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はじめての痛快ディズニーランド入門─四つの誤解とその答え

「ディズニーランドはカップル用! よってクソ!」
みたいな考え方の人がそれなりにいるんじゃないかと思っています。まあ、間違いではないんですけど、あそこはもうちょっとマシなところです。

このnoteは、ディズニーランドやディズニーシーに行く前に読むことをおすすめします。ですから、逆に考えると、このnoteを読んだ後はディズニーランドやディズニーシーに行きたくなってくれると嬉しく思います。
そして、このnoteはかなりディズニーに対して批判的な目線から書くことにします。けっこう痛烈です。というのも、ディズニーはオンラインの文脈において大きな「誤解」を受けていると感じるからです。

ディズニーランドといえばどんなイメージでしょうか。あるいは、ディズニーオタクはどんなイメージでしょうか。さらに踏み込めば、「ディズニーに行くような輩」ってのはどんな輩なんでしょうか? ディズニーランドが誤解を受けているポイントを標語にしてみると、「キタナイ」と言うことになると思います。
まず、「夢みがち」とか「偽物なのに熱狂しがち」とか、そういうのは「キモい」。ロボットしかいない館に入って行ってきゃあきゃあ言っていたり、着ぐるみにむかって話しかけていたり、確かにちょっと異様な光景が広がっています。
次に、レストランも入園料金もお土産も「高い」。これも間違いないでしょう。舞浜駅の一階にはサイゼリヤも入ってます。ディズニーランドの中だと1000円するピザとコーラは、サイゼリヤだと500円で食べられるし、なんならコーラもドリンクバーに変わるのでお得です。入園料金は7000円から10000円くらいなので、それだったらゲームを一本買う方が安いし有意義だとも思うかも。
さらに、アトラクションに乗るにもトイレに入るだけにしても、列が「長い」。言われがちです。3分のアトラクションに乗るのに、なんで120分も待たなきゃいけないんだ。というか、何が120分だ。2時間と呼べ。映画一本観られるくらい待って、3分乗り物に乗って、おしまいです。
これら三つはそれなりに関連していると思います。大したことのないメシや子供騙しのアトラクションに乗るだけなのに、大金を取って長時間待たせる。それでみんな幸せになってしまう。そんなの「意地汚い」ですよね。これも事実。

今回は、これら四つの誤解「キタナイ」を解決するように仕向けながら、ディズニーランドの歴史についてお話をして、ついでにディズニーシーまで行きたいと思います。

*文中のいかなるマイナス表現も、それぞれのエンターテイメントを中傷する意図は全くありません。各表現は、それぞれのエンターテイメントがあまり好きではない人の観点を忖度したマッチポンプです。予めご容赦ください。

飽き性で金欠なおじさん

さて、ディズニーランドはもともとメリケンです。アメリカ製ということです。作ったのはウォルト・ディズニーというおじさんです。

彼は飽き性で新しい物好き。なので、次々と時代を先取りして無理なことをしようとします。例えば、世界初のカラー映画を作ったのはウォルトおじさんと言われています。1932年の『花と木』で、三色式テクニカラーというものを用いて作ります。次いで、1937年の『白雪姫』で世界初の長編カラーアニメーションをやります。更に、1940年の『ファンタジア』で世界初のステレオ映画を作ります。
ウォルトおじさんがディズニーランドをマジで作ろうとしたのは第二次世界大戦後。お金が全くなかったウォルトおじさんは、1950年に『シンデレラ』などを作って健闘します。そして、この年に『宝島』という実写映画にも手を出します。ディズニーランド建設にそれでもお金がなかったので、1954年に当時は新興メディアだったテレビのために番組制作をします。『ディズニーランド』を上映して、制作の様子をアピールしていたと言われています。

さて、ディズニーランドのオープンは1955年です。
このディズニーランドの解釈は色々とあります。「東京ディズニーランド」ではなく、カリフォルニアにできた最初の「ディズニーランド」のことですが。しかし、ひとつわかるのは、この経歴で遊園地作るとか尋常じゃねえなってことです。
ここで、やっとディズニーランドの話に入ることができます。

まず第一に、ディズニーランドは「遊園地」ですが、ウォルトは「テーマパーク」を標榜していました。「テーマに基づいたパーク(公園)」です。これって、どういうことなんでしょうか。
従来の遊園地は、ジェットコースターやメリーゴーラウンドなどの施設を無造作に置いて、あるいは客の入りを最大化することを目的に設置して運営していました。しかし、ウォルトは、それぞれの施設には物語をつけようということを言い始めます。それぞれの施設にはそれぞれの「テーマ」があるということです。これが「テーマパーク」です。
そこでは、それぞれの施設の物語同士がごちゃごちゃ混ざってしまう可能性があるので、近しい物語の施設は近くに置こうねということになります。確かに、ラブロマンスをみていたら突然拳銃を持ったおじさんが出てきてドンパチするというのは嫌ですし、スペインが舞台の作品で窓を開けたら突然中国につながっていたりしたら困ります。これがいわゆる「テーマエリア」という概念に繋がっています。似たような舞台やテーマの物語を集めて、建物を融通させることで、それぞれの施設が調和するようにしているわけです。例えば、「ファンタジーランド」はファンタジー、「トゥモローランド」は未来がテーマの施設のみを集めて作ります。

第二に、この「テーマパーク」という考え方は、ウォルトおじさんの経歴を見れば当然作らざるを得なかったものであると言えるでしょう。だって、「絵が動かねえ。アニメにするか」から「アニメが白黒だ、色つけるか」「音が左右で分かれたらいいんじゃね」「アニメより実写だ」と言い続け、ウォルトおじさんは「最新技術を使って、物語をフィクションからリアルに近づけたかったおじさん」になっていったわけです。ですから、ディズニーランドは「二次元じゃねえかこれ、三次元にするか」とマッドサイエンスを始めた段階にあたるわけです。
ディズニーランドは完全にこの前提に立っています。つまり、遊園地というのは方法に過ぎなくて、やってることは漫画や映画と全く変わらないということです。
そして、これを言い換えると、ディズニーランドは決して「ディズニー映画の再現」ではないということも言えます。ディズニーは新作の卸先を映画と遊園地に割り振っていただけで、別にディズニーの乗り物は全部が全部ディズニー映画というわけではありません。その証拠に、映画の『白雪姫』をモデルに「白雪姫と七人の小人」というアトラクションを作っているのと同時に、アトラクションの「カリブの海賊」をモデルに「パイレーツ・オブ・カリビアン」の映画シリーズを作りました。ディズニーとしては、どっちが先かは割とどうでもよくて、ただ、物語の表現媒体が変わっただけって話です。

第三に、このディズニーランドの「ディズニー」って、ウォルト・ディズニーのディズニーのディズニーなわけです。自分の名前を冠するくらいなので、ウォルトおじさんは個人的な思い出をテーマパークに反映することにします。しかし、これは結果的に、多くのアメリカ人の心を掴むことになりました。
その理由ですが、ウォルトおじさんがガチの鉄道オタクだったことと関係しています。「テーマパーク」は「パーク」なので公園なわけですが、ディズニーランドはもともと、自社スタジオの隣の公園として企画されていました。そこには外輪船を浮かべて、鉄道を走らせて近くの公園まで繋ぐという企画があり、ディズニー映画はあんまり関係なかったんですね。
ウォルトおじさんが学生時代を過ごしたミズーリ州のマーセリンは、アメリカ中部の町です。東海岸からここを通って西海岸へ行く鉄道を、ウォルトおじさんは夢と希望を載せて走るものとして憧れの目で見ていました。鉄道は大陸を横断しており、外輪船は川を伝って大陸中に人々を運びます。アメリカ全土を興すのに、これらの乗り物は必要不可欠だったのです。そういう意識を、アメリカ人はなんとなく共有していました。
そこで、ウォルトおじさんはディズニーランドの外周には鉄道を走らせ、外輪船を浮かべるだけの川を作ります。
つまり、ディズニーランドが表現しているものは何かというと、「アメリカン・ドリーム」というやつです。1776年に独立したアメリカ合衆国は、大国でありながら、ヨーロッパやアジアと比較して豊富な歴史を持っているとは言えなかった。ディズニーランドは、その建国神話を肩代わりしているとも言えるのです。

さて、これでディズニーランドの疑問「キモい」にある程度答えられるんじゃないかと思います。
つまり、「ディズニーランドのものが本物であるべき」だとは、最初から誰も思っていないわけです。映画を観る時に「こんなの嘘だ!」と言う人はなかなかいないと思いますし、小説を読みながら「タダの文字じゃねえか!」とも言わないでしょう。漫画やアニメも「結局は線と面じゃんか」とは思わないはずです。
ディズニーランドのあれこれは、映画のセットとして最も気持ちが良いように作られています。のどかで落ち着く愛らしい街は小さめに作ったり、威厳ある巨大なお城は強制遠近法で高く見えるように作ります。実物を作っているわけではなくて、お客からどう見えるかを想定して作っているということです。だから、「全部作り物じゃねえか!」と言うならば、すべての建物やアトラクションの演出がどういうからくりかわかるように凝視しながら「俺は騙されねえよ!!」と言いながら行くのが楽しいです。

ディズニーランド「符丁」が「ゲスト」を狂わせる

ディズニーランドの「キモい」が、もっとこう、「ミュージカルで急に踊り出すの怖いよね」みたいな類のものであるということも考えられます。お互いに示し合わせがあって、現実にあり得ないことが現実に進んでいくのが「キモい」というのは、確かに一理あるかもしれません。ディズニーだって実際にミュージカル作品もたくさん作っていますから、そのノリがあるのかもしれません。ですので、その点にも答えなければいけないでしょう。

上述の通り、ディズニーランドはさながら映画のように、フィクションを見せることを前提としています。そのため、「偽物を本物かと思ってありがたがっている」というキモさは、別に映画とさして違いはありません。
そして、そのために、ディズニーランドは「遊園地」領域と「フィクション」領域をうまく使い分けていると言えるでしょう。まずはここから始めてみます。

例えば、子供に『それいけ!アンパンマン』を見せるとします。説明不要でしょうが、「アンパンマン」にはめいけんチーズというキャラクターがいて、声優を山寺宏一さんが務めています。山寺さんは他にも、ジャムおじさん、かまめしどん、カバオくんなどの役を兼任していますが、子供たちはそれぞれを「めいけんチーズ」「ジャムおじさん」「かまめしどん」「カバオくん」として認識しているはずです。大人も普段はそのように認識していますが、ふと「山寺宏一」として認識する時がきます。「ああ、あのキャラクターの声はこのキャラクターの声と同じで、どちらも山寺だな」みたいなことになります。これが、創作物あるいは商品である「アニメーション」としての領域と、その作中で表現される偽の世界こと「フィクション」領域ということになります。

これを、ディズニーランドに置き換えるとどうでしょうか。
例えば「ビッグサンダー・マウンテン」という乗り物は「ジェットコースター」です。だから我々は、「レール」の上を走る「車両」に乗り、ジェットコースターに乗る体験ができるのは当然のことです。
しかし、「ビッグサンダー・マウンテン」は同時に「物語」でもあるわけです。

熱狂のゴールドラッシュが過ぎて数十年。かつての活気が失われた鉱山を猛スピードで駆けぬけるのは、機関士のいない鉱山列車。目前に迫る岩肌、傾斜しながら一気にくだるスリルに思わず声をあげてしまいそう!
『【公式】ビッグサンダー・マウンテン|東京ディズニーランド|東京ディズニーリゾート』

ここでは、金の採掘にやってきた命知らずの我々は、「線路」の上を走る「マイントレイン」に乗り、「暴走列車と格闘する」体験ができるのです。つまり、山寺さんをかまめしどんと呼ぶのと同じように、我々は「車両」を「マイントレイン」と呼んでいる。この配列は同じです。

話は最初に戻ります。ディズニーランドにミュージカル映画的な「キモさ」を感じるようであれば、それはむしろ良い気づきでしょう。ディズニーランドの真髄はここにあると言えるのです。

ディズニーランドは、「遊園地」領域と「フィクション」領域の間に、「ディズニーランド」領域というのを持っています。これがお客を狂わせます。
簡単に言うと、ディズニーランドの符丁です。例えば、従業員のことを「キャスト」、お客のことを「ゲスト」と呼ぶ。乗り物は「アトラクション」と呼ぶ。ゲストの立ち入れる範囲は「オンステージ」、キャスト専用の裏方は「バックステージ」。これは、ディズニーランドに通底する根本的な物語の存在から名づけられています。ディズニーランドは物語を演じる巨大なステージで、そこでは従業員は物語の登場人物を演じるというわけです。
「ディズニーランド」領域とは、遊園地界隈の様式にも、フィクションとして設定されてもいない、ディズニーランド独自の様式美のことを指すということにしておきます。

そう考えると、ディズニーランドの多くの疑問は解消されます。お客は、「遊園地」領域と「ディズニーランド」領域と「フィクション」領域を自在に移動しながら楽しんでいるのです。
東京ディズニーランドの模範解答みたいな楽しみ方を考えてみましょう。学生の言う「スペースマウンテン乗ろうぜ!」は、これは別に「ビッグサンダー・マウンテン」だろうが「FUJIYAMA」だろうが彼らは乗りますから「ジェットコースター乗ろうぜ!」という意味。「遊園地」領域にいると言えそうです。「おそろコーデしよう!」とか「カチューシャつけよう!」みたいなノリは、これはディズニーランド特有のノリとして解釈することもできます。ポップコーン、チュロスなどの食べ歩きメニューもここに入り、ディズニーランドのオリジナリティがある遊びで物語の本筋と関係ないものは全部これでしょう。これが「ディズニーランド」領域です。そして、「あ! あそこにミッキーがいる!」というのは、ミッキーマウスという存在を暗に信頼した「フィクション」領域のものです。

つまり、ディズニーランドのミュージカル映画的な「キモい」というのはここに起因します。ディズニーランドにはディズニーランド独自の様式があって、それはディズニーランドが独断で設定したものです。そして、それは決しておかしな話ではないということです。いや、それがおかしいから嫌なんだろということになりますが、結局それは山寺さんをめいけんチーズと呼んでいる以上、それと変わらないということです。

余談ですが、東京ディズニーランドとシーで問題になったこととして、「ジャングルうどん」事件というのがありました。レストランの新メニューとして、ランドとシーでうどんを販売しようということになって、「雰囲気が台無しじゃないか!」と株主総会で怒られた事件です。
舞台は「ユカタン・ベースキャンプ・グリル」という東京ディズニーシーのレストランでした。1930年台の中央アメリカが舞台という設定の「ロストリバーデルタ」というエリアにあるレストランです。大学が神殿発掘の「ベースキャンプ」としていた施設で、休憩中に振る舞われたスモーク料理が話題となり、一般客を引き入れたという雰囲気に演出されています。

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ご丁寧にも、「ペンシルベニア州立アンドリュー大学」という表記をわざわざ「グリル」で塗りつぶしたような跡がありますね。

そこでうどんを出すというのは、これはもう、「ジャングルうどん」じゃないかと。
しかし、考えてみればこれは決しておかしな話ではありません。東京ディズニーランドには「ハングリーベア・レストラン」というレストランがあって、ここは1983年のオープン以来、頑固にカレーライスを売り続けています。

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舞台は「ウエスタンランド」で、西部開拓時代のカリフォルニアとなっています。でも、誰も「西部劇カレー」とかいうことは言わないわけです。
これこそ、「ディズニーランド」領域ではないでしょうか。つまり、「ディズニーランドはチュロスを食べるところ」とか「ディズニーランドはポップコーンを食べるところ」というのと同じで、「東京のディズニーパークはカレーを出すものだ」という前提があるから、カレーは許される。でも、うどんはディズニーランドの前提の中に入っていない。将来的には、うどんがディズニーランドの定義の中に取り入れられて、若い子供はディズニーランドでうまいうまいとうどんを食べるようになると思います。

「高い」も「長い」も「捉えよう」

さて、上述の通り、ディズニーランドのおよそのものは「遊園地」「ディズニーランド」「フィクション」という三つのものがダブったものとして認識されています。そう考えると、この「高い」も「長い」もそこまで重要な問題ではないということになります。

ここで最も大切なのは、「ディズニーランド内のすべてのものは実利を無視しており、ストーリーを語るために用意されている」という前提です。厳密には実利に基づくものもありますが、ディズニーは実利っぽい部分をなんとか隠そうとします(最近それが上手くいっていないから「ジャングルうどん」は怒られているわけですが)。

例えば、レストランのごはんが高いという問題。これは、レストランを「食事のための施設」という「遊園地」領域のものとしてみているために発生してしまう問題です。
これは例えば「バレンタインのチョコ、手作りするより買った方がよくない?」とか「飯盒炊爨って何? 買ってくりゃよくない?」みたいな話と一緒です。チョコを手作りして渡すという「気持ち」の話や、限られた用具と材料で苦心してごはんを作るという「体験」の話を、むりくり実利に持っていこうとした結果、恋人の枕を濡らし、森の中で修羅場になってしまうのです。
東京ディズニーランドの「パン・ギャラクティック・ピザ・ポート」では、ピザとドリンクのセットで960円。セントラルキッチンで調理されて平積みされたまあまあ冷めてるピザと、どこでも飲めるようなドリンクを合わせて960円。先に申し上げた通り、舞浜駅前のサイゼリヤならば半額で出してくれるでしょう。ですが、「パン・ギャラクティック・ピザ・ポート」は、未来をテーマにした「トゥモローランド」というエリアに属しており、豊富な「フィクション」領域を持っています。

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「パン・ギャラクティック・ピザ・ポート」は、太陽系第1号店のピザのレストラン。
マネージャーのトニー・ソラローニは、全自動ピザ製造マシンPZ-5000を操作しながら、たくさんのオーダーを受けています。焼きたての宇宙一のピザはいかがでしょうか?
『【公式】パン・ギャラクティック・ピザ・ポート|東京ディズニーランド|東京ディズニーリゾート』

どうやら「パン・ギャラクティック・ピザ・ポート」は銀河系展開のピザチェーン店のようです。レジの上には3×3のモニターがあり、そこでは絶えず広告が流されています。その両脇では、全自動ピザ製造マシンPZ-5000が動いており、時折故障をしては、トニー・ソラローニがパネルを操作して修理しています。
つまり、「宇宙展開のピザチェーンに行く」という「物語」そのものが体験価値であって、決して腹を満たしに行くわけではないんですね。このピザチェーンの物語、設定、ディテール、そして「ピザを食べる」という形のストーリーテリングに金を払えるかどうか、という問題なわけです。

これは、長蛇の列についても同様です。
アトラクションに乗るのを待っている間の時間というのが、ストーリーの中で想定されている場合が多いのです。「遊園地」領域の「列に並ぶ」というマイナス点を、「フィクション」領域に転嫁して演出効果としているわけです。アトラクションに並んでいる途中に、さまざまな資料や文字情報を提示することで、お客はだんだん「フィクション」領域に吸い込まれていきます。
もっとも顕著に現れているのが「プレショー」というシステムでしょう。「プレ」=事前に行われる「ショー」=演出ということで、アトラクションの乗り物に乗る前に前説の時間があるということです。これは、「遊園地」領域から見れば全く意味がありません。しかし、「フィクション」領域からすると重要です。

東京ディズニーシーの「タワー・オブ・テラー」は、約1分30秒のとても短いフリーフォール型アトラクションです。3回しか落ちません。このタワー・オブ・テラー=「恐怖のホテル」は、ニューヨークの大富豪の失踪が絡んだストーリーを持っており、ニューヨーク市保存協会という団体が主催するツアーという体裁です。

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アトラクションの待機列は、ホテルの隣の敷地に用意された庭園、連絡通路、そしてホテルのロビーへと続きます。その後、保存協会の会員(を演じる「キャスト」)からホテルの謎を聞き、次に大富豪の書斎で怪奇現象を目の当たりにします。ちなみに、この説明のシーンが、フリーフォールの前説にあたる「プレショー」です。その後、隠し扉からホテルの倉庫へと移り、やっとのことで「業務用エレベーター」=「フリーフォールの乗り物」へと到着。1分30秒ワーキャーして終わりです。

時は1912年のニューヨーク。1899年に起きたオーナーの謎の失踪事件以来、恐怖のホテルと呼ばれるようになった「タワー・オブ・テラー」。ニューヨーク市保存協会による見学ツアーに参加したゲストは、エレベーターで最上階へと向かうことに。身の毛もよだつ体験が待ち受けるとも知らず…。
『【公式】タワー・オブ・テラー|東京ディズニーシー|東京ディズニーリゾート』

公式な記述もこうなっています。こう記述されると、アトラクションそれ自体はほとんど影が薄いということにお気づきいただけると思います。富士急ハイランドの「鉄骨番長」というフリーフォールと比較してみましょう。

木に囲まれた静かなエリアで待ち構える「鉄骨番長」は、4本のワイヤーに取り付けられたブランコが上昇や下降を繰り返しながら水平回転するアトラクション。4大ジェットコースターに負けず劣らず、あなたを”未知なる絶叫”へと誘うアトラクションです。
50mを超える回転ブランコ型アトラクションとしては、日本初登場かつ日本最高のスペックを誇り、最高時速は51kmに達し、足がブラブラの状態で振り回される浮遊感は格別!
『鉄骨番長 | アトラクション | 富士急ハイランド』

「物語を語る」という側面から見れば、「タワー・オブ・テラー」はフリーフォールを口実に客を釣っているだけで、それ以前の長い長い待機列で話のほとんどを済ませてしまうというわけです。「身の毛もよだつ体験」こそがフリーフォール部分なんですが、いや、それより前は全部待ってるだけの列の説明です。ディズニーランドは最早、遊園地と言えないんでしょうね。富士急ハイランドの説明文では、きちんとすべてがフリーフォールの体験を紹介する文になっています。

それでも「意地汚い」のはなんでか

さて、ここまで色々と考えてみても、「そうはいっても納得できない。我々は物語に関しての説明を一切受けていないではないか」と思う人もいるかもしれません。

確かにそれはそうです。「ビッグサンダー・マウンテン」を「ゴールドラッシュ潰えた金山」と知っている人はどれくらいいるのか、「タワー・オブ・テラー」に登場するキャラクターの名前をどれくらい知っているのか、そういうことで言えば、物語は全く進んでいません。勝手に提供しておいて、提供した気になってるんじゃねえよ、と。そういうことになるのも無理はないでしょう。
しかし、ここで意外にも問題になるのは、当初に紹介したウォルトおじさんのアイディアです。

はじめに申し上げた通り、ディズニーランドは、アメリカの建国神話を肩代わりする側面があります。逆に言えば、ディズニーランドはアメリカのコモンセンス=常識なくして、理解できないと言っているようなものです。ディズニーランドには「リンカーン大統領との偉大なひと時」というアトラクションがあり、アメリカ人はひどく感動するそうですが、我々はそんなセンスを必ず持ち合わせているわけではありません。日本風にいうなら「福澤先生が立ち上がり、ステージ上を歩き回って演説する」アトラクションです。「ディズニーランドにそんなアトラクションは必要か?」という感じがムンムンです。でも、アメリカにはあるんです。
東京ディズニーランドの抱える最後の問題はそれでしょう。アメリカの切実な自伝であるはずのディズニーランドは、東京と頭に着いた途端、「異国趣味」になってしまったと考えることもできます。我々が理解できるように作られてはいないわけですから、そりゃあ当然理解できません。

ここで、話は東京ディズニーランドと東京ディズニーシーに移ります。ディズニーランドの根本的なアイディアはそのまま、ビジネスモデルを日本風に置き換えたのが「東京ディズニーランド」です。そして、内容もなんとか日本風に置き換えたのが「東京ディズニーシー」だと思って良いでしょう。
有名な話ですが、世界で唯一、ライセンス契約で運営されている「ディズニーじゃないディズニー」が「東京ディズニーリゾート」です。株式会社オリエンタルランドが千葉県浦安市の埋立地に東京ディズニーランドを誘致したことから物語は始まりました。ディズニー側から見ると、失敗の色が強そうでした。しかし、オリエンタルランドの経営手腕により、大成功します。
東京ディズニーランドの大成功の要因を「都心近くに誘致したからだ」と判断したオリエンタルランドは、「次のテーマパークでは、我々も意見を出させてもらう」ということにします。その結果生まれたのが東京ディズニーシーだと言われています。

ところで、じゃあ、東京ディズニーランドとシーにうすら寒さを感じる理由は何なのでしょうか。それは、この「アメリカ人の真意が伝わらない」という東京ディズニーランドの問題点と、「伝わらなくてもよくね?(笑)」という日本人ゲストの気質にあると邪推できます。

アメリカ合衆国は、東海岸から西海岸までの間に3時間の時差があるくらい広い国です。そうなると、ウォルトおじさんが住んでいたようなアメリカ中部の人にしてみれば、ディズニーランドに行くことは、人生史上最高のビッグイベントとなります。そもそも、ディズニーランドがカリフォルニア州にオープンした当時は、東海岸に住む人はアメリカを横断してまでディズニーランドに来たわけです。1971年、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートがフロリダ州にオープンしましたが、これはこれで、とんでもなく巨大なリゾート施設でした。以前の記事を紹介します。

ここで、象徴的な具体例をひとつ出しておきたい。観光庁が毎四半期に実施する「訪日外国人消費動向調査」によれば、東京都に訪れた外国人は平均して5.6泊している(2019年)。これは厳密には観光目的以外の人も多分に含んでいるが、およそ正確な値であると思う。そして、彼らが目的にするであろう観光地たちがひしめき合う山手線の内側はおよそ63平方キロメートルの面積を有し、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートは単純計算して2倍に当たる122平方キロメートルの広さを誇る。それが正しければ、ウォルト・ディズニー・ワールド・リゾートの平均滞在日数は5.6日のだいたい倍になる計算だ。アメリカ人が1週間から2週間の有給休暇でバケーションを取るのと一致すると言ってよい。
『ベイマックスのハッピーライド─ともだちよ、ありがとう|TamifuruD(たみふるD)|note』

つまり、アメリカ合衆国内において、ディズニーランドは「リゾート施設のメイン施設」であって、長期滞在のメインディッシュなわけです。

では、東京ディズニーランドはどうかというと、これは近場の遊び場として手軽なものになっています。

東京ディズニーランドへ向かうJR舞浜駅には、JR東京駅から15分200円で簡単に訪れることができる。このJR東京駅は、JR駅で3番目に乗降の多い駅であり、駅利用者数の世界ランキングを作ればトップ10に入ると言われる(ちなみに、このトップ10は全て日本の駅になることが知られている)。
事実、東京ディズニーランド・シーの入園者のうち、62.9%が関東からのゲストである。そして、0歳から39歳までのゲストで全体の78.5%を獲得する(いずれも2019年のデータ)。彼らは東京に職場や学校を持ち、埼玉県や神奈川県、もちろん東京都や千葉県に住んでいる人たちであり、東京駅を頻繁に利用していると想定すれば、合点がいくだろう(本文では以後、彼らを「東京圏」の人々と呼ぶ)。
『ベイマックスのハッピーライド─ともだちよ、ありがとう|TamifuruD(たみふるD)|note』

つまり、「ありがたみがない」んですね。カジュアルに、年に1回とか、数年に1回、友達に誘われて行く場所が「東京ディズニーランド」であり「東京ディズニーシー」であるわけです。それに、「アメリカのコモンセンスを持ち合わせていないとわからない」という条件が重なるとどうなるか。

それに基づけば、現在の東京ディズニーランドとは学生が友達同士で訪れることのある行楽地の選択肢のひとつに地位が落ち着くことがわかる。彼らにとって東京ディズニーランドはマルイであり、ららぽーとであり、パルコであり、イオンモールである。決して、星野リゾートや温泉宿とは比較されないのだ。
『ベイマックスのハッピーライド─ともだちよ、ありがとう|TamifuruD(たみふるD)|note』

そういうことである。ここにおいて、ディズニーランドが中身を伴った「メリケン博物館」である必要は全くない。そこでは「物語がある」ということだけが重要視され、「どんな物語か」は全く関係ないものとなってしまう。遊びに行く目的地として選択されているに過ぎないディズニーパークは、その中身を問われていない(そしてやはり、これは「映画観に行こうよ」とも近い)。だから、ゲスト自ら物語をいい具合に拒絶していると言えるのではないでしょうか。

はじめてのアカデミックディズニーはディズニーシーでどうぞ!

さて、ここからは具体的な話に踏み込んでいきます。

よし、わかった。ディズニーに行ってもいいかな、と。そこで「東京ディズニーランドと東京ディズニーシーはなにがちがうん?」という大きな問題に突き当たるからです。

結論から申し上げますと、はじめてのディズニーには圧倒的にシーが良い、というのが私の個人的な意見です。先ほども申し上げた通り、東京ディズニーシーは「ビジネスモデルも内容も、なんとか日本人向けに振り切ったけど、フォーマットはディズニーランドを流用した」というものですから、ディズニーのテーマパークだと思って面食らうようなことがなければ、日本人にもよく理解できるはずです。
そうしたメインの理由の他にも、三つほどアピールポイントを挙げて紹介します。

理由1:地に足ついたリアル感

よく私が言う言い方に「ディズニーランドはあちらがわ、ディズニーシーはこちらがわ」というのがあります。
ミッキーマウス先生やミニーマウス先生が住んでらっしゃるのがトゥーンタウンという町で、これは東京ディズニーランドにあります。我々はディズニーの世界に飛び込んでいく必要があり、言い換えると、現実世界を離れて「夢の国(笑)」にいくことになるんですね。
東京ディズニーシーはむしろ逆です。特定の時代の特定の場所がモチーフで、文化があり、街があります。メディテレーニアンハーバーは1901年の南ヨーロッパであり、アメリカンウォーターフロントは1912年前後のアメリカ東海岸です。ロストリバーデルタは1930年代のユカタン半島、アラビアンコーストは13世紀のアラビア・イスラーム世界。ミステリアスアイランドは1870年代の南太平洋の秘密基地。ミッキーマウスはいません。いや、実際にはいるんですけど、「調査にやってきた」とか「航海しにきた」という風を装って出てきます。つまり、我々の世界にディズニーのキャラクターを召喚して作ったのがディズニーシー、と言えるわけです。
そのために、それぞれのエリアはひとつの街として機能しています。メディテレーニアンハーバーならば、土地の元締めザンビーニ家という大富豪がいます。別荘をホテルミラコスタとして貸し出したり、ザンビーニ・ブラザーズ・リストランテという食事処を開いたりしています。あるいは、ファンタスティック・フライト・ミュージアムという博物館の土地は、ザンビーニ家の所有していたものです。これらの「ホテルミラコスタ」はホテルとして、ザンビーニ・ブラザーズ・リストランテはレストランとして、ファンタスティック・フライト・ミュージアムは「ソアリン:ファンタスティック・フライト」というアトラクションとして、実際に中に入って相応の体験ができます。
東京ディズニーシーはそういうわけで、港沿いの架空の観光地を7つ捏造して、繋ぎ合わせたようなテーマパークになっているのです。あまりこういう言い方はしませんが東京ディズニーシーは「三階建て」になっており、階段やスロープを使って高低差のある地形を作り出しています。細い路地と大通りが整備されており、さながら東京の街中をあるいているのと気分は変わりません。東京ディズニーランドに行くと「アドベンチャーランド」「ファンタジーランド」「トゥモローランド」とかいう「概念や思想を建物としてデザインした空間」に突如出向かされるわけですから、それよりはだいぶ理解が進みます。

理由2:待つも待たないも自由

これは、かなり単純な話です。東京ディズニーランドができた1983年と、東京ディズニーシーができた2001年。より現状に近いのは当然後者なので、混雑に対応できるつくりなのはディズニーシーです。以上。おしまい。
いや、おしまいってのも無責任なので、具体例を挙げます。
まず、「待つことを前提にした快適さ」は東京ディズニーシーの方が高いです。
例えばアトラクションは、東京ディズニーランドより10個程度少ないため局所集中が起こりやすくなっています。しかし、「センター・オブ・ジ・アース」「タワー・オブ・テラー」「インディ・ジョーンズ®︎・アドベンチャー:クリスタルスカルの魔宮」などの人気アトラクションは、ゲストが鮨詰めにならないようにゆとりを持った列の設計と見どころの配置になっています。
あるいは、レストランの「カスバ・フードコート」や「ザンビーニ・ブラザーズ・リストランテ」では、レジの前に広大なスペースがあります。よく「カスバ・テニスコート」とか揶揄されていますが、レジの前でスポーツができそうという意味です。東京ディズニーランドでは、レジの前に人が並ぶことを想定しておらず、すぐ屋外に飛び出してしまうなどということがあります。列を屋内に収めようとすると、収集がつかなくなる。東京ディズニーシーはそういうことがありません。
あるいは「なるべく待たない快適さ」というのもあります。
ちゃんと調べたわけではありませんが、東京ディズニーシーのトイレは部屋の数が満遍なくて使用しやすいとか。

理由3:珍しい体験ができる

これは、上述の「なるべく待たない快適さ」に直結しています。東京ディズニーシーは、待ち列ができない楽しみ方の余地がとっても広いです。
例えば、アメリカンウォーターフロント(1912年前後のアメリカ東海岸)には、ニューヨークの港が再現されています。ここでは、S.S.コロンビア号というタイタニック号さながらの豪華客船があり、実際に中に入ることができます。アトラクションがひとつとレストランが二つ入っていますが、デッキに出たり廊下を歩いたりするのは自由というわけです。
で、当のレストランは「S.S.コロンビア・ダイニングルーム」と「テディ・ルーズヴェルト・ラウンジ」ですよ。前者は3000〜5000円価格帯のコース料理、後者は酒を飲むラウンジです。東京ディズニーシーでは、コース料理を出してくれる店が「リストランテ・ディ・カナレット」と「マゼランズ」と先に述べたダイニングルームなどと豊富です。繰り返しになりますが、東京ディズニーランドと比べてそもそものアトラクションも少ないため、ゆっくり1時間から2時間くらいかけて食事ができます。
ここでちょっと考えてみたいのですが、ここまでくると最早、「遊園地の施設をテーマパークにもってきてストーリーをつけて送り出す」という基礎コンセプトから外れています。東京ディズニーシーでは、「ストーリーが前提としてあって、それを表現するために本物を導入して遊園地のアクティビティとした」みたいなものがたまにあります。まあ、これは私の遊園地観が古いからなのかも知れませんが……。

以上が、東京ディズニーシーをおすすめする理由です。ね、楽しそうでしょう。
ところで、「アカデミックディズニー」ってのはなんなんでしょうか。あのね、いや、「アカデミック」は「学問的な」よりももっといい加減な「衒学趣味を晒して楽しむ」みたいな意味で捉えてくれると嬉しいです。
つまり、東京ディズニーシーでは「ディズニーキャラクターの名前をひとつも言わずに満喫し切る」が合法的に可能というわけです。S.S.コロンビア号という「船舶」、ディズニーシー・エレクトリックレールウェイという「高架列車」、「歴史」「科学」「地質学」「生物学」「考古学」「宗教」などの話題に溢れているのが東京ディズニーシーです。

俺には俺のやり方がある、東京ディズニーランド・シー

これまで、ディズニーランドの歴史を通して「キタナイ」を紐解いてきました。では、結局、東京ディズニーランド・シーを楽しむにはどうすれば良いか。それは、「遊園地」の遊具という枠組みからすべてを外して、うまいこと「物語」としてみられるかどうかというところにほとんどがかかっています。ある意味での「ロールプレイ」に近いものです。

例えば、「ビッグサンダー・マウンテン」に乗るときは、西部の開拓者であるという自我を持って行く。そうすると、色々なものが見えてきます。「この箱には何が入っているんだろうか?」「この機材は一体何に使うんだろうか?」「放置されたつるはしは、どれくらい使われていないのか?」。
それだけではありません。「ゲストを西部の開拓者と仕立て上げるために何をしているか」という視座に立つこともできます。

これらは、映画の世界(ことにオタクの形成している界隈)においては常識的な楽しみ方であると思います。「このキャラクターの裏設定は?」「この台詞の意図は?」「あの兵器の開発者は誰か?」みたいな話と、さして変わりません。あるいは、「物語のモデルになっているのはどの神話?」とか「このキャラクターは何のメタファーか?」というのもできますし、「このシーンの作画は誰が担当した?」ということも言い得ます。

「ディズニーランド内のすべてのものは実利を無視しており、ストーリーを語るために用意されている」

完全にそうとは言い切らないまでも、この前提があるだけで、ディズニーランドはけっこうおもしろいと思います。では、いってらっしゃい。

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