「共犯者たち」:権力とジャーナリズム
2018年12月15日、はじめてポレポレ東中野を訪れた。
みたのは、「共犯者たち」。韓国の国家権力に対するジャーナリストたちの闘いを描いた韓国製のドキュメンタリー映画だ。
前日、堀潤さんのおすすめツイートを見て行くことを決意した。
李明博、朴槿恵政権の言論弾圧の実態を告発するドキュメンタリーで、チェ・スンホ監督自らが当時の関係者たちにインタビューする様子やストの様子が流れる。弾圧の対象となるメディア機関は、韓国の公共放送局KBSと公営放送局MBCだ。
参考:NHKよくある質問集「公共放送とは何か」
電波は国民の共有財産であるということからすると、広い意味では民放も公共性があるということになりますが、一般的には営利を目的として行う放送を民間放送、国家の強い管理下で行う放送を国営放送ということができます。これらに対して、公共放送とは営利を目的とせず、国家の統制からも自立して、公共の福祉のために行う放送といえるでしょう。
韓国政府は民主主義を標榜しながらも、公共・公営メディアを政府の広告塔にしようと考えており、報道に携わる人びとがそれに反すると権力を振りかざして抑圧しようとする。
こうした状況に対して、現場の記者やキャスターたちが抵抗し、ストを組織する。韓国の政府や検察も悪質だなあと思う一方で、報道に携わる人びとのジャーナリスト魂に敬服した。彼ら・彼女らは国家ではなく、国民のためのメディアであることを肝に銘じ、行動していた。
そして、これは“過去の話”ではない。いまもなお、国家権力がマスメディアを掌握することへの危機感は変わらないと監督は述べていた。エンドロールでは、不当な懲戒処分を受けたり解雇されたりしたジャーナリストたちの名前が並ぶ。その数は約300名にのぼるという。
映画上映後には、堀潤さんと森達也さんのクロストークがあった。
堀潤さんは、KBSのスト現場に足を運んだときの様子をレポートしてくれた。そして、日本でもNHKの番組で従軍慰安婦問題に関する放送内容を改変するという事件があったことを紹介していた。満席の客席には高齢の方が多く、本件について知っている人も多かったが、私は知らなかった。
森達也さんは、高校時代に倫理の先生が「A」というドキュメンタリーを紹介してくれたときから気になっていたので、少しだけどお話が聴けて嬉しかった。森さんは一貫して「闘う相手は自分だ」と言う。
日本のマスメディアは介入を受けなくても、“自主規制”や“忖度”をしている、と。私たち(視聴者)全員がまさに「共犯者」であるとも話していた(この話は堀さんだったかも……)。
もう一つ、匿名性の話も印象に残っている。森さんは、韓国ではメディアにおける無罪推定原則は厳しく守られている一方で、ドキュメンタリーではほぼ全員が顔と名前を出していることを評価していた。
「表現は攻撃だから、攻撃されるのも仕方ない」という言葉から、森達也さんのジャーナリストとしての覚悟がストレートに伝わってきた。
最後に、堀潤さんはこうした問題について「メディアは……」と言った時点で、他人事になってしまうと警鐘を鳴らす。自分を主語にして考えよう、語ろうと。
僕らは、いつの間に自分の手で何も作らなくなってしまったのだろうできあがったものの背景や価値を考えずに、ただ消費してしまっているメディアもそうかもしれない
堀潤さんのこの言葉に、我が身を省みる……。実直なジャーナリストお二人の考えを聴くことができて、気が引き締まる思いだった。
花を買って生活に彩りを…