見出し画像

小さな反抗期。思い返せば反抗期

皆さんは、反抗期ありましたか?

大体半分ちょっとくらいの人はあって、半分弱くらいの人は無かったんじゃ無いだろうか。私はちなみに後者。

だと、最近まで思っていたが、今頃になって反抗期みたいなのが来ている。理由は、最近親という存在を切り離した自分について考える機会が増えたからだと思う。

それにしても、なんでこんな急に…。と思っていた。発端を思い返してみた。そうしたら、意外にも高校時代から予兆はあったことに気づいたのだ。

高校に入学してすぐに、英語でエッセイを書く宿題が出された。当時の私は中学英語に毛が生えた程度だったのでこの課題には苦労したのだが、それは置いといて。この英語エッセイが私の人生における意義という点で特筆すべきなのは、「将来の夢は本当にあなたの夢なのか」 というような主張をしたことである。

そのエッセイの概要は、将来の夢は、自分では自分の夢だと考えているかもしれないが、実際のところは親を含め周囲の意見を踏まえての夢なのだ、というものだった。自身の小学生の時の経験をサポートセンテンスとして入れ込んでいた。そう、実際に、小学生の時に5歳くらいからずっと口に出していたある夢を初めて親に、現実的な言葉と共に、「否定」を含蓄された物言いで、諭されたのでした。

今振り返ってみると、あれだけ親子関係が良く、周りの友達が父親や母親の愚痴を学校で話している時に「私は別に何も不満ないかなぁ」と言っていたあの私が、そんな内容を書こうと思ったのが驚きだ。

「英語だからちょっとconfidentialな話題を書いても親にバレない」みたいな悪い子思想が、多分浮かんでいた。確かに、英語というツールは私の「隠れ悪い子」を恥ずかしげもなく露わにしてくれたのだった。

しかし、そんな思いと裏腹に、それは明るみに出されようとされてしまった。文化祭で代表者として、その内容で全校生徒の前でスピーチしてみないか?と当時の英語教師から打診されてしまったのだ。

「冗談じゃない」

と私は心の中で叫び、外面は丁重に謙虚に、そのオファーを断った。代表者スピーチは同じクラスの優等生の男の子になった。私は彼のスピーチを聴きに行っていないので、どんな内容だったのかは知る由もない。

その申し出が来た瞬間、顔が火照った。自分が隠れて悪事をしていた、「英語」というだけで、先生に提出するのに匿名であるかのように思い込んでイタイことを言っていた、それがその教師に認知されて肯定までされてしまったことに恥ずかしさと、後悔と、「私はこんな心に闇を抱えているような人間じゃない」と先生に証明したい気持ちが溢れ出ていた。

つまり、一言で表すと当時の私は「親にも先生にも友達にも、何も文句の言われない清廉潔白な優等生。から抜け出そうとして失敗した哀れな人間」だった。

今、あの当時そのまま発表していたら、その時にしっかりとした反抗期も来て、「超優等生キャラ」みたいにはなることなく高校生活を過ごして、精神の自立がもっと早まっていたんじゃないかと思う。

今の私を一言で表すと、「親、先生、友達、その他諸々の人々の波長による干渉を可能な限り避ける山籠り人間」だろうか。昔よりもさらに人と一定の距離を保つようになった気がする。でもそのおかげで、人生で初めて自分が素直に感じるものに気づく環境が生み出せた。

3年後、5年後、10年後の私は、何「人間」になっているだろう。

願わくば反抗期が終わらんことを。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?