欠けた空


【小説】


「葉月、じゃあ、行こうか」

月曜日、朝のホームルームが終わり、先生が職員室へ戻ると、月子に誘われるまま診察室へと向かう。週に1度の検査は、私たちの命を保つために最低限必要なことだ。

親からもらったありがたい抗体以外を、少しずつ少しずつ私たちの体に植えつけて、経過を観察しつつ、体に菌が馴染むのを待つ。

うまく適合しないときは、2週間ほど病院のベッドで高熱に苦しむ。でも、苦しむくらいならまだいい。最悪のケースは死に至る。

私たちの学校は病院のなかにあり、いつでも医者にかかれるよう配慮されている。院内の東の端にある教室から診察室へ、まっすぐに伸びた長い長い廊下を月子とふたりで歩く。もう10年以上続く日常の光景だ。

私の右の脇の下には、小さく「mf7」と刻印されている。月子は「mf9」だ。診察室にいると時折、奥の方で「mf7のrfpが・・・」とか「mf7が白血球異常で・・・」とか、医者と看護師がこそこそ話している声が聞こえる。そう、私たちは名前ではなく、実験用マウスのように記号で呼ばれている。

「mf7」は「moon」「female」「No.7」の略で、「月で生まれた7番目の女の子」を意味する。男の子の場合は「mm」表記となるが、18までついたナンバーが今はすべて欠番だ。

欠番イコール「死」。男の子はここの環境になかなか適合できないらしい。

「mf」ナンバーは25までついたが、7と9のほかに、辛うじて16、20、23、25が欠番にならずにいる。「mf16」以降の4人は年少クラスにいて、年長クラスには私たちふたりしかいない。今は。

2年前は3人いたし、5年前は5人だった。粗悪品の櫛の歯が欠けるように、仲間たちが欠番となっていった。

粗悪品・・・私たちは生まれたときから粗悪品で、生き続けるためには修理が必要だった。

月子は、そんな粗悪品のなかでも、医者にしてみれば「優秀な検体」だった。かなり暴れる強烈な抗体にもすんなりと適合し、私が熱にうなされていると、優しく看病してくれた。



「南西の空がまた色が欠けてる」

月子が語りかけるともなく呟いた。

「最近、多いね。こんなニセモノの空なんてやめちゃえばいいのに」

「でも、そうなると昼も夜もなくなるから、夜が来る感動が薄れるよ」

月子の言う通りなのだ。夜の訪れは実に感動的だ。

ここでは東京の日照時間に合わせ、日が登り日が沈む。巨大なドーム型のシールドに映しこまれた映像のなかの話だ。

東西南北まで定められたその映像は雲の動きまで再現したリアルな出来映えと言われるが、実際の地球の空を見たことのない私たちにしてみれば、出来不出来などどうでもいいことだ。要は、映されているときが昼で、映されていないときが夜なのだ。

そして夕方、日が沈む頃、映像は徐々に色彩を落とし、本来の宇宙の闇が頭上を覆う。大気のないそのまんまの宇宙は、幾千万の星が煌めく宝石箱だ。

「それでも、やめちゃえばいいのに。ニセモノの空なんて」

少し意地になって私は言う。

月子が悲しそうな顔をして立ち止まる。

私が投げやりな物言いをするたびに月子は悲しそうな顔をする。

月子にそんな顔させちゃいけない、と思いつつ私はたまに言いたくなる。

「来年は行けるといいね」

「うん、ごめん」

月子は次の「卒業検査」をパスすれば、地球へ行く。そしてパスすることはほぼ間違いない。中等部を現役で卒業して、15歳で地球の高校に進学する初めての月人となる。

月子より一歳上の私は、2年連続の留年がすでに確定している。もし、今のまま地球の環境に晒されれば、「mf7」は間違いなく欠番になるだろう。

「私も絶対に来年行くからさ。月子は先に行っていろいろ経験して、後でしっかり教えてね」

「うん、葉月が来るときには、もう地球人として先輩になってるから」

幾度となく繰り返した会話。私が一生地球の土を踏めないだろうことは、私も月子も何となく気づき始めている。



検査が終わり、長い廊下を教室へと戻って行く。

「あ~あ、やっぱり私は来年もダメかも。数値が全然上がってこないよ」

月子は左眉を少しだけ曲げて、黙って私を見つめる。

「まあ、何年かかろうが、じっくり構えるしかないか~」

私は努めて明るく大きな声で言ってみる。

返る声はなく、俯き気味にふたり並んで歩く。


隣を歩く気配がふと消え、振り返ると月子が廊下の窓から空を見ている。

「さっきの空、色の欠けたところが違う色の青で補修されてる」

人の目のような形に欠けた部分に、ニセモノの空よりもかなり濃い青色がはめ込まれたように見える。

「う~ん、もしかしてドームの外にある地球が隙間から見えてるのかな?」

「そうか、今、あっちに地球があるんだ」

月子は無邪気に偶然を喜ぶ。

私は急におかしくなって笑った。

「なに?」

月子が私を見る。

「月子の目みたいだね、あの欠けた空」

欠けた空の隙間から覗いた地球の青さと、月子の瞳の青さが似ていた。

「そうかな~」

不満そうに少し頬を膨らませ、月子は空を見る。私は彼女のそんな表情を愛して止まない。

「月子が地球に行っても寂しくないかな」

強がりではなく、素直にそう思えた。そんな風に思えたのは初めてだった。

「だって、夜空に浮かぶ地球を見るたびに、『あっ、月子だ』って笑っちゃいそうだよ」

月子は欠けた空を見つめたまま、口をへの字に曲げた。



数ヵ月後、月子の出発の日がやってきた。

私は港まで見送りに行き、出発ロビーで月子と再会を誓い合ったあと、船の出港の様子を眺められる小さな展望室へと入った。

さっき、月子は泣きべそをかきながら「毎日メールするね」と言った。

「毎日、送信したら高くつくし、そんなことより地球での高校生活を楽しみなさい」

と私は言った。

「だったら、日記代わりに書くから。返事もいらないから」

と月子はさらに泣きながら言った。

月子はあまり泣くと熱を出すから、もう、その提案には返事をしなかった。

出発ゲートをくぐり、「じゃあ、またね!」「絶対、来年会おうね!」と手を振りあったそのとき、月子のきれいな顔がクシャリと歪み、絶叫した。

「葉月!」

瞬間、私は後ろを向いた。

涙を見せてはいけないと思った。絶対に見せてはいけないと思った。私は後ろ向きで右手を頼りなく上げ、それでも大きく手を振った。

しばらくして振り返ると、ゲートの向こう側にはもう、月子の姿はなかった。

船が、開いたシールドの隙間から、宇宙空間へと浮き出て行った。外に出てしまえばそこからは速い。わずかな推進力でみるみる船は小さくなってゆく。

米粒みたいな光が地球へと向かって行く。

「月子」と私は小さな声で呟いてみる。

さっきから、手の震えが止まらない。

「月子!」「月子!」

私は何度も何度も大きな声で名前を呼んだ。

小さくなった船がキラリと光り、そして見えなくなった。


tamito

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