見出し画像

「データエンジニア」という私の仕事

「仕事は何をしているの?」と聞かれるときに、一言で説明するのは難しい。データベースを設計・構築したり。レポートやダッシュボードを作成したり。そのデータベースとレポートの中間地点で、データ解析をしたり。かと言ってガッツリ技術的なことばかりに毎日やっているのかと言えば、クライアントのビジネス上での問題点を洗いざらい一緒に話し合ったり、その後で仕様を一緒に探ったり、とソフトスキルを酷使するような仕事もする。だから「仕事は何してるの?」と聞かれると、ショートアンサーはいつでも「IT系」とぼかすしかない。

そもそもこの記事を書こうと思ったのは、「エンジニアでよかった」というnote企画を見つけたのがきっかけだ。上記の理由で、仕事のことを書くのは面倒なので普段なら素通りするのだが、最近私のジョブタイトルが変わった。「インフォメーション・システムズ・スペシャリスト」というよく分からないタイトルから、「データエンジニア」になったのだ。エンジニア、という言葉に馴染みがなかったので少し戸惑ったが、仕事内容が劇的に変化したわけではない。とは言え気になるこの「エンジニア」という職種に(名前だけ)なった私が、この企画に反応したのにはご納得いただけただろう。今日は細かい仕事内容はさておき、私がエンジニアでよかったな、と思うことに焦点を絞って書くことにする。

論理と感情が交差する仕事

エンジニアという名前を聞くと、どうしてもバリバリ理系なイメージだが、実はそうでもない。私自身、日本では短大の英文科で、合コン三昧な毎日を送った(←聞いてない)。日本で営業事務の仕事を数年した後で渡米。こちらでプログラミングを学び、運よくプログラマーアナリストという最初の仕事に就くことができ、何度かの転職を経て、今は公務員だ。

コードを書くのは確かに論理が必要。If Else 構文を書くのに、感覚で「今日はIfの気分〜」なんて勝手は通用しない。機械学習のアルゴリズムを選ぶのだって、慎重にデータを分析した上でだし、データベースを設計するのだって、多くのデータを素早く引き出せるように緻密に考慮していく。でもエンジニアの仕事はそこで終わらないのがおもしろくて難しいところだ。

というのも、多くのビジネスの問題の解決法というのはひとつではないからだ。みんな、「技術的に解決する」と言ってうまく「技術」という言葉を使ってサラッと流すが、実際はその言葉で示唆されるような、ひとつの技術、という意味ではまったくないのだ。データベースを設計すると言っても、どこに設計するの?どの部署が所有する?といった質問を何度も話し合う必要がある。その答えによって場所やコネクティビティだけでなく、その部署の今後の発展性や他部署との兼ね合いも考慮に入れないと、ただ一般受けするような設計は危険だ。プログラミングのコードを書く前に仕様が明確になっていないといけないが、その十分な明確さに辿り着く前に、クライアントのビジネス上の問題を言語からも非言語からも探らないといけないし、そのためにはよい関係性も築かなければならない。時々その過程が恋人をゲットするまでのめんどくさいやりとりのように感じることさえある。合コン三昧の短大での懐かしい日々で勉強したヤツだ(←違う)。

そうやって、理系・文系と単純に分けるだけでない、あらゆる方面から問題解決に向けてアプローチをするエンジニアは、挑戦しがいがある尊い職種だと思う。

刺激しかない

技術職=一生勉強だ。よって刺激的な毎日だ。私の座右の銘のひとつである、相田みつをさんの「一生勉強・一生青春」という言葉を日々実践しているということになる。

技術はものすごい速度で進歩する。私が大学にいたときはC++やJavaが最先端で、これさえ身につければ就職は比較的楽にできた。今はどこもかしこも機械学習で、夏休みにインターンでやってくる大学生たちも、必ずPythonのクラスを取っている。一昔前までは、ETLツール(Extract、Transform、Load)を扱えるというだけでヘッドハントの電話が鳴り止まなかったものだが、今やインドや中国へアウトソースされ、これだけで生き残るのは困難だ。常に新しい技術を習得し、なんとか仕事でそれを使う機会を作り出し、履歴書を更新し、いずれ来るかもしれないレイオフ、はたまた給料アップに結びつく転職に備える。こういう勉強はとても刺激的だ。逆に言えば、一度就職したら勉強なんかしたくない、という人には超絶不向きということにもなる。

私にとってプログラミングはパズルとかゲームのようなものだ。解決したい問題があって、それに向かってコードを書いていく。その過程は邪魔されたくない、と思う気持ちは、刺激的なゲームの攻略に夢中になっている最中に邪魔されてイラついた経験がある方なら馴染みがあるのではないだろうか。私は仕事以外の週末でも気が向くと時々プログラムを書いて遊んでいて、実はさっきまでPythonでチャットボットを作っていた。

言語と場所を選ばない - 英語のハンデ・通勤からの解放

これは個人的に大きい利点だ。私はアメリカで仕事をしているが、英語はネイティブではない。そんな私がこれまで大きな企業を渡り歩き、公務員にまで辿り着けたのは英語以外の言語、つまりプログラミング言語、が周りのアメリカ人と変わらず扱えたからだ。よってこの業界には移民が多くいるのが特徴的だ。

場所を選ばない、というのは、手に職があることによって、転職が比較的容易だということだ。現に今シリコンバレーなどではエンジニア不足が深刻で、完全なる売り手市場とのこと。私のチームでも今エンジニアをひとり募集していて毎週のように面接を実施しているが、これまでに比べていい人材にはほとんど巡り会えていない。

場所を選ばないということは、世界中どこからでも働けるということになる。自宅から働くテレワークもその一部だ。コードはオフィスだろうが自宅だろうが書けるし、時々クライアントと話したいならzoomを使えばいい。ちなみに私の職場はオフィスから遠く離れた州に引っ越してもいいことになっている。コアタイム(10時から3時)にログインすること、そして月に一週間通勤してくること(費用は職場持ち)が条件ではあるが、生活費が安い州に引っ越す職員がコロナをきっかけにますます増えた。お役所でさえこれなのだから、企業だったら国境をまたいで仕事をすることも許されているはずだ。それは今後のライフスタイルを柔軟に考えられるという大きな利点を提供してくれる。

まとめ

エンジニアになって心からよかった、と思う3点を説明してみた。数学と理科が大の苦手で高校では赤点ばっかりだった私が今エンジニアとしての生活を楽しんでいるのだから、人生とは何が起こるか分からない。そういった人生での様々な岐路に立たされた時に、柔軟なライフスタイルが約束されていがちなエンジニア職はとても魅力がある、ということをわかっていただけたら、と思う。


#エンジニアでよかった

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?