ためり

日記のようなもの、つれづる

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最近好きなもの、者、物、一覧

いろんなきのこをぽすぽす叩いて摘むインスタグラムアカウント カノンロック (弾いてる人が沢山いる中で、一番好きな動画↓) ピース又吉のチャンネル(とくに古着を買うシリーズ) クリープハイプの二十九、三十という曲の銀杏BOYZバージョン このようなツイート モンゴルに行きたいです すごく

    • うまうまゆで卵

      それにしてもゆで卵はおいしいなあ 塩をかけて食べるのが一番おいしいなあ ところで、 お互いの好きと好きの必然性は、お互いに見えない。 相手が自分を好きかということ。自分が相手を好きかということ。 そこになにか法則があるとしても、それが見えてしまったら好きにときめきは付随しないだろうと思う。 私はときめくために好きになる。 たまに、見えたと錯覚することがある どういうときか、それは。 日曜日の朝とか、幸せそうな植物園とか、街をずんずん進むときだ。それは、楽しいけど、悪(あく

      • あくまで私の世界では

        新宿のとある画廊にめちゃ行きたくて、でもえいっと行くには飛距離が長すぎて歯が乾燥しそうだから歯が潤うくらい大きめの用事を作りたいと思っている そう簡単にはいか🦑🈚️ 本が好きだ。 そして本屋も大好き好き好きなのだけど、本屋であればぜんぶ好きなわけでは餅の論ない。 紙の本が絶滅しそうだとか言われてたけどやっぱしないよねみたいなこと言われてるけど、どうかな 本なんてもうとっくに絶滅して、しれっと生まれ変わってる気がします あくまで私の世界では 本は、本の形をしていながら以前

        • 上手く言えない!

          自分と他人がどのくらい違うのかをいまいち把握できていない感触あり 他人のことを知るにはその人から出力されたものを手がかりにするしかないと思うのだが、 (それが自分を知ろうとする他人にも言えることかはわからない) わたしの場合相手がどういうあれこれの前提や状況や経験や考え方や基準や価値観や意図で出力しているのか、どういうものを期待しているのか、なんとなく全く抵抗なく想像することができるし、その全てに、(ふぅん)となることができる。(私は期待に応えるのが苦手だが) そしてたまに

        最近好きなもの、者、物、一覧

          シン

          心の底から安心できたらどんなにいいだろうなあ ぜんぶのことに安心を期待している 噛み締める安心と思い出す安心 すべては安心を求めた先のことかもしれない 小さい頃は下校とか、夏休みとか、日曜日のお昼ごはんとか、他人という存在とかにまだ慣れてなくて、比較対象もないし、あらゆる概念が定着する前だったし 知らんふりしつつ面白がることができた 今じゃもう慣れが先行して追いつくのに精一杯って感じだ 名前を変えましたよ 誰かわかるでしょうかー 名前は重要じゃないわりに 正しく使えないと

          お皿も洗ってないよ〜

          観る予定の映画と、行く予定の美術展と、読む予定の本と、買う予定のフィギュアと、描く予定の絵と、撮る予定の写真と、作る予定の音楽と、会う予定の人 ↑素晴らしい 銀杏BOYZとかandymoriとかナンバーガールとかビートルズとか神聖かまってちゃんとかを聴いてる Pink Floydを受け入れるときと受け入れないときがある 引っ越してから一度も触ってなかったお風呂の排水口の蓋を開けたらもはや気持ち悪いとも思わないような、ものすごい量の髪の毛とドロドロしたものの塊が出てきたよ

          お皿も洗ってないよ〜

          下巻を買いたい

          最近本がまた読めるようになった 今は騎士団長殺しを読んでいる 次は、街と不確かな壁を読みたい (まだ読んでないのかよー)(いきなりすぎないか?) 《オーケーです》 最初に読めるようになったのは意外にも小説 なんか他の、小説じゃないやつ、文化を俯瞰した内容のやつとか、そういうやつは、まだ集中して読めない気がする🐘 余裕の問題なのか 脳のキャパシチィ 真面目にインプットして真面目にアウトプットするを繰り返すが、インプットを気楽に想像にして留めることをしていなかった その部分が

          下巻を買いたい

          ヲレ、もうなにも語るな

          うんこ氏、元気か ピッす。 ほ、よかった。 な〜んも言いたいことな〜〜〜い! 書いたって仕方ないや〜い 「〜」←むかつく 私に必要なのは読書でした 文字によるアウトプットは私になにも与えないぜ 生きるの楽しいとか辛いとか、考えてる暇がないぜ 大学生って、イタいぜ

          ヲレ、もうなにも語るな

          タイトル思いつかなかった

          絵を描くのはとても楽しい 楽しいって、気分が上がってることじゃない ワクワクしてることじゃない 面白いってことじゃない いや、ちょっと面白い 面白いけど、ゲラゲラ笑っちゃうようなことじゃない 集中してなにかを作るのが好きなんだ 私はそれによって安定したい 絵を描いている時が、一番安定できる 初めはどうしようもなくやりだすんだけど、どうするべきかわかる時がやってくる それは頭で分かるんじゃなくて、目と、知らないところが勝手に何かに納得していて、私は頑張ってそれについていか

          タイトル思いつかなかった

          気ぃつけや

          私はけっこう、かなり、だいぶ、おおいに、ひじょうに、ちょう、チョー、人間が好き、であることを、しっかりと自覚している 逃げていない ョ 逃げられない ョ 人間の形も、人間が作る人間の形も、美しい 醜いの続きに美しいがあるのか、美しいの続きに醜いがあるのか、どちらでもよいけど🩸人間が人間を描くとき、醜さを目指すことはない、醜さを求めるときも、その醜さは美としてかたられる(かもしれない(わからない(多分)))) 醜さは、裏に、影に、すぐそばに、ずっとくっついてい る 好きとも

          気ぃつけや

          改めて徒然

          自分を分析することは、できればしたくないである。 無意識ってか、気づいたらしてることはある。 無意味だし、無意味なりの価値があるようなことでもないし(私にとって) 私は私を通してしかなにも(想像とか)できないから、単純につまんなくなったのである 私が求めるのは、私の、私の分析の、限界の中の、無限を覆す他者の言葉や存在なのだ、である たった今、思考の言語化文章化というすごく嫌気がさす(好きだよ)ことをするといつも出てくる感覚に似合う言葉の表現を見つけた(浮かんだ)(プウカプ

          改めて徒然

          これは全く本質的でない話

          やりたいことがたくさんあるけれども それがまだ、「やりたいこと」の段階にいる 状態 それこそが大事だと言いたい 重要な補足(それぁもう本題)! ここで(に限らずいつも)私がやりたいのは、(伝える)でもなし、(主張)でもなし、(共感求ム)でもなし、「美しいの研究」なのだ。 私は言葉を使うとき、その意味の集合(組み方)がどれほど美しいかどうかを、特に大切にする 絵を描くとき、その線と色の美しさを吟味するように。 哲学に溢れた言葉は、美しい (哲学は、学びとしてあるのではなくっ

          これは全く本質的でない話

          思考をできるだけ忠実に文字起こししてみます

          宗教 美しい文字 装飾 イルミネーション 必要なのは神かな本当に ナニ? Twist and Shout〜 恋は永遠?愛は一つ? 綾波レイ曰くー(惣流アスカラングレー曰く) 恋は永遠、どっか行ってしまいそうだ 理想は皆が持っているか 卵が先か鶏が先かーNO! 理想 溶かしてよメロディ〜 夢〜 理想はいつだって静かな崩壊 人キモ 文章の書き方がわからなくなった 近頃の思考 文字が先行している もともとあるものー(一番初めはなんだったの)(一番初めなんてなかったよ

          思考をできるだけ忠実に文字起こししてみます

          私は14歳

          われわれの全ての(文化的な)行為の根底には同じ概念が伏しているのではないか!それは、 意味!(太字を覚えた) 意味を付けることではないか 言葉も、口から出せるただの変な音に概念を持たせたものだし、絵を描くことも、ただの線と光の反射に意味を持たせることだし 意味ってなに概念ってなにってことを調べても、結局なにって感じだし ウィキペディアの曖昧さ回避が、余計曖昧さを生んでるし 考えてると、世界そのものにはなんの意味も価値も名前もないただの「アレ」なんだってことに、どんどん

          分かる

          本を読んだり音楽を聴いたり映画を観たり漫画を読んだり絵を見たりするとき、なにを考えますか?例えばあのシーンがこの結果の伏線で、ここにどんなメタファーが使われていて、とか、考えますか? 作品からどんなことを学んだかとか、社会のどの側面に訴えているかとか、もっと大きくすれば、これをみてどう思ったか、とかは、よく聞かれますね。 でもそんなのって、自然と浮かんでくるものでもないし、自然と浮かんでくるようにするためにいろいろ背景の情報を学んだりすることもあるけど、野暮じゃ? わりと

          絵に物申す

          自分でかいた絵をエスエヌエスというゴミ箱みたいなところに投稿したりしてさ、いいね、とかいけてるね、とか言われてさ わたしはもしかしたら、自分の絵が全然好きじゃないかもしれない 好きじゃないなんてもんじゃない、興味がないし、どうでもいいし、全く価値を感じてないんじゃないかと最近思った お金や時間に変えても欲しいとはそもそも思えないという意味でも無価値 だって最初から自分のものだし、というか、自分が持ってないと行き場がないようなものしかない わたしには責任がつらくて、とくに自

          絵に物申す