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地域課題は把握できない。地域の活動を知ることから始める。

地域を持続可能に、というと他人事になりますが、自分が住み続けたいと思える場所にするには?となるとだいぶ見方が変わると思います。

よく市民参加をどうしたら増やせるのか、地域課題を洗い出して把握しなければ、という話になります。自分も最近まで同じように考えていました。

結論から話すと、社会を変える覚悟次第です。市民参加は、万人の求める内容は万人毎に違い、それを想起・要望するタイミングも万人毎に異なります。地域課題も同じく、言えない人、言わない人、言う場がない人など多様で、そういった人たちが地域課題を語らないまま流出していく。アウトリーチしていない人から課題は聞けません。

では、地域課題の把握の前に、「地域活動」は把握しているのでしょうか?市民参加の中心である「市民活動=地域活動」が、今、あなたの周り10分以内に行ける範囲で、誰がどのようなことを行っているか、知っていますか? これをある程度でも答えられなければ、自分自身がアウトリーチしていないので、地域課題の把握も、市民参加を増やすことも、叶いません。

そもそも、市民参加がなぜ必要なのか。それは個人的、社会的な成長、持続的な幸福感であるウェルビーイングがそこにあるからです。*言語化できない学びを得られ、ちょっとした困りごとを相談したり手を差し伸べたりできる場。多様な人が多様な目的でそれぞれのタイミングで受け入れる活動を行っているのが地域活動です。

人の価値は財産ではなく、他人と分かちあったものの量
文字にならないものの大切さ
世話をした人や動物の数でその人の地位が決まる

文春オンライン https://bunshun.jp/articles/-/55845

アウトリーチの課題の大きさに気づいたきっかけは、
先日、こども食堂の主催者にインタビューをした際に、この2年間でひとり親家庭を中心に困窮状態がかなり逼迫していることを知りました。自分の関わる世界からは想像もしていなかった状況で、本当に近所のことが知られないのだと愕然としました。アウトリーチしないというのは、支援の当事者間だけでなく、周辺の人にとっても知られないのだと思いました。
同時に、車が空を飛んで、遠隔医療ができて、AIが仕事や生活を便利に楽しく変えても、それらが子どもの犠牲の上に成り立つ社会は、誰のための地域なのだろうと憤りと落胆を感じてしまいます。気づかない、知らない、アウトリーチしないことは、社会の優先度すら狂わせる恐ろしさがあります。

地域活動の共有、情報基盤化には大きな意義があり、優先度も高く、そしてファンタジーではなく、覚悟と行動さえあれば実際に実現できます。