晴れた日に起こる特別に良いこと
【小説】
「葉月へ、今日、第一志望の合格発表あったよ。合格した。ありがとう!葉月が励ましてくれたお陰だよ。春から大学生になります。そしてもうひとつ朗報! 来週帰ります!! 3年ぶりだよ、葉月。ああ、早く会いたいよ。葉月は体調どう? 近くなったらまた連絡するね」
月子からのメールを読み、わたしは通信端末を閉じた。すぐに返信する気持ちにはなれなかった。
ひとつ年下の月子が、月で生まれた子どもとして初めて地球の高校に進学して3年、わたしは少しずつ心の根が枯れていった。ずっと一緒に育ってきた月子の不在は、想像した以上につらく耐え難かった。
もともと体だけでもトラブルが絶えないというのに、心の病みはわたしの存在を危うくした。だけどそんなわたしの崩壊をとどめたのもやはり月子だった。月子に心配をさせまいとメールでは元気なふりをし、心の病については伏せた。月子にメールを書くことだけがそれまでのわたしを維持させた。
でも来週、月子と再会したときにわたしはどうなってしまうのだろう。気が狂ってしまわないだろうか。月子にすがりついて泣き叫んでしまわないだろうか。月子に会うのはうれしい。うれしくてたまらない。それだけに、会うことで取り返しのつかないまでに心が壊れるかもしれない。そう思うと自分が恐ろしかった。
この3年で、わたしたちの住む街ムーンベースは少しずつ変わった。日中にドームの内側に映し出されるリアルタイムの東京の空は、より画質が向上した。もうスクリーンシートが故障して、空が欠けて見えることもなくなった。
生まれくる子どもたちの生存率も急速に高まった。年少組にいた女の子たちは一人も欠けることなく年長組に移行し、3歳以下には待望の男の子たちも丈夫に育っている。4年前に開発された新薬が「奇跡の薬」だったと言われているが、長く常用した際の副作用についてはいまだ不明だ。
ただ、命が長らえたことは確かだ。わたしたちにとって一番大事な使命は少しでも長く生きることだ。そのために月(ここ)で生まれた。わたしはここで生まれた者の最年長者として、欠けていった仲間たちの分までも生きなければならない。
寝室の窓から空を見る。月子の瞳のようにきれいな惑星が見える。あの青い星に月子がいる。わたしは「おやすみ、月子」と言って毛布にくるまる。今日は嫌な夢を見ませんように。月子が「おやすみ、葉月。いい夢見てね」と笑顔で答える。
翌朝、早くに目がさめた。よく覚えてはいないが、とてもいい夢を見た気がする。何か温かな、羽毛のようにふんわりとした温かなものに守られていた。そのなかでわたしは、心に微塵も心配事のない100パーセントの安堵に身を委ねていた。
吉夢だろうか、逆夢だろうか。時計を見るとまだ6時過ぎだった。
散歩に行こう。
つくられた大気ではあるけれど、1日が始まったばかりの澄んだ空気を吸いに行こう。簡単に身仕度を整えリビングへ行くと、母がすでに起きて珈琲を淹れていた。
「おはよう」
「おはよう、ずいぶん早いね」
「目がさめちゃったから散歩に行こうと思って」
「あら、珍しい」
「昨日、月子からメールが届いて来週帰ってくるって。大学も受かったってさ」
母は手を止めてわたしの表情を窺うように見る。
「そう、それは良かったね、月子ちゃん。葉月も久しぶりに会えてうれしい?」
うれしいに決まっている。母はわたしの心を気にしている。
「3年ぶりだよ! うれしいに決まってるよ!」
わたしは少し気持ちを持ちあげて答える。そして、これ以上の会話は危険だ、とわたしの心がいう。わたしは「行ってくるね」と玄関に向かうと、母の声が追いかけてきた。
「散歩、丘の上公園の方でしょ? 帰りにコンビニで"鶏卵のもと"買ってきて」
「うん、わかった」と家を出ると、見上げた空は晴れ渡っている。東京もこれと同じ空ということだ。わたしは公園に向かい歩き始める。今日は少しだけ足取りが軽い。あの夢のお陰だろうか。それにしてもあの羽毛のような存在はなんだったのだろう。まるで童話に出てくるクマのようだ。わたしは自分が笑っていることを自覚した。よい感じだ。
丘の上公園には早朝からたくさんの人たちが集まっていた。走る人、歩く人、ストレッチをする人、ロボット犬を散歩させる人。
「おはよう」「おはようございます」「おはよう」
たくさんの「おはよう」がわたしを迎えてくれた。普段なら仏頂面を下げて口ごもるように挨拶するわたしも、相手に聞き取れるくらいには発声することができた。
公園をひとまわり歩き、見晴台のベンチに腰をおろした。遠くに港が見える。港の一角にはニセモノの空はない。船が出入りするからだ。ぽっかりと空いた穴から暗い宇宙が見える。あの港から旅立てる日が、いつかわたしにも訪れるのだろうか。半ば諦めた思いは、ふとした瞬間にわたしの心に満ち、哀しみに押し潰されそうになる。
「今日はよく晴れて、遠くまで見えますね」
気づくと白く長い髭をたくわえた老人が隣に座っている。
「今日は良いことがありますよ。こんな天気の日には良いことがある。地球にいた頃もいつもそうだった」
「曇りの日や雨の日はどうなんでしょうか。ここでは雨は降らないけど」わたしは何となく質問してみた。
老人はわたしを見てにこりと笑い、「曇りの日は曇りの日なりに、雨の日は雨の日なりに、良いことはある。だけど、晴れの日は特別に良いことがあるんですよ」
わたしは、(まあ、そんなものだよね)と思いながらも、妙に素直に言葉を受け入れた。
散歩帰りにコンビニに向かった。ここでは巨大な売場にありとあらゆる物が並んでいる。朝の7時から夜の11時まで開いているムーンベース最大の販売店だ。
6時55分、入口付近には開店待ちの人が十数人、所在なげにしている。わたしは携帯端末を操作しながら扉が開くのを待った。この時間に買い物に来たのは初めてだ。
7時ちょうどに店員が扉を開けると、買い物客がバラバラと店内に入っていく。わたしは母から頼まれた"鶏卵のもと"を食品コーナーのたんぱく質棚に探した。
あれ?ない・・・。
"鶏卵のもと"がいくら探しても見あたらない。わたしは棚を探しながら、近くにいた店のエプロンをつけた男の人に声をかけた。
「あの、"鶏卵のもと"はどこにありますか?」
店員は聞こえているのかいないのか、棚の商品に手を伸ばしたまま固まっている。
「ええと、聞こえてますか? "鶏卵のもと"はどこに…」
あれ? この人、ロボットだ。人間そっくりなんだけど、瞳が不自然に閉じたり開いたりする。
彼はわたしに顔を向け、
「オレに、あっ、ボクに話しかけてやがりますですか?」
と変テコな言葉づかいで慌てたように話す。
そして突然直立すると、"鶏卵のもと"の説明をはじめた。
「"鶏卵のもと"は産みたての鶏の無精卵を卵白と卵黄に分けて摂取マイナス36度で瞬間冷凍しその後コナゴナに砕いて乾燥させた粉末状の食料です、ゼ」
彼は一拍置いてわたしの顔色を窺うと、さらに説明を続けようとした。
「卵白の成分は100グラム中たんぱく質が10.9グラムで…」
「ああ、説明はもういいですから!」
わたしは彼の抑揚のない商品説明を遮り、"鶏卵のもと"が棚にないことを指摘し、在庫がないかと尋ねた。
「はい、少々お待ちしてろよ、です、ゼ」くるりと踵を返すと彼は小走りでバックヤードへと向かった。
何だか、かわいい。わたしは微笑ましい気持ちになった。
しばらくすると、大型のカート一杯に"鶏卵のもと"を乗せ、彼は滑るように戻ってきた。
「お客さん、"鶏卵のもと"です、ゼ」
うれしそうな表情で言い、カートごと渡そうとする。
「あ、いいの。こんなに一杯はいらないの」とわたしはカートから袋を二つつまみ上げ、お礼を言ってレジに向かおうとした。
3、4歩歩いたところで後ろから声がかかった。
「ちょっとお客さん、お待ちなさい、ヨ」
振り返ると、彼が見覚えのないハンカチを渡そうとする。
「オトシモノであります、ゼ」
「ええと、それは、わたしのものではありません。ハンカチなんて落ちてましたっけ?」
彼は無言で固まってしまった。
「あの、大丈夫ですか?」覗きこむように目をみると、瞬きをしていない。このタイプのロボットは人間同様に瞬きをするようにできている。瞬きをしていないときは考えているときだ。
わたしはほかの店員がいないかと店内を見まわしたが、もともと広いこの店では、店員どころか客の影を見かけることさえ稀だ。
と、彼が突然喋りだした。
「ゴメンナサイ」
わたしは彼を見る。彼は壁に向かって言葉を続ける。
「ゴメンナサイ。ウソをついたました、ヨ」
「うそ? どうして?」
「あなたと話がしたかった、ヨ」
えっ、何?
「あなた、とてもカワイイ人、です、ゼ。今度、ミナトに一緒にいきます、ネ?」
これがナンパというもの? わたしはロボットにナンパされようとしているの?
それにしても強引だなぁ、と思いながらも、わたしは彼の話につきあってみようと思った。
「それはデートの誘いなの? もしそうなら、いろいろと手順が違うんじゃない?」
「テジュン…わからない。教えてくれ、ださい」
わたしはこれまで、デートどころか同年代の男の子とさえまともに話をしたことがない。
「いいよ。じゃあ、まず自己紹介をして。お互いに名前も知らなきゃデートには誘えないから」
「ナマエ…オレの、ワタシのナマエはUN-55。製造地は東京都品川区××××××SONY御殿山工場。2020年式、型番は××××、です、ネ」
「へぇ、SONY製なんだ。どうりでスマートな顔をしてると思った。じゃあ、わたしの自己紹介ね。名前は葉月。木の葉っぱの"葉"に、わたしたちが住んでいる"月"。葉月ね。月生まれの19歳。市立図書館で働いているの。ところであなたはいつからここで働いているの? 初めて見たけど」
「ワタシ、あ、オレは夜間清掃の仕事してますです。今日は午前中ヘルプ、オバチャン休んだ、です、ゼ」
「ああ、そうなんだ。ねえ、あなたは…ええと、何て呼んだらいいかな?UN何番とかじゃなくて、なんか愛称ないの?」
「愛称ないの、ヨ」
「じゃあ、そうだな…UNだから、ウニでどう? なんかカワイイ名前じゃない、ウニって」
「ウニ……でよろしい、です」言いながら、少し照れた表情を浮かべる。
「じゃあ、ウニさん、これでわたしたちは知り合いになれたから、デートに誘ってもいいよ」
彼は目をくるくるとまわしながら、ようやくわたしを正面から見た。とてもきれいな顔をしている。見た目は20代前半という感じだ。
「お、お嬢さん、オレ、あっ、ワタシとミナトでデートします、ネ」
わたしは大きく頷いて答えた。
「はい、ウニさん、デートしましょう」
家に帰ると、母が朝食の準備を整えていた。父はソファーに座ってモニターで地球のニュースを見ている。
3人でテーブルを囲み朝食を摂った。わたしはどうしてもさっき起こったことを言いたくなった。
「ねえ、わたし、今日、デートに誘われた」
父も母も驚いた顔をしてわたしを見つめ、「そうか」「そう」とそれぞれあっさりとした返事を返した。
わたしは気分が高揚していた。この高揚感は心の負担になるものではない、とわたしの心が知っている。だから、いい感じだ。このしあわせな感じはなんだっただろう。身に覚えがある。
自分の部屋に戻り出勤の準備をしていて、はたと思い至った。そうだ、今朝の夢だ。ふんわりと包み込むような安堵感。あれは童話のなかのクマではなく、ロボットのウニさんだったんだ。
そういえば…。わたしはひとりクスクスと笑った。落とし物だなんて、まるで童謡の"森のクマさん"ではないか。ああ、楽しかった。今日はいい日だ。来週、月子に会ったら話そう。「わたし、デートに誘われたんだ」って。
tamito
※前作にあたる以下2作品もお楽しみください。
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