墜落するひととき【ショートショート #18】【ホラー】
今日は朝から晴れていた。雲なく、遠くの山の稜線が、前日の雨のおかげでくっきりと見てとれる。
「暑いなあ、せっかく教室にクーラーがあるのになんでつけないんだろう」、と思いながら、開け放たれた窓の外を眺めていた。すると、きらきらと光る何かが窓の外を落ちていった。
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「きゃーっ!」
私のクラスの髪の長いまん丸顔の女の子が、窓の外を指差して叫び、三年六組は騒然となった。
「どうしたのっ? 何があったのっ?」
私はその生徒に駆け寄り、できるだけ落ち着いている風に尋ねた。
「人が……。人が落ちたのが見……」
女の子は、自分が見たことを言葉にすることでようやくその恐ろしさに追いつき、泣きはじめた。
来たか、と私は思った。この小学校に赴任してきて四年目になるが、毎年、7月になるとこの位置の教室の誰かが見ることになる、人が落ちていく姿を。
今年、この位置の教室でクラスを担当することになった時、校長室に呼び出され聞いてはいたが、いざ本当にそれに直面すると頭が真っ白になるものなんだなあ、と変に冷静に自己観察をしていた。
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「今日も一日ご安全に!」
小学校の建替え現場の朝は早い。八時に現場に集合し、現場監督の朝礼から始まる。
僕は、高校卒業後にすぐに就職したのが、今の電気設備会社である。僕が生まれた時から就職氷河期で、なんとか職につけたのがこの電気設備関係の仕事だ。
僕は朝六時に起き、「いのうえ電設」に七時前に出社する。そこで会社の朝礼を済ませ、作業車であるスズキエブリーの軽バンに今日必要な工具や材料を載せ、現場である小学校に四〇分かけて向かう。
小学校は五階建てで全校児童は一五〇〇人を超えるマンモス校だ。建て増し建て増しで増設されていたが、老朽化のため県もいよいよ重い腰を上げ、建替えに歩踏み切ったようだ。建て替えの話は僕が小学生の時から言われていて、実はこの現場は僕の母校でもある。
僕が学んできた校舎は、取り壊されて跡形もなく、そこには五階建て剥き出しのコンクリートの棺桶のような箱が鎮座している。その周りには足場が組まれていて、グレーの養生シートが覆っている。その一箇所には「墜落災害をなくそう‼︎」「玉掛け作業の基本3・3・3運動」とかわいらしいイラストと共に書かれたカラフルな横断幕があり、現場監督が朝礼をするときは、それをバックにして行われる。
今日、僕は職場の班長に、五階で設計図の見かたを教わりながら、電気配線を朝から引いている。必要な工具や材料があれば、五階のまだ窓枠のついていないコンクリート剥き出しの四角い空間から、数十センチ先の足場へと飛び移り、足場の階段を駆け下り車に向かい、必要なものを取り足場を駆け上がる。十時や三時の休憩は現場の建設事務所前にある自動販売機に頼まれた飲み物を買いに行く。その時は大抵は奢ってもらえる。そんな感じで一日に何度も行ったり来たりしていた。
班長が腕時計を見る。十時八分だ。
「芳雄! 十時休憩をしよう! ジュース買って来てくれ! 俺はミルクティを頼む。足りない分は自分で出してくれ」
そう言うと、班長は三百円を僕にくれた。僕はそれを受け取ると、工具が一〇キロ以上ぶら下がっている安全ベルトを外し、埃まみれのコンクリートの床にガシャりと放り出す。身体が軽くなり機動力が一気に上がる。僕は勢いよく走り出すと、コンクリート剥き出しの窓枠にひょいと登り、足場へと乗り移る。
その瞬間、左足が何かに引っ張られる。体勢が後ろに崩れそうになる。右手で足場の支柱を掴もうとするが、ギリギリのところで手が届かない。後ろにのけ反るようにして倒れていく。体を捻り下を見る。脛まである黒い合皮の安全靴の紐が解け、窓枠のアルミサッシを将来固定するためにある鉄の棒に絡まっていた。
左手に握っていた百円玉が三枚こぼれ落ちていく。身体がどんどん倒れていく。左足をぐきりと捻り激痛が走る。窓枠に手をつこうとするが、砂埃でずるりと滑りスコンと抜ける。側頭部をコンクリートに打ち付ける。眼鏡が弾け飛ぶ。そのまま身体は足場と壁との間に落ちていく。ガコガコと手と足が足場板や支柱に当たり、大きな音を立てながら頭から落ちていく。
建物の中を眺めながら落ちていく。教室が完成していた。なぜか窓にはアルミサッシが入っていて、子供達が授業を受けていた。その中の一人の女の子と目が合った。髪が長くまん丸な顔の女の子が、僕を指差して何か叫んでいた。百円玉が弾ける音が聞こえた。
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