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思ったことをそのまま伝えたいから、私がやっていること

こんにちは。

ライフコーチの為近奈央です!

先週は遊びウイークでした。
鎌倉にコーチ仲間と遊びに出かけたり、週末は八ヶ岳に行って初雪に遭遇したり。
大好きな人たちといる時間は楽しく、でも、時には真面目な話も遠慮なくできる。こうした関係性が私は本当に好き。気疲れせずにいられる日は終わった後もなんだかスッキリとしているのです。

こういったコミュニケーションが取れるのは昔からではなかったと思います。
むしろ、そういう仲間ができたことも影響する。
話しやすい仲間ができた、ということは、私が思ったことをストレートに話したいという意思の表れでもあり、思ったことを話していいと思える人たちに囲まれることと両立しているなと感じます。

元々、ずっと自分のことを素直に話したい、この気持ちはあったんです。
だけど、話しにくいとか、話すと変に自慢に受け取られてしまったり、そうした懸念がありました。実際職場ではそうなって自分のことを先に話すのを辞めてから、周りの人にも本当のことをあまり話す自信が無くなっていました。

今思うと、それはあまりにも早合点な選択だったなと思うのです。


思ったことを話すときには一緒に「お守り」をつける

本当に距離が近い家族や友人に対しては思ったことを率直に話したい。それはどこか熱意のあるメッセージかもしれないし、ただただ、想いの丈を打ち明けることかもしれない。もしかしたら、ちょっと勇気のいるフィードバックなのかもしれない。

思ったことには実は言葉として表に出てくるもの以外のニュアンスがいっぱい含まれていると思います。

私はそれを「お守り」として、枕詞や背景にして一緒に話しています。

例えば、部屋を片付けたいけれど、パートナーの協力なしではできないところがある時。
「片づけてよ」では伝わらない。
「ここを片付けたいんだけれど、どうしても自分だけでは整理できないものがあるからやってほしい」とか自分の頭の中にある背景までストレートに話す。

「片づけてよ」という一言では、相手に対する批判としてしか聞こえないこともあるし、全てを相手にやるように指示しているようにも受け取りかねない。

本音って言葉が足りないと刺さってしまう。
でも、本音の解像度をキッチリと上げて伝えればきっとその言葉は相手にとって愛あるメッセージにも、敬意にもなる。

本心が伝わってくる本音はすごく響くし、「自分のために言ってくれている」という感覚がすごく伝わってくる。

だから、セッションで関わっているクライアントにも率直にフィードバックしつつ、私の意図までしっかりと話したり、事前に攻撃するつもりはないことを伝えます。

お守りは自分が思ったことを伝えるためのお守りである一方、相手を余計に傷つけないためのお守りでもあるのです。



思ったことをそのまま伝えると、伝わる。


私はnoteでも自分の主張を思いつくがままにしてきたので最初は何回も言葉を見直したり、大丈夫かなとチェックしていました。

そこで気づいたことがあります。
自分のメッセージの中に対人的な批判の想いが無ければ思ったことをそのまま書いても全く毒にならないということ。

言葉って不思議で字面だけなのに熱量を感じたり、重たさ、軽さを感じる。文字情報以外の要素を含んでいるんじゃないかと思うくらいメッセージを感じるんです。言葉のその先も含めて伝わっていくというか。

そこに書き手の真意がこもっている。だから、その真意があくまでも「自分が素直に思ったこと」であれば変に気を遣わなくていいのだと思います。

私はそれに気づいてから、自分の思ったことをそのまま言葉にしていくことを厭わなくなりました。

思ったことを素直に伝えることはこわくない。
怖いどころか、本当に伝わった人にものすごく響いている。

そう思ったら、言葉にしていくことってものすごく意義があるし、尊いなって。
それは普段のコミュニケーションの中でも。言葉がより深くなったら、伝わることってきっと変わってくる。
だから、思ったことを伝える時には自分の感覚をできるだけ言葉にしていく。そうすることでなぜか言葉の先まで伝わるような、そんな感じを覚える。

多分それは、言葉に感情が乗るということなのかもしれない。自分の想いが乗るように言葉を使うから、伝わりやすくなるんだ。

私が学んだことであり、それをもっと周りの人にも伝えていきたいと思ってこの記事を書いてみました。
想いが行き来するやり取りが広がりますように。



【為近奈央プロフィール】



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