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数学が通年赤点だった高校生がアメリカでエンジニアになる話
「人生何が起こるか分からない」とはよく聞く言い回しだ。だから有事の備えをしておけ、という教訓の一部に使われがちだが、私はここでお説教がしたいわけではない。思ったとおりに進まないのがデフォルトなのが人生なんだったら、荒波に立ち向かわずにその都度で波を楽しみつつ乗り越えるサーファースタイルが効率的、という人生50年近く生きてきた私の結論をお伝えしようと思ったまでだ。
中学でちょっとしたイジメにあった私は高校に入って輝かしくないデビューを果たした。髪色を変え、ピアスをあけ、いろいろなバイトをし、いろいろなやっていいことと悪いことをした。そんな私の優先順位の最下位にあったのが学校の勉強だったのは容易に想像がつくだろう。文系の科目はかろうじて赤点は免れていたが、苦手意識が強い数学に関しては通年赤点で先生に毎回呼び出しをくらう絶望的な高校生活だった。
長い話は端折らせてもらうが、その後なんとか高校を卒業し、短大の英文科に入り、就職&転職を経て、日本に嫌気がさした私は必然的に海外へ目を向け、気づけばアメリカの大学に貧乏学生として在籍していた。
専攻はコンピューターサイエンス。理数系の科目がさっぱりダメな私だったので、両親は私が深酒し過ぎてノリで選んだのでは?と訝ったが、これには深くて浅いわけがある。まぁ早い話が、私の英語力だ。レストランでろくに自分の食べ物も注文できない私が、日本の短大で学んだ英文学をアメリカ人学生と共に学ぶのは無理がある。卒業後にアメリカで就職することを視野に入れていたので、英語のハンデが最小限にとどめられる専攻と言えば、コンピューターサイエンスかアートだった。私の美的センスは数学よりもさらに絶望的だったこともあり、消去法でコンピューターサイエンスしか残らなかったのだ。
とは言え、当時コンピューターサイエンスの学位を持って卒業すれば、就職はひくて数多だった。特に私は誰もが知る投資銀行で夏休みのインターンシップに参加したりもしていたので、面接に漕ぎ着けるのは容易だった。・・・ビザの問題さえ除けば。
私が卒業したのは2001年12月。つまりあの9−11の直後で、留学生の採用どころではない時期だった。もちろん日本に帰国して就職する方法もあったが、あえてこちらに残りたかった私は、H1Bビザという労働ビザを確実に出してくれることが分かっている、自分が卒業した大学にプログラマーとして就職することにした。周りの同級生たちが私よりもずっと高い年俸を提示されて飛び立つ中、私は36000ドル(400万円強)で同じ大学にも学生アパートにも止まる決意をした。
その後数年して永住権の取得まで漕ぎ着けた私は、大手コンサルティング会社に転職することになる。大学で働いていたときに、4年生向けのリクルートイベントにきていたその会社に、卒業していたにも関わらず図々しくも応募させてもらったのだ。めでたくオファーをもらい、何歳も若い新卒の子たちと新人研修を受けた。
コンサルティングファームでは通算8年お世話になった。毎週いろいろな州に出張をして、その中にはつらい経験もあったが、最終的に履歴書に大きな大きな箔をつけた。その後出産を機に国家公務員となり、IT系エンジニアとしての今がある。ワークライフバランスもあり、他に類を見ない優れた福利厚生を楽しみ、仕事も楽しく、毎日数学的ロジックと格闘する生活は自分に向いていると思う。高校時代に数学のテストで赤点三昧だった私は、理数系の授業における苦労はもちろんあったが、人間というのは選択肢がなくなると文句を言う口よりも、働く手が動く。この摩訶不思議な現象は経験者にしか分からない。
さて、何が言いたいんだって話だ。結局人生はなるようにしかならないし、その都度心身が壊れないレベルで最善を尽くすしかない、ということをおそらく私は言いたい。振り返ると私に転機はいくつかあった。
高校で数学赤点の毎日
日本がイヤになり海外に飛び出す
アメリカの大学で英語ができずコンピューターサイエンスを専攻する
ビザ欲しさに大学でプログラマーとして就職
経験欲しさに新卒としてコンサルティングファームに就職
ワークライフバランス欲しさにIT系国家公務員になる
最初に挙げてある数学の定期テストで赤点の常習犯だった高校時代以来、私は流されるままに、もがきつつもその時点で最適な選択肢を掴んできたと思う。確固とした意志があったのかと言われれば答えはノーだが、その時々で努力をしたかと聞かれれば確実にイエスだ。
人生は変えられる、なんて無責任なことを私は言わない。そんなことができるのはよっぽど運がいいか恵まれているかだけだと、大人の私は知っている。それでも人生を諦めちゃいけない、と思うのは、経験上やはり「人生何が起こるか分からない」からなのである。
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