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2022年4〜6月に読んだ本まとめ

さぼりにさぼった結果、3ヶ月分をまとめて書く事態になりました。

「読書の記録なんてだれも読まないやろ」とぐだぐだしていたら、思わぬところから「まだですか?」という言葉をいただいて、それだけでやる気がでました。ありがとうございます。

4月

目録(10冊)

掃除婦のための手引書(ルシア・ベルリン)
現代思想入門(千葉雅也)
うつくしい列島(池澤夏樹)
白い鶴よ、翼を貸しておくれ(ツェワン・イシェ・ベンパ)
ハイデガー「存在と時間」(100分de名著)
ボートの三人男 もちろん犬も(ジェローム・K・ジェローム)
言葉の守り人(ホルヘ・ミゲル・ココム・ペッチ)
引き裂かれた世界の文学案内(都甲幸治)
タブッキをめぐる九つの断章(和田忠彦)
白痴 3(ドストエフスキー)

4月は千葉さんの「現代思想入門」の印象。
哲学は素人だけど、先人の頭の中をのぞく感覚だけでなくて、それらが集まった大きな思想の潮流みたいなものにも触れているような感じが面白かった。帯にもあるように、単にひと昔前の哲学者の思考を知るための本というより、今ここを自分はどう生きるかという目線の持ちかたに直結する本。

千葉さん本人にシェアされたり、それがきっかけで前職の同期だった人から連絡がきたり、ちょっとした波がたったようで面白かった。書いてみるものだなーと思ったnote。


先日新刊(といっても筆者はすでに亡くなっているので遺稿集)が出たルシア・ベルリンの「掃除婦のための手引き書」も印象的。静かな口調で語られるのは、壮絶な筆者自身の物語。創作もほんの少し入っているそう。

めちゃくちゃといってもいいくらい波乱万丈な人生だが、ふりかえる目線はどこまでも透明で空気のように軽い。まるで他人のことをしゃべってるみたい。何事にも動じない姿勢には「百年の孤独」のような静けさを感じる。


白い鶴よ、翼を貸しておくれ」はチベットの歴史をもとにした小説。
チベットの人々は独特の気風や習慣を持っている。勇敢さを示すために自分の指を切り落としたり、悪いことをした村人への容赦ない制裁、女性への差別的な眼差しなど。そうした文化の描写が最初、正直しんどかった。

本来は我慢して読むべき本などないはずなんだけど、もやもやしながら先を読むうちに、そのいやーな感じが、作中でチベットに次々入り込んでくる「他者」の発想そのものであることを知る。
他者とは、チベット人をキリスト教に改宗させるために送り込まれたアメリカの宣教師や、共産主義の旗を掲げて国ごと取り込もうとする中国共産党の兵士たちのこと。

人間関係のベーシックな部分に暴力が介在することを是としない。野蛮な未開人に対して、その習慣は人道的に正しくない、人を傷つけないのが真っ当な人間だ、と布教することは正しい。
というのは、一見ふつうの主義主張に見えるが、それは力のある国々のエゴでしかないのかもしれない。

強権的でチベット仏教を侮るような態度を見せるアメリカ人や、圧倒的な軍事力で直接チベットを制圧しようとする中国人に対して、同じ強さの力で抵抗せず、宗教への寛容を説くチベットの宗教者たちの言葉は重く、永い歴史とチベット人の誇りに支えられた強靭な精神を感じる。
気が重いのは、この話が決してフィクションではなく、今もそういう先行きの見えない状況にチベット人たちが置かれているということ。

4月にはほかにも文学関係の本を読んだりした。


5月

目録(11冊)

服従(ミシェル・ウエルベック)
夜と霧(ヴィクトール・フランクル)
アムリタ(吉本ばなな)
夏物語(川上未映子)
白痴 4(ドストエフスキー)
二十歳の原点(高野悦子)
なにかが首のまわりに(チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ)
三十の反撃(ソン・ウォンピョン)
供述によるとペレイラは…(アントニオ・タブッキ)
トルーマン・カポーティ初期短編集(トルーマン・カポーティ)
都市は何によってできているのか(パク・ソンウォン)

小説やエッセイが多かった5月。連休もあったので積読の消化が進んだ。

最近読み始めたウエルベックは、フランスで今もっともスキャンダラスな作家と言われているらしい。「服従」も一見突拍子もない話に思えたが、悪くない…というか、かなり好きなタイプの作家だった。

あらすじは、現代のフランス社会の選挙でイスラム教政党が台頭し、ついには強大な権力を手に入れていく様を、政治に無頓着な一人の文学研究者の目から追うというもの。
主人公は徐々に支持を集めていた国民戦線(実在する極右政党)には警戒心を抱くものの、投票で2位につけたイスラム主義陣営の主張には徐々に違和感を感じなくなっていく。星新一の、どことなくコミカルな乾いた暗さを感じさせる。読了後、タイトルにひやりとさせられた。

実は途中まではなかなか話に入り込みきれなかった。政治の話に、主人公と同じくらい自分がご無沙汰だったからだと思う。ただ100ページを過ぎたあたりでようやく構図の理解が追いつき、そこから一気に面白くなった。

偶然ではあったらしいが、この小説が発表された当日、パリの出版社がイスラム原理主義のテロリストに襲撃され、多くの人が亡くなるという事件が起きた。だからといって作品に政治性を過剰に見出すことは避けたいけれど、移民の多いフランスでは今まさに、国家をめぐる概念にカオスが起こっているということなのだと思う。

翻って、先日の参議院選挙の過程や結果にはいろいろ思うところもある。ただその少し前に、住んでいた自治体の首長選挙で「一票で政治って変わるんだなー」と実感した経験もあり、選挙という場の意味合いがようやく実感できるようになってきた。


吉本ばななの「アムリタ」は中学生のときから折にふれて読んできた。ものすごく久しぶりに読んで思ったのは、自分の思考回路や文体や好き嫌いはこの本で形成されたのだということ。覚えてないくらいささいな主人公の視点も、日常でふと抱くあれこれも、ぜんぶここが出元だったのかーと答え合わせをしたような気分。


平行して読んだ「夏物語」からも、似たメッセージを受け取った気がする。川上未映子を読むのは初めてだったが、何よりも登場人物の「語り」のリアリティが印象的だった。読んでいて、大阪弁がこれほど生き生きと入ってくることに驚く。たたみかけるように、句読点で区切られながらも波のように寄せてはかえす怒涛の言葉たち。

変な話だけど、この小説を日本語で読めることは幸運だったと思う。海外でも翻訳されているそうだけど、翻訳されたらこのリズムや質感は失われてしまうと思うから。


ドストエフスキーの「白痴」を読み終わるまで、だいたい3ヶ月くらいかかった。安定の光文社古典新訳文庫。

全体的に反芻が必要な小説だった。
ストーリーの起伏などは他の作品と比べそこまで大きくないものの、それぞれの登場人物が独自の文脈をもって動いているので、ぼーっと読んでいると筋を見失う。

というのも、語り手(筆者)もすべての事情に精通しているわけではなく、人々のせりふを聞いて初めて、その前に何が起こっていたのかを知らされたりするからだ。一人ずつの言動や思考を理解していないと「これなんの話だっけ?」となり、遡ってもなにが起こったのかは具体的に(というか語り手目線では)書かれていない。「この人物は物語の裏側でこんな動きをしてたのか」と理解した上で「だからこういうことになってるんだな」と自ら解釈をする必要に駆られる。

出てくる人が全員なにを考えてるかわからないので、「これは正常な精神で言ってるのか?」などと考え始めると、ストーリーに大きな動きがなくてもこちらの頭はフル回転せざるをえなくなる。

…というところがとても面白かったが、「世界一美しい恋愛小説」というキャッチコピーは自分にはあまりしっくりこなかった。これって恋愛の話なんでしょうか。
訳者解説にも書かれているように、ドストエフスキーはキリスト教的な寓話や思想にかなりの影響を受けていたようで、恋愛が主戦場になっているという印象は薄かった。


なにかが首のまわりに」は短編集で、実際どれもよかったけど、とりわけ「ひそかな経験」という話が心に残っている。チママンダ・ンゴズィ・アディーチェはナイジェリア生まれのとても勢いのある作家で、現代のアフリカの人々(もしくはアフリカにゆかりのある人々)や、宗教上の対立やその中で虐げられる女性やマイノリティへの視線を、素晴らしい言葉でつむぐ作家。脆さもしなやかさも両方持っている。

作品もいいのだけど、アディーチェその人がめちゃくちゃお洒落でかっこいい人で大好きなので、これからも応援したい。最近出た新しい翻訳も早く読まなければ。


タブッキの「供述によるとペレイラは…」も(なかなか言語化できないけど)魅力的な小説だったし、「都市は何によってできているのか」の短編も一つ一つがきらっと光るいい本だった。実りの多い5月だったな。


6月

目録(6冊)

遠慮深いうたた寝(小川洋子)
旅をする木(星野道夫)
女のいない男たち(村上春樹)
ある島の可能性(ミシェル・ウエルベック)
地図と領土(ミシェル・ウエルベック)
逆さまゲーム(アントニオ・タブッキ)

6月はゆるりと。

6月の初め、松本と乗鞍に一人旅をした。
一番のお目当ては松本十帖というホテル。箱根本箱と同じ系列のブックホテルで、ひたすら温泉→読書→美味しいごはんをループする最高の一泊だった。

遠慮深いうたた寝」(小川洋子)、「旅をする木」(星野道夫)、「女のいない男たち」(村上春樹)はいずれも松本十帖で読んだ、もしくは買った本。

「博士の愛した数式」はとても好きだったが、それ以外の小川洋子作品を全然読んでなかったな、と気づく。「遠慮深いうたた寝」はエッセイなのだけどすっと入ってくる馴染みのよさがあった。小説とは違う雰囲気だけど、通底する音楽は同じというか。

現実を記憶する術の一つとして物語が大事な役目を果たすと私はよく知っているので、心行くまで静かに自分一人のための物語を語る。


アラスカに魅せられて、大自然の写真を撮り続けた星野道夫のことは、たしか小学校の教科書かなにかで知ったのだと思う。「旅をする木」というエッセイには、アラスカとの出会いと、そこが居場所ホームになっていくまでの、まだ若い旅人としての星野の言葉が並ぶ。

知り合いも、今夜泊まる場所もなく、何ひとつ予定をたてなかったぼくは、これから北へ行こうと南へ行こうと、サイコロを振るように今決めればよかった。今夜どこにも帰る必要がない、そして誰もぼくの居場所を知らない……それは子ども心にどれほど新鮮な体験だったろう。不安などかけらもなく、ぼくは叫びだしたいような自由に胸がつまりそうだった。

そしてアメリカの平原を走るバスの中から眺めた、たくさんの夕陽、夜明け。毎日毎日さまざまな人々と言葉を交わし、別れていった。あたりまえのことなのに、これだけたくさんの人々が生きていることが不思議だった。

サン=テグジュペリの「夜間飛行」を、星野道夫も読んでいたことを知ってあたたかい気持ちになる。そして、旅先で、前から読みたいと思っていた本の表紙がぱっと目に飛び込んできたときの気持ちは何にも変えがたいなあと思う。


今まで手に取ったことのないような本を、ふと読みたくなるのはなぜだろう。村上春樹の作品を、私はほとんど読んでいないけれど、松本十帖でふと「女のいない男たち」を手に取る気になったのは、ブックホテル独特の雰囲気に浸かっていたことも大きいのかもしれない。

アカデミー賞を受賞した「ドライブ・マイ・カー」の原作となった短編集。
最初の小説が「女性が運転をすること」に関するエピソードだったことが、この本を買う決め手になった。そろそろ旅先で(一人でも)運転ができるようになりたいな、と思っていたという背景もある。

松本から乗鞍へ移動する途中の、絶壁をつたう山道をどっしり走っていく路線バスの運転手の手さばきに感銘を受けながら、旅のいろんな光景が混じりあってこの本の印象を彩っていく気がした。


5月に続き、ウエルベックの本を2冊。

ある島の可能性」は現代と近未来を行き来するSF。同じ人間を同時代に複製するという目的ではなく、一人の人格を永久的に残していくためにクローン技術が使われるという世界。

ダニエルという人物が主人公だが、時代が下るにつれて(記憶が何世代にもわたって次のクローンに引き継がれるにつれて)だんだん記録される文章が変わっていく。初代のダニエルは女のことしか考えていないが、若い世代との断絶感を嘆くくだりでは人間味というか、妙な親近感があった。

同じ3行の文章でも、初代のほうは密度は薄くても文脈は濃い。一方でダニエルの25代目ともなってくると、3行の情報量は多いのに、それ以上の情報はないというところが面白かった。


地図と領土」が、ウエルベック作品では今のところ一番好きかも。
どの作品もやめられない感覚があるが、この小説はとくにそうだった。

あらすじに書かれている「作家ウエルベック自身の殺害」はかなり後半になるまで起こらず、まだかまだかとやきもきしているうちに相当のページを進んでいた(しかもその殺人の必然性は最後までよくわからなかった)

それでも読み終わってなんだか満足感のある話だった。
絵を描く人も、小説を書く人も、他人の思想をそれぞれ独自のしかたで表現しているところがおもしろいな、と思った。


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