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ソアリン:ファンタスティック・フライト―歴史の舵は委ねられた

感動。
この種の感動には暫くありつけないものと思っていた。
東京ディズニーシーに満を辞して登場したアトラクション「ソアリン:ファンタスティック・フライト」がその予想を遥かに上回った。

第一回「遊具映画サロン」ではそんな「ソアリン:ファンタスティック・フライト」を、ストーリーや演出、東京ディズニーパーク史に於ける立ち位置から総合的にみて研究してみたい。

※見解は全て筆者個人のものです

ソアリン:ファンタスティック・フライトについて

2001年に東京ディズニーシーがオープンする。その同年アメリカ合衆国カリフォルニア州で、元祖ディズニーランドに向かい合う形でディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーがオープンした。
後世ではこのテーマパーク(とりわけオープン直後のもの)を低く評価する節があるが、このパークが生み落としたアトラクションのひとつが「ソアリン」である。
オープン当初、副題は「オーバー・カリフォルニア」であり、ディズニー・カリフォルニア・アドベンチャーのテーマ同様、カリフォルニアの絶景を空から巡るアトラクションであった。
「スター・ツアーズ」等に用いられたフライトシミュレーター技術を用いて本当に空の上を飛んでいるかのような体験を実現。半円形のスクリーンに映る映像他、風や香りを用いた五感を刺激するイマーシブなアトラクションだ。
後に複数のパークで副題「アラウンド・ザ・ワールド」が作られ、舞台がカリフォルニアから地球全体に広がった。2016年オープンの上海ディズニーランドには「オーバー・ザ・ホライズン」が設置された。
東京ディズニーシーと同時にオープンしたソアリンは、18年の歳月を経て、2019年についに東京ディズニーシーへやってきた。副題は「ファンタスティック・フライト」、メディテレーニアンハーバーに設置されて大幅にストーリーも変更された。

「ソアリン:ファンタスティック・フライト」

公開:2019年7月23日
提供:新菱冷熱株式会社

ソアリン:ファンタスティック・フライトのストーリー

1801年のメディテレーニアンハーバー。ファルコ・ファミリーに女性のカメリア・ファルコが生まれた。カメリアは、父のチェッリーノ・ファルコがそうするように空を飛ぶことに強い憧れを持っていた。
チェッリーノは、メディテレーニアンハーバーを繁栄に導いた大商人一族のザンビーニ家から土地を譲り受けた。そして1815年、ファンタスティック・フライト・ミュージアム(Il Museo del volo Fantastico)をオープンさせた。中庭には空飛ぶことを夢見た偉人の壁画、受付に展示される博物館の歴史、「飛行へのインスピレーション」名付けられた巨大な高天井の展示室……。飛行機は未だ存在しない時代、気球で風に流され空を漂うことは出来ても、自由に空を駆け回ることは夢のまた夢だった。
カメリアはハヤブサのアレッタと共に幼い頃からチェッリーノの様子を見る。そして、気球に乗って世界中を旅してまわり、「大空を自由に飛び回るという世界共通の夢」を叶えたいと考えた。
1850年、49歳で博物館の2代目館長に就任、その翌年には探検家冒険家学会ことS.E.A.にはじめての女性会員として認められた。1875年に没したカメリアは74歳だった。

時は流れて1901年、メディテレーニアンハーバーの小高い丘に建てられた博物館では、カメリア生誕100周年の特別展示を開催している。我々は一般展示を幾つか確認し、特別展示室を訪れカメリアの飛行に対する情熱に打ちひしがれたら、最後にはテラスで彼女とその仲間の最大の発明品であるドリームフライヤーに乗る体験が出来る。
ところが、博物館の学芸員が言うには、どうやらこの博物館には既に亡くなったはずのカメリアが現れるらしい……。
「イマジネーションや夢見る力があれば、時空を超え、どこにでも行くことができる」。そう考えていたカメリアのドリームフライヤーは、果たして空を飛ぶことができるのか? そして、カメリアとは一体どんな人物だったのか?

タワー・オブ・テラーよ、もう一度

ここでは、「ソアリン:ファンタスティック・フライト」の東京ディズニーシーに於ける意義を確認していきたい。

さて、本アトラクションは、同東京ディズニーシーにあるアトラクション「タワー・オブ・テラー」との類似点が非常に多いと指摘されている。
・建物のオーナー(カメリア/ハイタワー三世)が既にこの世にいない
・オーナーがS.E.A.メンバー
・オーナーと小さな相方(アレッタ/シリキ・ウトゥンドゥ)がいる
・世界各国を表現する壁画がある
などストーリー面での共通点から
・テーマポート初大型アトラクションとして導入された
・プレショー場面の構成と展開が近似
・3×2部屋の乗り場に別れる
・海外パークの人気アトラクションを完全オリジナルストーリーで導入
などがある。

ここからは暫し「タワー・オブ・テラー」について触れていきたい。東京ディズニーシーに「タワー・オブ・テラー」が登場した2006年は、東京ディズニーシー5周年の年であった。当初のパーク構想から既に導入が前提となっていた、言わば「遅れ初期メンバー」であるこの「タワー・オブ・テラー」、現在では人気アトラクションの階段を一段下りている。
東京ディズニーシーは東京ディズニーランドとの差別化を図り、キャラクターが前面に押し出されないという前提があった。多くのアトラクションがその芸風を汲み、更にスリルあるアトラクションが多く導入されていた。「タワー・オブ・テラー」はその系譜の上にあって、ミステリアスで威厳のある外観とそこに走る緑色の閃光の演出が、異様な空気感を醸している。
オープン当初こそ5周年イベントの目玉アトラクションであった「タワー・オブ・テラー」。アトラクションオープンから5年ほどはこのアトラクションの天下が続いていたが、2011年の「タートル・トーク」、2012年の「トイ・ストーリー・マニア!」、2017年の「ニモ&フレンズ・シーライダー」などに観測されるように、東京ディズニーシーは、今まで以上にキャラクターを流入。これによって東京ディズニーランドと均衡を取るという方針に変化したと思われる。ファミリー層ゲストの増加に伴ってパークの覇権は「トイ・ストーリー・マニア!」に移り、かくして「タワー・オブ・テラー」はトップの座を下りた。
フリーフォール型スリルライドというアドバンテージが、逆に受け付ける層を減らしつつあるというのが(私の個人的に考える)理由だが、「センター・オブ・ジ・アース」「インディ・ジョーンズ®︎・アドベンチャー:クリスタルスカルの魔宮」などと比較して20分以上待ち時間が落ちたり、半分ほどになっていたりということもある。フリーフォール型であるというだけでなく、ホラー映画さながらの恐怖体験で演出されている点も客層を狭める。加えて、フリーフォール型とはいえ落下回数が少なくパターンが固定されているのも飽きの早さに繋がっているかもしれない。

こうした時代と特徴にあって「トイ・ストーリー・マニア!」にトップを奪われ、転落していった「タワー・オブ・テラー」だが、決してアトラクション自体が負の遺産であるとは言えない。
舞台であるテーマポート「アメリカンウォーターフロント」をフルに扱った壮大なバックグラウンドストーリー、新聞・漫画・ラジオドラマ・ウェブページ・度重なる試乗会によって幾重にも積み重ねられた広告とストーリー喧伝は過去のどのアトラクションにも勝るパワーを持っている。
例えば、ホテル・ハイタワーのオーナーであるハリソン・ハイタワー三世は、S.S.コロンビア号を所有するコーネリアス・エンディコット三世とライバル関係にある。ハイタワー三世を調査し続けていた新聞記者のマンフレッド・ストラングはエンディコット三世の新聞社に所属しているし、ホテルツアーを開始したのは彼の娘ことベアトリス・ローズ・エンディコットである。
アトラクションオープンの後に始まった東京ディズニーシー初のハロウィーンで公演された「ミステリアス・マスカレード」は、恐怖のホテルことタワー・オブ・テラーの呪いと密接に関係したストーリーが取り入れられた。マスカレードの主催は、タワー・オブ・テラーのツアーを企画・運営するニューヨーク市保存協会だ。
このようにして正の側面も持つアトラクションであったことは事実である。

話は「ソアリン:ファンタスティック・フライト」に戻る。本アトラクションは、ある種の前作である「タワー・オブ・テラー」に代わって「トイ・ストーリー・マニア!」から人気アトラクショントップの座を奪回する任を受け、古きは新しく、魅力はそのままに登場する必要があったのだ。
当初はディズニーキャラクターの登場するものが計画されていた東京ソアリンは結局、東京ディズニーリゾートの客層の7割を占める女性に向けて、魅力的な女性主人公を据えたアトラクションにすることが決まった。

「タワー・オブ・テラー」でネックであった部分は見事克服されている。ソアリンはスリルライドというよりも単に景観を楽しむアトラクションであるし、内容もハートフルで愛の溢れる内容であるから家族で楽しめる。内容の新鮮さ、何度も乗りたいかという点に関しては後世に評価を仰ぐべきだろうが、少なくともアトラクションに乗る前に行われる前座、ディズニーパークが「プレショー」と呼ぶものは2種類が用意された。

勿論、「タワー・オブ・テラー」の魅力はそのままである。「ソアリン:ファンタスティック・フライト」がある「メディテレーニアンハーバー」と本アトラクションは非常に密接に関わるストーリーを持つ。
博物館の建設のために土地を提供したのは、「ザンビーニ・ブラザーズ・リストランテ」のザンビーニ一家である。「ザ・レオナルド・チャレンジ」のレオナルド・ダ・ヴィンチは、空飛ぶフライングマシーンを夢想していたが、カメリアたちが完成させたドリームフライヤーはこれに形がよく似ている。

時流に逆らったオープンであることから広告やグッズ展開にはパワーが欠けていたものの、我々の知るように、今や「ソアリン:ファンタスティック・フライト」は東京ディズニーシーいちばんの人気アトラクションになっている。「タワー・オブ・テラー」をもう一度という願いは実現されたのである。

二つの世界旅行

ストーリーの内容に踏み込んでいきたい。今回私が「ソアリン:ファンタスティック・フライト」で着目したのは、カメリアの飛行動機と我々ゲストの最終的体験価値である。

一本の橋を挟んでファンタスティック・フライト・ミュージアムと対に建設されているのが「フォートレス・エクスプロレーション」である。16世紀、ヨーロッパは「大航海時代」と「ルネサンス」という二つのブームに沸いていた。そして、これら二つの子として生み落とされたのが、探検家冒険家学会ことS.E.A.(Society of Explorers and Adventurers)であった。S.E.A.の名誉会員にはレオナルド・ダ・ヴィンチなどルネサンスの偉人や、エンリケ航海王子やクリストファー・コロンブスなどの大航海時代の著名人が名を連ねる。彼らの目的は「ルネサンス」の精神に依拠しており、端的に、特定の宗教に傾倒せず忠実な目で科学を見つめるというものであった。それと同時に、「大航海時代」に関連して冒険の素晴らしさを伝える目的もあった。S.E.A.のモットーは「冒険」「発見」「発明」「ロマンス」である。そんなS.E.A.が所持する砦が「フォートレス・エクスプロレーション」だ。冒険家や探検家が結成した学会、S.E.A.の使命は新しい知識の取得に全力を尽くすことである。

我々はS.E.A.の活動を広める場所として、フォートレス・エクスプロレーションを創設した。
砦や港をくまなく探索し、我々の冒険や研究の成果をその目で確かめてほしい。
知識の探究は永遠に終らない。
この地へ足を踏み入れるたび、冒険やロマンス、発見や発明の新しい世界が、諸君を待っていることだろう。
(パーク内で配布のフォートレス・エクスプロレーションマップより引用)

ここにある探検家御用達のレストランが「マゼランズ」で、言わずもがな探検家のフェルディナンド・マゼランの名を冠している。彼はヨーロッパを出発して太平洋を渡り、フィリピンへ到達して息絶えた。
その後は彼の部下がヨーロッパに還り、マゼラン艦隊は世界一周を成し遂げたのである。
マゼランは元来ポルトガルの人間であったが王との関係が良好でなく、スペイン側へと寝返った。世界一周するマゼランの航海はスペイン王カルロス1世の命令によって行われ、それも当初は主に香辛料を求めたアジアへの遠征が目的であった。新しく発見した土地を子午線を基準にポルトガルとスペインで二分することを(勝手に)取り決めたトルデシリャス条約によると、マゼランの目的地はスペイン領にあたるらしいということもわかり、彼はスペイン艦隊として航海に出た。
フィリピンでの彼の死については、戦死ということが言われている。彼の行き着いたセブ島で、島の住民をキリスト教に改宗させるため、しばしば武力行使や焼き討ちも辞さなかったというマゼランは、セブ島の王のひとりであるラプ=ラプの軍隊に返り討ちにされ死亡した。

さて、こうした彼の世界一周でのエピソードに関わってみていくとはっきりするのは、彼の行なっていた行為はスペインの権益確保を目的とした侵略行為であって、決して許されざるべきものであるという側面だ。
これに関しては必ずしもマゼラン個人の責任とは言い切れない。クリストファー・コロンブスは当初彼らを歓迎していたネイティブ・アメリカンを迫害し金銀を手に入れることしか眼中になかった。ローマ帝国滅亡後のヨーロッパは大航海時代の訪れる15世紀頃まで、暗黒の中世を過ごしており、時代の主役は寧ろアジアとイスラーム世界であった。インドの香辛料を求め、中国の製紙方法や羅針盤技術を応用してきた彼らだったが、今度は彼らを侵略し支配する時代が長らく20世紀まで続こうということになりつつあった。恩を仇で返すとは正にこのことである。
大航海時代とはこのような負の面も持ち合わせていたのであり、マゼランズもといフォートレス・エクスプロレーションはそれを賛美した施設なのである。彼らの言う知識、新しい世界とはそういう背景に立脚するものである。

一方で、カメリアの成し遂げようとした世界就航は空からのものであった。空に対する憧れははじめ、カメリアの個人的なものであったが、世界中の人々が「大空を自由に飛びたい」という夢を持つことを知り、彼女は仲間と共にドリームフライヤーを開発した。彼女が生きたのは「大航海時代」ならぬ「大航空時代」であって、国家のしがらみに囚われずに人類の夢の代弁者として夢の実現を試みたのである。これは、侵略を目的としていたマゼランの行いとは全く以って対称的なものである。
そして、彼女の実験が成功したかどうかは、特別展示の中で語られていない。「世界中の空を自由に飛ぶ」という夢は、彼女によってあと一歩のところまで後押しされた後で、我々が叶えることになる。それはまるで、マゼランが艦隊に後を託したかのようである。
カメリア・ファルコの夢は過去のヨーロッパの夢の系譜の中にありながら、現代の我々が純粋に等しく感動出来るものに置き換えられている。カメリアの素晴らしさとは正にそこにあるのではないかと私は思う。

ソアリン=「トイ・ストーリー」?

「ソアリン:ファンタスティック・フライト」をより楽しむための注目ポイントは、作品の不均衡な描写形態、まあ、つまりは致命的な矛盾にある。
「ソアリン:ファンタスティック・フライト」の舞台は1901年の南ヨーロッパであるはずなのだが、アトラクションで旅する空は現代である。そこでは例えば、高層ビルが立ち並ぶオーストラリアのシドニーを訪れたり、遠景に映るものが現代技術であったり、現代人の乗る気球に出会ったりするのである。然しながら、誰もそれを指摘しないのである。ここには様々な要因があるが、結果的に東京ディズニーシーはこの演出を見事に成功させていると私は考える。

実のところ、勿論、アトラクション側面の理由が現実的なところだろうと私も思う。東京と上海以外の場所にある「ソアリン」は舞台を現代としているというのが事情である。飛行博物館という設定が同じでも、現代の飛行機技術に踏み込んでいたりするシーンや展示があり、カメリアなどの物語も登場しない。その映像をそのまま用いた結果、1901年という時代設定と矛盾した現代の映像を【結果的に】使うことになったのである。

然しながら、これが結果的に与えた情に訴えかける演出は実に見事なものである。

ディズニーのテーマパークが度々用いるのはハイパーリアルという手法だ。これは、本物よりも本物らしく作るという考え方である。
日本の声優の独特な発生方法は、日常で見ることのないある意味で手の込んだ演技であるが、これはアニメーションや吹替に当てることで逆に魅力的に見える。アニメーションは線画と色だけで演出されるし、吹替は三次元世界を二次元世界に収めたものに過ぎない。どのみち話す人間が実態として見えていないのだから、その分現実世界より情報量が減る。日本の声優はそこに演技で情報を補うのである。
ディズニーパークの場合、例えばワールドバザールの建物は一階、二階、三階の高さが異なっているというのが有名だ。具体的には十・五・三のサイズ感になっている。本物を作るよりも、遠近法の錯覚により、建物が高いと感じられるためである。もし実物大で作っていたら、「思っていたより小さい」とか「こぢんまりしている」と思われてしまう恐れがある。つまり、実物大でものを考えるのではなく、我々がどう感じるかを基準に設計が行われているのである。
さて、「ソアリン:ファンタスティック・フライト」の場合、1901年の空が実際にどうであったかを考察するよりも、空の心地よさを感じてもらうのが大切だとすれば、相応しいのは断然我々の知っている空である。空に我々の知らない世界があるというよりは寧ろ、我々の知っている世界を飛ぶ方が都合が良かったのであろう。こうした意味で、現代の空を用いることはディズニーパークの演出上理に適っている。

又、ストーリー面でもぬかりはない。
ドリームフライヤーという飛行機は、我々自身のイマジネーション、想像力によって空へ飛び上がるのである。これが意味するところは、現代に生きる我々が旅するのは現代の空であるということである。「夢を見る力とイマジネーションがあれば、時空を超えてどこへでも飛んでいける」というカメリアの思想は、こうしたシステム上の都合の上に建つ詭弁的なものでもあるが、それ自体の高潔さは事情よりも本質を際立たせる。

ところで、こうした手法が使われた映画として、私が思い浮かべたのは『トイ・ストーリー』(1995/ピクサー/監督:ジョン・ラセター)である。
『トイ・ストーリー』といえば、世界初の長編フルCGアニメーション映画。
我々の知らない世界。我々が寝静まったり、家を留守にしたりしている間、おもちゃたちが自由自在に人間のように振舞う世界。子供アンディのおもちゃとして一番人気を張るカウボーイ人形のウッディは、仲間のおもちゃたちを束ねるリーダーだ。ある日、アンディの誕生日に家にやってきたのは、スペースレンジャーのおもちゃであるバズ・ライトイヤー。彼は自身がおもちゃであると自覚していないが、アンディの一番人気に成り代わる。嫉妬したウッディはバズをベッドの下に落とそうと目論むが、事態は予期せぬ急展開を迎える……。

誰もが知っているこの映画が多くの人に愛されるのは、二重の感情移入構造にあると私は考える。
我々は、主人公のカウボーイ人形であるウッディを通して、バズ・ライトイヤーと関係を深めるドラマを追体験する。嫉妬と羨望、若かりし頃の自信、おもちゃであるという役割、アンディの為に捧げる運命……。1時間強の物語は感動的だ。
一方で、もしこの物語に感動できなかったとしても問題はない。我々はウッディを追体験すると同時にアンディを追体験する。ウッディの想いとバズ・ライトイヤーの境遇は、時に自分自身の問題として心にのしかかり、また時に「自分のおもちゃの問題として」受け取ることになる。つまり、観客は各々が一番愛していたおもちゃとウッディを重ね合わせ、アンディ目線で物語を見ることが出来る。この二重の感動構造こそ、「トイ・ストーリー」シリーズが永らく愛された理由だと思う。

余談になるが、この仕組みからいくと『トイ・ストーリー4』の賛否が別れる理由も分かる。従来の『トイ・ストーリー』から『トイ・ストーリー3』はアンディ三部作とされ、感情移入体Bであるアンディが感情移入体Aのウッディを愛しているという「大前提」があった。だから、自分が自分のおもちゃを愛していた・愛しているという「大前提」の下で映画が鑑賞できた。
ところが、『トイ・ストーリー4』のボニーは、感情移入体Bになるはずのボニーが肝心のウッディを愛していない。この状態では、自分が自分のおもちゃを愛していた・愛しているという「大前提」と一致しない。だから、感動するにはウッディに感情移入するしかない。ウッディの物語で感動できなかった人らの逃げ場がなくなってしまったのである。

話を戻そう。ところで、アンディがウッディやバズ・ライトイヤー、スリンキーやハムたちといった彼のおもちゃで遊んでいるシーンは実はごくごく短い。映画の冒頭にニ、三分挟まれるのみで、これではアンディがウッディに対して募らせている感情が伝わらない。
ところが、実際はそういうわけでもないのである。先に記載したとおり、我々は自身が一番愛するおもちゃを必ずと言ってよいほど持っていて、それとウッディを重ね合わせて鑑賞している。つまり、新規キャラクターとして登場したウッディには背景や心情の移り変わりが必要だが、観客と極めて近い存在であるアンディには背景が不要なのである。アンディの背景は、観客である我々の過去と直結され、又、彼の未来も現在の我々に直結される。こうすることで、過酷な長編フルCG映画に於ける上映時間は大幅に短くすることが可能なのである──それは、「上映時間外に上映時間を設けている」ということなのだが。

さて、「ソアリン:ファンタスティック・フライト」が現代の風景を時代設定に矛盾した形で導入することで最も効果があるのは正にこれである。
我々が見たことのない景色を見せるならば、その景色の背景についての解説が必要である。それがどうして素晴らしいのか、どうして輝いているのかが不明だからだ。
然し、敢えて現代の風景を用いることで、その世界は、我々の世界と直結する。アンディがどのようにおもちゃで遊んだかは描かれていないが、我々はその先を完全に見通すことができた。それは、おもちゃと共に遊び、笑った時間が自分にもある資産であると知っているからだ。ドリームフライヤーの飛ぶ空も、その世界がどこであるという説明が全く不要なままに、多くの人が暮らし、恋をし、友情を育み、独り泣き、働き、汗水たらした場所であると知っているのである。だから、その世界を受け入れ、その世界に受け入れてもらうことができるのである。それこそ、我々と同じ時代を飛ぶ意義である。
具体的な景観の歴史などを知る必要はない。そこに生命があり、大地が躍動し、地球のどこかにあるという事実そのものが、人々を感動させるのである。

ザ・マゼランズ・チャレンジ

先程、侵略を行って領土拡大を目指したマゼランと対照的に、カメリア・ファルコの夢は純粋な愛であると書いた。無論、それ自体は間違いではない。
だが、現実世界に目を向けてみればどうだろうか。

カメリアの生きた19世紀、インド大反乱やアヘン戦争と次ぐアロー戦争、ヨーロッパ諸国によるアジア・アフリカの解体が始まろうとしていた。歴史の再生産に過ぎぬ凄惨な光景について、ファンタスティック・フライト・ミュージアムは映していない。世界中を空で繋ぐ夢は、そうした運動に抗うものであったのだろうか、それとも、ヨーロッパ主義的偏見を伴った無配慮なものだったのだろうか。少なくとも、カメリアの想い虚しく、現実は二度の世界大戦を迎えることとなり、飛行機は殺戮兵器としての顔を持ち始める。

我々の飛ぶ空もまた、例外ではない。世界各地では紛争が起き、核兵器の脅威は消えず、貧困、人口増加、環境問題によって脅かされているのだ。

マゼランが世界周航を船乗りに託したように、カメリアは我々に空をひとつにする夢を託した。それと同時に、過去の人々は未来の人々に平和を委ねたのである。

S.E.A.の会員になるには、ひとつに、フォートレス・エクスプロレーションで行われる「ザ・レオナルド・チャレンジ」がある。レオナルド・ダ・ヴィンチによる試練を達成すると、晴れてS.E.A.会員の仲間入りである。

21世紀のS.E.A.は、冒険・発見・発明・ロマンスの新しい世界をどのようなものにしていくのだろう。もしかしたらそれは、マゼランからのチャレンジかもしれない。

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