感情との付き合い方。感情は身体感覚からはじまる
イラついたり、不安になったり、楽しかったり、平和な気分になったり、オレたちは生きている限り、いろんな感情を体験する。
できれば不快な感情は起こってほしくないし、楽しかったり、うれしい気持ちをいつも味わいたいと願う。
さて、みんなはこんなことを考えたことはないだろうか?
そもそも不快な気持ちとか、うれしい気持ちってなんなんだろう?
どうして不快な気持ちは味わいたくないのに、たのしい気持ちを体験したいと思うのか、って。
オレはある体験を通じて、ちょっとだけその深淵に触れることができたように思う。
ある日オレは友だちとファミレスでお茶をしながら、当時ハマっていた占いのようなものについて熱く話していた。そして、友だちを占ってあーだこーだと饒舌に語りまくった。
そういう時って周りが見えなくなる。友だちは途中からもうその話はいいと思っていたのかもしれないが、オレはとまらずペラペラと最後まで話しきったのを覚えている。
そして友だちと別れ帰り道、車を運転しているときに、ようやく気がついた。
相手のことを考えず喋りまくっていたってことに。
そして急に不安になってきた。相手に嫌な思いをさせたかもしれない。いま友だちはうんざりしているかもしれない、という考えが頭に浮かび不安な考えが止まらなくなった。
ああ、嫌われたかもしれない、がっかりされたかもしれない、距離を取られるかもしれない、と、頭は勝手に妄想を膨らませ、不安と自己嫌悪は止まることを知らない。
なんと言って謝ろうか、どんな言い訳を言おうかと、頭の中でのリハーサルはぐるぐると同じセリフを繰り返しつづけた。
30分以上はうだうだと考えていたと思う。そしてようやく思考は同じことを考えつづけることに疲れ果てウンザリしてきた。
そのときふと思った。
頭にある質問が降りてきたのだ。
「何がそんなに嫌なんだろう?」と。
この問いは、本質に対しての深い質問だと、直観的に感じた。
単純に「嫌われることがイヤ」とか「友だちが自分から離れていくことが怖い」とかよりも、もっと深いところを問われたものだとオレは受け取った。
そして意外にもすぐに答えは出てきた。
たぶんこの質問をしてきた無意識は、はじめから答えを持っていてオレに聞いてきたのだと思う。
それは、もちろん嫌われたり、がっかりされたりするのは嫌なんだけど、嫌われたときにオレが体験する、悲しいとか、つらいとかの感情を味わいたくないがあるが、さらにその奥があることを。
それが嫌なのだと。
それは身体感覚、内受容感覚だ。
そして、感情をつくっているのは身体感覚(内受容感覚)である。
胸のざわつき感、締めつけられるような感じ、息苦しさ、お腹のあたりが撹拌されているような、そういった身体感覚が耐えがたく居心地が悪くて、それが嫌なんだとわかった。
オレが嫌で避けたいと右往左往しているのは、「嫌われたくない」という考えでもなければ、不安とか心配だという感情でもなかった。
オレが嫌だと思っていたのは、この居心地の悪い身体感覚だったのだ。
オレの無意識はとにかくこの身体感覚が嫌で嫌でしょうがないんだと、オレの意識が気づくことができたのだ。
それが心理学的に、精神医学的に、哲学的に、スピリチュアル的に正しいとか間違っているとかは、どうでもいい。
その問いに対して出てきた答えに、オレの中の何かがしっかりと腑に落ちて納得したのだから。
そこからは話が早く、30分以上も悩み苦しんでいたオレは、いっきに晴々とした気分になった。
なんだ、オレはこの体の感覚が嫌なんだと、そして、その感覚に翻弄されて、頭が暴走して妄想がはじまり、感情がネガティブに反応したんだなと理解した。
この身体感覚から始まっているとわかって仕舞えば、観察の対象は、思考でもなければ感情でもなく、体の感覚になる。
確かにこの身体感覚は不快だ。胸のざわつき感、締めつけられるような感じ、息苦しさ、お腹のあたりが撹拌されているような感覚。
しかしその感覚をただぼんやりと観察していれば、次第に消えていく。
思考を鎮め、感覚に集中する、味わうのだ。その感覚にいいも悪いもありない。
ただの感覚だから。
その不快な身体感覚が落ち着いて仕舞えば、ネガティブな感情も、妄想した思考も落ち着いてくる。
そうなればあとは冷静に、事実を見つめ対応するだけだ。
今回のことでいえば、「今ハマっている占いのことで頭がいっぱいになって、あなたのことを考えずに、一方的にあーだこーだと話してしまって反省しています。」みたいな自分の正直な気持ちを伝えればいいだけ。
かっこ悪いけど、ありのままを表現する方がいいと思ってる。
事実、こちらが正直に話すと、相手もありのままの気持ちや考えを伝えてくれて、お互いの理解が深まった。
ざわついた感情に翻弄された状態で考えて行動しても、結果として自分の中にモヤモヤが残る。
だからもし、感情的になるような出来事があったとき、まずは、身体感覚を感じることに意識を集中してみるといい思う。
感情が大きく振れているときは、深呼吸をして少し落ち着かせてからの方がいいだろう。
まだ言葉になっていない、感覚を大切にしていきたい、、、。
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