Qアノンの正体 / Q: INTO THE STORM

 著名人であれ議員であれジャーナリストであれ、間違いなく私よりも知識が豊富だろうと感じる人物であっても、人は容易に、誤解と虚偽の伝言ゲームにより構築された陰謀論にはまり込む。

私の個人的な陰謀論に対する姿勢は、元々陰謀論は真実と虚偽、誤解がセットになっているのだから、全ての事象が完全に嘘であるわけがない。だが、一番大事な部分、それを最初に広めようとした人にとっての核心、結論が虚偽であり、殆どの場合その動機は不純である。

だからこそたとえ同感できる、あるいは部分的に正しいと感じるところがあっても、陰謀論サークルに入ってしまった人達に加担しないように気をつけている。陰謀論の危険なところは、それが間違っていると客観的情報や事実で証明されたときでも、彼らはその証明の根拠となった情報さえ陰謀であると考えるし、その事実さえも否定しがちなことだ。

これはやはり、宗教と酷似している。科学的思考は、過ちがあればどれだけ、個人の心理として認めたくなくても、理性で受け入れむしろ、自分が間違っていたことがわかれば、喜ぶべきだろう。だから絶対的に正しいと思えても、常に例外の可能性はある。そしてそれが覆った時は、それを素直に受け入れるしか無い。私みたいな我儘な人間は、そうすべきとわかっていても、感情としては難しいのだが、素直に事実を受け入れる姿勢は絶対に必要だ。そして同時に、過ちを認めるのは恥ずかしくても、嬉しいことだ。なぜなら、真実を知るというのは喜びに間違いないからだ。一時の怒りや、恥の感情で頭は一杯になっても、よくよく考えると、事実、真実を知る方が、過ちを信じ込んでいるよりずっといい

年を取るほどそれが難しくなるのは間違いないのだが、それでも死ぬまで、自分にとっての正が間違っていたと知らされた時、知的、理性的な向上として喜ぶべきだろう。

そんな事を今一度思い出させてくれたのが、タイトルにある、Qアノンに関する調査ドキュメンタリーシリーズである。

これは、個人的に間違いなくおすすめのドキュメンタリーである。たとえこれがドキュメンタリーでなくても、人間ドラマとしても十分に面白く、知的好奇心も満足できるだろう。強調しておきたいのだが、当然ドキュメンタリーであるからといって、完全な公平性や客観性は担保されない。人が作るのだからそれは報道と同じで不可能なのだ。伝える側、作りての意図や、思考必ず反映される

Qアノンの正体を暴くのがこの作品の目的であったのは間違いないが、個人的には、むしろQアノンの正体が誰であるか(個人、あるいは複数による合作)という、様々な陰謀論の作り手、発信者側に対する推理や考察よりも、受け手側が陰謀論を受け入れ、新たな発信者、拡散する立場になっていく心理のほうが興味深かった。

まだ見ていないなら是非、陰謀論にハマりがちな議員さんや、言論人、著名人には見てもらって、発信能力のある方々が、陰謀論サークルに加担してしまう可能性と、それがもたらす悲劇をよくよく考えてほしい。

もちろん、その人自身の技能に基づく調査によって、客観的な事実を提示できると言うなら、いいだろう。だが、実際のところは、匿名掲示板の伝言ゲームのようなサークルがもたらす、加工された二次情報をつなぎ合わせて、虚構を信じる根拠にしているかもしれない。

私が一番怖いと思ったのは、匿名性と、一切制約を受けない表現の自由が、同時に保証された時危険性だ。もし政治家や専門家、著名人が関わらなければ、ネット内グループのお遊びで済んでいたものが、政治権力や、経済的利益を求める個人と集団に利用されると、現実社会に混乱と誹謗中傷、暴力事件さえ引き起こすという避けようがない事実だ。

そして巨大プラットフォームを運営する企業、あるいは匿名掲示板を運営する個人の責任を、明確に問える法整備の必要性だ。

様々な負の側面を十分に理解しているのに、自分たちは場所を提供しているだけ、もしくは社会実験などと開き直り、参加者を味方につけ管理責任から逃げおおせれる時代は終わりにしなければいけない。そんな人間をもてはやすのは、少なくとも大手メディアや企業は絶対に避けるべきだろう。

現実的な悲劇を生み出す犯罪や暴力(レイシズムも含んだ)を防ぎながら、表現の自由を守るという、非常に困難なシステムづくりが、今後の、少なくとも民主主義社会に属する私達の課題だろう。









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