欠けた時刻 2

【小説】

はじめから読む

同じクラスの片岡という男が、ある日僕に声をかけてきた。

クラスが同じといっても、彼と話をしたことはほとんどない。僕は学内で友人をつくろうとは思わなかったから、ほとんどのクラスメイトと話をしたことがなかった。

もちろんそんななかでも友人と呼べる関係は少しは生まれる。基本的には自分と同じスタンスで四年間を過ごそうとする人たちだ。積極的に人に関わることなく、自分の学業(趣味と言ってもいい)に専念し、自らの立ち位置を自覚している――そんなスタンス。彼らと最低限のコミュニケーションを取るとき、僕は独りではないことを自覚する。

僕だって四六時中独りでいたいわけではないが、押しつけがましい友情や生き方の異なる人たちと興味を持てない会話をするくらいなら、独りでいたほうがマシだと心底思う。要は極端に心が狭いのだ。

片岡は僕と基本的なスタンスは似ていたが、決定的に違うのが彼のなかの大部分を女の子と寝ることが占めているところだった。

学内外を問わず、彼は片端から女の子に声を掛け、食事をして、酒を飲み、彼の住む高級マンションに連れ込んではセックスをした。

「ほとんどが自分の価値も知らないバカで嘘つきな女だよ」

一度、うっかり出席してしまったクラスの飲みの席で片岡の隣に座り、少しばかり話をした。

「誰だって少しは嘘をつくよ。それに18や19で自分の本当の価値を見極めている人なんていないよ。片岡、きみだってそうだろ!」
僕はムッとして答えた。

片岡はタバコに火をつけて言った。

「お前、少しはマシな奴だな。そうだ。その“本当の価値”ってやつだよ。誰だってそんなものはわかりゃしない。ただ、そういうものが世の中にあるってことを知っているか、知ったうえで自分の胸に聞いているか、そういうことを言っている。そんなことも考えずに勉強して何になる?そんなことも考えない奴はセックスも下手クソだ」

「セックスが下手かどうかは知らないけど、きみの言う“そんなこと”なら多かれ少なかれ誰だって考えてるさ。そんなことよりタバコを消せよ。この店禁煙だぜ」

片岡は少しだけ残ったビールジョッキに無造作にタバコを投げ入れ、立ちあがった。

「惜しいな。お前はわかってるのにな」

そう言って、その日片岡は早々に引きあげた。


片岡は、学食でひとりで昼食を摂っている僕の隣に自分のトレーを置き、何の前置きもなく「見たよ」と言った。

片岡を見ると、カツカレーをほうばりながら僕の顔も見ずに話を続けた。

「あのスラッとした1年の美人、目の青い」

片岡はペットボトルの水を飲みながら、ようやく僕に顔を向けた。

「つきあってるのか」

相変わらずの彼の粗野な態度に僕は腹をたてた。

「きみの質問に答える気はないよ」

片岡は僕の言葉を無視して語りだした。

「あれはやめたほうがいい。あれは化けもんだ。純粋培養された化けもんさ。嘘がひとつもないんだ。いいか、人間ってもんはどんな奴だって多かれ少なかれ必ず嘘をつくんだ。そして嘘に対する嗅覚の鋭い人間から見れば、それは必ずバレる。俺はガキの頃からいろんな嘘を見てきたからわかるんだ」

片岡の言わんとするところがよくわからなかった。なぜ僕にそんなことを話すのか、彼女に近づかないように釘をさしているのだろうか。僕は黙って彼の言葉を待った。

「おまえは嘘をつくか?」

虚をつかれた。確かに僕は嘘をついたことがある。でもそれは人を傷つけたりする類いのものではなく、ちょっとしたごまかしみたいなものだ。

「そりゃ、あるよ。きみはどうなのさ」

「俺はもちろんあるよ。一番多いのは好きでもない女に『好きだよ』ということだな」

「最低だな」

「でもな、人はたいてい自分を守るために嘘をつくんだ。そういう嘘は少しずつ身体に染みついていく。そして精神を蝕んでいくんだ」

僕はドキリとした。

「俺のは確信の嘘さ。染みついた嘘とは違う」

片岡は紙ナプキンで口元を拭いながら、僕の目を捉えて言う。

「あの子はそのどちらでもない。嘘がないんだ。いいか、嘘がない人間がこの世で最も人を傷つける。あれは男を食い殺すよ。あのまっすぐさが近づく者を壊す」

「なぜ、そんなことが言い切れる」

「ふたりで飯を食べた。と言えば多少語弊があるかーー」

品のない口元が右側だけあがり、細めた目で値踏みするように僕の目を見て続ける。

「あの子の友達に声をかけたんだよ。それで行き掛かり上、彼女も一緒に来た。その友達が俺に興味があるくせに、ひとりでは不安で行けないってやつだ。よくあるよ。馬鹿な女だ」

僕は片岡を睨みつけたまま続く言葉を待った。

「3人でイタリアンに行ったんだよ。俺はもちろん嘘をつきながらお行儀良く会話を進めて、たぶん、二人とも楽しんでもらえていたはずだ。そしたらさ・・・」

片岡はカツカレーをふたくち口に運び、咀嚼しながら窓の外を見ている。

「雨が降りそうだな」

「雨がどうした!『そしたら』何なんだよ」

片岡は悪びれずに続ける。

「雨に含まれる有害物質には気をつけろ。もう、この星も末期だな。そう思わないか?」

「それに対処するために、勉強している」

片岡は一瞬表情が固まり、そして急に大声で笑いだした。何がおかしいのか僕にはさっぱりわからない。

「おまえ、おまえ、やっぱり、まっとうなやつだよ」片岡は笑いながら喘ぐように言う。

「なあ、飲みに行こうぜ」


僕らは授業をさぼり、昼間から営業している片岡の行きつけのバーへ行った。

カウンターに並び、冷えたビールを飲みながら僕は、なぜ、誘いに応じたのかを考えた。

片岡はいままで会ったことのないタイプだった。いいかげんで女グセが悪く品性のかけらもないーー人は彼を見てそう思う。だけど、それ以上の何かがあるのかもしれない。いや、そう思わせるだけで、本当にそれだけの男なのかもしれない。いずれにせよ、僕は片岡という男に多少の興味を持ち、彼の誘いに乗った。授業をさぼったのは初めてだった。

「おまえ、女を知っているか?」

片岡の物言いは、いつも唐突だ。

「経験があるかどうかを聞いているなら、きみに答えるつもりはないよ」

「ああ、やったことがあるかないかもそうだが、もっと本質的に女という生き物を知っているかどうかだ」

タバコを燻らせながら、片岡は二杯目のビールを頼んだ。

「それは人間をどれだけ知っているかと言うこととは違うのか?」

片岡は、ビンからグラスにビールを注ぎながら、「いちいち面倒だね、おまえ。あの子と似ているよ」と僕を一瞥した。

「男と女は違う。これは差別じゃないんだ。身体の機能が違うし、そこから生じる根本的な性質が違う。もちろん、個体差はあるさ。だが、ある種の女は宿命的に男をダメにする。いや、男だけじゃないな。女もそうだ。深く関わる人間をすべてダメにする」

「彼女がそうだというのか?きみが彼女の何を知っている」

僕は、片岡の決めつけにいいかげん腹をたてて訊いた。

「知らない。ただ、感じるだけだ。それに・・・」

「それに何だ」

「あの子、ムーンチャイルドだって、おまえ、知ってたか?月生まれで地球に降りてきた第一号だよ。あらゆる意味で純粋培養されたモンスターさ」

僕は知らなかった。でも、だから、何だと言うんだ。片岡に何がわかると言うんだ。僕はビールを飲みきり、自分の代金を払い、席を立って言った。

「きみはやっぱり僕とはまったく違う人種だよ。たぶん、もう話をすることはないね」

片岡は、曖昧な笑みを浮かべて、僕の言葉に右手をあげて応えた。

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※この作品は、月にまつわる物語の連なり【38万キロの記憶】の一篇で、時間軸としては『晴れた日に起こる特別に良いこと』の後、『ムーン・チャイルド』の前となります。

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