ジャニーズはダメでササカワはOKか

 日本というのはやはり変な国だ。もっともそれは小学生ぐらいの頃から、自分で考えることを知ってから、なんとなく思っていたのだが。そして、それは日本に限ったことではないのも知っている。

どれほどの大罪を犯していようとも、何かの運で結果的に裁かれなかったり、裁かれても権力や資金力、人脈さえあれば、例え原資が何であれそれを公共に一部振り分けることで、その金に頼らざるをえない多数の人を生み出し、いつのまにか公共までその元犯罪者に頼ることになり、(もちろん法的には、すでに裁かれたのだから、それを犯罪者と呼ぶことは語弊があるだろうが。そのような人物が一般社会や公共に出るときに、様々な非合法な手段を駆使して蓄えた原資を公共に振り分けることで、偉人にまでなってしまうのは、なにか根本的におかしな話だろう。本来そのような金は、取り上げられるべきだったのだから)いつのまにか、社会がその人を偉人だと持ち上げる

私はジャニー喜多川氏の犯罪を重く受け止め、その名前を、故人が作り出した芸能事務所やタレントに、今後使用しないというのは、基本的に賛成だ。もっともそれは個人的にはそうである方が良いと思う程度で、いちばん大切なことは、二度と芸能界で、このような性犯罪が行われない事だろう。そして、もし行われたときは速やかに犯罪者が裁かれ、社会がそれを許さないだけの倫理感が本当に成熟したときだろう。

だが、よくよく日本の歴史と、そして今現在の国家を振り返ると、民間の芸能事務所の名前が、それを作った故人が性犯罪者だったからと変更するべく社会から求められる一方で、戦前多くの罪を犯し、あらゆる不正や裏社会とのつながりで資金を蓄えた人物が、一時裁かれたのに、その資金やコネ、人脈が残っていて、その一部を公共に振り分けさえすれば、その人間の罪はまるでなかったかのように忘れられ、多くは美談にすり替えられ、偉人として社会に受け入れられるだけでなく、国家が勲一等旭日大綬章などという大層な賞まで与えてしまう

統一教会とつながりがあった議員は、当然(統一教会に限らいないが)関係を断つべきだと考える社会であるのに、なぜ統一教会の日本での後ろ盾となったフィクサー(何とかっこいい言葉だろうか。その言葉が、様々な悪行をすべて覆い隠し、権力と金を利用した公共への投資だけを強調させるが、それ自体名誉欲であろう? 本来なら、彼はそれらを得るべきではなかったのだ。そしてもしも本当に反省していたら、自分の名前を冠したり、自分が表に出るのではなく、ただ匿名で支援していればいいだろう。)の名前が冠する様々な団体が普通にマスコミを賑わし、そこの研究員も、その名前を恥じることなく、堂々と己の所属プロフィールでだして、TVや新聞紙面に登場できるのだろうか?

笹川良一の名前を冠する、ありとあらゆる団体は、ジャニーズ事務所が名前を変えたのと同じように、せめて名前を変えるべきだろうと私は思う。それは私にとってはとても自然なことで、ジャニーズ事務所が名前を変えることは、日本国民の半数以上が賛成するし、マスコミもそうすべきという論調が多いだろう。

だが、その基準(私には真っ当に思える)を、笹川良一という、元A級戦犯の一人であり、様々な非合法的手段を駆使して、戦時中資金を拡大し、解散請求命令まで出されてる宗教団体を文字通り日本で育て、指定暴力団の親玉と深い親交があることを公言していた人物(そんな人物に、なぜこの国は栄誉賞を授けるのか? そこにどんな基準があるのだろうか)が会長であった様々な団体になぜ、適用しないのか? 

その多くが笹川という大悪党の創設者の名前を今も掲げていて、そこに所属している研究者や、関係者は、誰もその団体の名前についてマスコミで批判されたのを見たことがない

結局は、いかなる手段でも富さえ持ちさえすれば、金さえ得れば、そしてそれをうまくばら撒けば、(もちろん一部だし、自分がばらまいたと、広く認知させることが重要だ)どんな悪人でも力を持ち名誉も手に入れれると考える人間がこの国には増え続けるだろう。そしてその金と権力で彼らは国際的な栄誉すら手に入れることもある

なんという欺瞞だろうか。なんという故意の無知だろうか。そして何と出鱈目なことだろうか。いや、自分はどうでもいいのだ。私はそれをあまりにも不公正だと感じているが、私の生きてきたこの国の、多くの人はそれが普通だと感じているのだから。

だがこれからの世界を作っていく、そしてこの国で生きていく、若い人たちは、それが正常な社会だとは、絶対に思わないで欲しい。




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