一般国民とは、結局権力者の犬なのか
一般人とは、権力に簡単に屈服する。だからこそ一般人なのだ。
一般人とは、権力に媚びる。だからこそ一般人なのだ。
一般人とは、正義よりも自己利益を求める。だからこそ一般人なのだ。
つまるところ、日本における一般人とは卑怯で愚かな、我々大多数の、一般国民のことである。
一般人とは所詮、その程度のものだから、私達一般人に、権力に抗おう、抵抗しようなんて呼びかけるだけ無駄なのだ。
一般人は善悪がわからないのではなく、善悪を重視しないだけだから。
そのように卑怯で、くだらない、量だけ多数を占める、自己保身しか考えない私達一般人であっても、権力に正当な手段で抗議する人たちの邪魔までは、すべきでないだろう?
つまり、我々ゴミクズにすぎない一般人は、ゴミクズらしく権力の周りで、静かにぶくぶくと、汚い泡を吹きながら、そのまま沈殿してればいい。
私達も、そして巨大軍事国家の言いなりとなった、半植民地国家である日本、その国家権力に命じられたとおり働く、あらゆる業者も、その従業員も、確かに「ただの一般人」だろう。
だが高齢者が牛歩で基地建設に抵抗しているなら、その時にトラックなんか動かさなきゃいい。それこそが問題であり、だからこそ高齢者までもが抗議しているのだ。
国家権力によって、地元住民が示した民意を無視した、軍事基地建設という業務遂行のため、雇われた現場警備員が、トラックの前に飛び出した高齢者を止めようとして事故に巻き込まれ死亡したなら、本来批判されるべきは、そんな工事を無理矢理行っている政府であり、国家権力だろうが。
確かに、名護市が雇ったであろう民間警備員の方は悲劇だろう。ただの一般人だから、彼も雇われたとおりに仕事をしただけである。轢き殺してしまった搬入業者の運転手にとっても悲劇だろう。彼とてただの一般人であり、ただ国家権力に雇われた業者が命じるまま仕事をしただけである。
だが国家権力の行使に対する牛歩戦術という、武力放棄させられた我々一般国民による至って平和的な抗議活動を止めようとして、警備員が巻き添えで死亡したからと、大怪我をした高齢者を、権力側の手先となったマスコミや、我々一般国民がよってたかって批判する国の未来とは、不当なガザへの入植に抗議する若者を、一般軍人の武装ブルドーザーで轢き殺したイスラエルのような軍事強権国家であろう。
なぜなら、Rachel Corrie を轢き殺した軍人も、イスラエルによって徴兵されただけにすぎないのだろう?
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