好き 言葉⛓️感情
爆笑。寝れなくて書く。その前に洗濯干す。
干した、いつものようにいい加減に干した。
今心を読んでいる(詩的な言い回しではなく、夏目漱石。)今日も心を読んでから寝ると思う。
なんとなく義務教育を受けてなんとなく受験勉強もしたから、中途半端に内容を知っている状態です。
今のところ面白いか面白くないかで言ったら、文章がうまい。うますぎて頭光る。
中途半端といえば、私のコンプレックスの一つです。
誇れるものがまだない。
これからできるといいな。
これは誇れるものとは別ですが、(最近になってようやく)好きを自覚したのは、絵を描くことであります。それが唯一の自覚です。
おそらく自分が生み出したものの中で好きになれるのは、絵だけです。文章はまあまあです。会話なんてもってのほか嫌いです。
とはいえ自分の絵が好きになってきたのも絵を描くのが好きだと自覚したのも最近のことなので、もしかすると、やればやるだけのちに好きになる可能性が増えるということなのかもしれません。好きの次のステージが誇りである かどうかはわかりません。
たくさん作ればいつか好きになれるのかというのもわからないので、とにかくやってみようと思います。(なにを)(なにかを)
自分の好きに無自覚でいやなことから逃げてここまで来たのだと思っていたし、これからもそうして生きていく気がするが、そもそも好きが全くわからなかった(自信がなかったともいえる)頃に比べると、今はだいぶ自覚的に好きに向かえるようになったと思う。ここで微笑むのは違う。
今のところは、好きと言ったものが好きなのだと思っている。
(好き)は言葉だから、当然かもしれませんが。
やっぱり言葉の裏にある感情は、言葉と紐づいてなさそうだ。
どちらかといえば相手の持っている経験と印象の方に紐づいているような気がする。
これは相手がいるときつまり会話!の場面にいえることだけど、誰にも見せない言葉があったとしたらそれはしっかりと自分の感情に紐づいたままなのかしら。
(レポートを書くたびに)僕は僕の質問や回答がただの前提にすぎないのじゃないかと常に不信がっている。(確信もしている)
言っても言わなくてもかまわないことをあえて言う度胸はあるが、度胸があるだけで精神は痛がっている。こう見えて。(どう見える?)
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