小中高を通して、先生のことが、あまり好きではありませんでした。 子供相手だと思って漫画の名言をさも自分が思いついたように言ったりする先生。体罰の後に、妙にいいことを言って感動させようとする先生を見ながら、僕は「それの元ネタ知ってるで」「何に憧れとんねん、このおっさん」などと白い目で見てました。たまに、聞こえるように口に出すことすらありました。 高校2年と3年の担任だった先生は、いつもタバコの臭いをさせて、見た目は頼りなさそうな感じで、「のび」ってあだ名呼ばれてました。

      • 僕はメインストリームではない

        高校に入ってすぐ、GW前に、事故に遭いました。 買ってもらったばかりのマウンテンバイクを軽快にかっ飛ばしてたら、十字路で右から入ってきた車に激突。 ガンッ・ドンッって音とともに宙を舞い、右肩からアスファルトに落ちて、立ち上がると右手がグチャっとしてました。 救急車で運ばれ、そのまま2ヶ月の入院となり、高校入学してすぐ学校生活からフェードアウト。 入院生活は、今思い返してもほぼ楽園で、毎日漫画読んで、寝て、広い病院内を散歩して、たまにコンビニで買い食いして、漫画読んで、

        • アツシはいません

          高校生の頃、学校をサボってよく家で寝てたら、 担任の教師から「アツシくんはいますか?」って電話がかかってきました。 (モリアの「ア」はアツシの「ア」なんです) 僕は、毎回、兄のフリして「アツシはいません」とぶっきらぼうに応えて、 電話を切っていたんです。 めちゃくちゃ声が似てる兄弟っているし、そういう設定でいったら、 声色を変えたりしなくても、バレないと思ってたんです。 担任「モリさんのお宅ですか?」 ぼく「はい(と応えながら声で担任だとわかる)」 担任「石

        バッドエンドには、つづきがある

          モリア・ミーツ・ワールド

          妻と朝食に、初めての酵母パンを食べながら、 生の酵母パンってすごく美味しいねって話をしてたら、 京都ボローニャのデニッシュパンのことを思いだしました。 20年ちょっと前、 三条大橋を渡ったところに京都ボローニャの路面店があって、 通りすがらデニッシュパンの試食ができたんです。 僕は、初めて食べた試食のそれが美味しすぎて、 三条通りを何往復もして、何回も試食を繰り返してました。 三条大橋から高瀬川に向かって歩きながら、 店前に出てる試食ケースに左手を伸ばして、

          モリア・ミーツ・ワールド