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乳がんサバイバー 第6話 手術前夜そして、いよいよ手術当日。麻酔まで


手術は3月18日に決まった。

前日17日の朝8時に麻酔医との予約があった。この日の血圧は上が98下が77だった。血液検査もする。

手術に関しての注意も聞く。真夜中過ぎから何も食べてはいけない。飲み物もだめだった。水さえも。 朝歯磨きをしてうがいをした水は残さず吐き出すこと、と言われた。

アメリカらしいと思ったのはボディーピアスは全部外すことと書いてあったことだ。耳のピアスだけではなく、おへそのピアスが流行していた頃だった。

手術中はいろいろなケースがあり、うまくいかない場合もあると聞いていた。うまくいかない場合とは手術から蘇生できない場合の事だ。

夜、万が一に備えて夫と息子それぞれ手紙を書く。

「夫へ――どんなときも支えてくれて、とても心強く幸せでした。あなたがいなければ、なにも乗りきれなかった。今までのこと全て感謝しています。本当にありがとう」


「息子へ――生まれてきてくれて本当にありがとう。素晴らしい息子を持てたことをとても誇りに思っています。これからも強くやさしく健康に育ってね」

どちらにも最後に
「心の底から 愛しています」と書いた。

封をしてホテルの机の引き出しの奥の方へ入れておいた。もしものことがあり、荷物をまとめている時に見つけることを考えると胸が締め付けられた。

この時ばかりは耐えられず号泣した。


――手術当日

朝7時に病院入り。

5時半に起きてシャワーだけしてきた。 ボディーローションなどは塗れない。顔もクリームも何も塗れないのでバリバリでかさかさだ。

リビングウイルというものを書かされた。これはもしもの時の為の医療的な措置を書類にすることだ。意識が戻らない場合は蘇生措置をとるのかどうかを明確にする。 手術前に書かされる遺書のようだ。
 
悩んだが夫の意志に任せることにした。夫は医療関係者だ。きっと状況を見て的確な判断ができるだろと思った。家族のために経済的なために、蘇生措置を取ってほしくなかったが、戻ってこられないのかもという恐怖はとても大きかった。

日本の母のことも思った。もしものときは駆けつけてくれるのではないかと。生命維持装置はその時までつけていて欲しいとも思った。せめてまだ暖かい娘に会いたいのではないか、と思った。
 
手術前の措置で紫色の色素を胸の乳管に入れてレントゲンのような写真を撮る。 CTスキャンのようなものかも知れない。1時間かかった。 ウトウト眠ってしまった。 お腹も空いていた。 当日はもう覚悟が決まっていたので、2週間前のような不安はなかった。
 
裸の上から手術用の薄い布でできたガウンを着て待つ。この時間がとても長かった。なにより水が飲みたかった。朝から待って結局手術をしたのは夕方だった。
 
待合室で看護師がプラスチックでできた腕輪の名前を確認する。自分で名前や生年月日を言わなければいけない。

「これからあなたがする手術は?」とも聞かれる。「左胸のマスタクトミーです」と答える。乳房切除の事を英語でmastectomyという。アメリカは裁判の国であり医療関連に厳しい。それでもこれから大きな手術をする患者に術式を言わせるというのはどうなのだろうか? 最初のリビングウイルと言い、なにもかもはっきりさせておかなければならないのが辛い。

いよいよ手術だ。

「じゃあ行ってくるね!だいじょうぶだよ!」と夫と息子に笑顔を向ける。

See you soon(すぐに会おうね)と夫も笑う。
まだしがみついている息子の頬にキスをして

「だいじょうぶだよ!」と言う

自分にもそう言い聞かせていた。

ガラガラとベッドのまま移動させられる。

寝かされたままで天井の蛍光灯が眩しい。立入禁止のドアのところまで2人は付いて来てくれた。

「じゃあ行ってくるね! 2人とも大好き!」

――そしてドアは閉まった。

ドアの向こうはステンレスの多い冷たい空間だった。

「では、麻酔薬いれますよ」と点滴から麻酔薬を注入される。覚えているのはここまでだった。

あっという間に世界が暗転した。

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