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お行儀の良さ(悪さ)について

よりによって「オンナコドモ」という言葉をチョイスしてしまったがために知事になったわけでもないのにやり玉に挙げられているわけですが、

「オンナコドモ」もだけど「頭ぽんぽん」もね…。

こういうタッチに「敬意」を感じますか? 反射的に逃げるかひっぱたきそう。またはフリーズするか。愛玩動物じゃない。

石丸伸二氏に関しては、インタビューを重ねるに連れてこういうボロというか馬脚が顕になり、その都度それなりに騒がれるので黙認される世の中だったことを思うと感無量でもあります。

が、なんだろう、この、堂々とした振る舞い。

最近気になるもうひとつのことに、戸籍上の性別移行で「外観要件」が不要になる傾向。「見た目が近ければ戸籍上の性別も変更可能にしましょう」という傾向です。憲法上の人権を保証するために「手術による生殖腺の摘出」を必須としない方向になりつつあります。

当事者からも賛否両論ですが、男性器のある自称女性がトイレや更衣室や入浴施設などの女性エリアで性犯罪に及ぶのではないかと、「女性の安全」のために反対している人がいます。

実際にイギリスでは一時期「性自認(身体の性別ではなく)」によって男性の刑務所から女性の刑務所に移動することが可能になりました。男性器のある自称女性の受刑者が女性刑務所でモンダイを起こしました。これはあかん、ということで現在は性犯罪歴のある男性受刑者は自認が女性だろうが男性だろうが、カラダの性に従って男性刑務所に収監されています(元のシステムにほぼ戻った)。

M to F(male to female=男性から女性)のトランスジェンダーの人のうち、男性器を持った人が女性エリアに侵入して女性の安全を脅かす…だから「外観要件をなくす」ことに反対なのだというのが女性の権利を訴える人の言い分。

そもそもトランスジェンダーという概念が市民権を得たのは割と最近のことで、30年前なんて「どんなに学歴があっても『男性に生まれたけど女性として生きたい』とカムアウトしたりバレたりしたら、水商売しか仕事ないのよ」とショーパブのお姉さんがカラカラ笑いながら話していたくらいです。今は、職業選択の自由も増えました。議員にだって立候補できる。よだかれんさん素敵じゃありません?

でね、何が言いたいかというと、LGBTQ+とか、SOGIだとか、性や性自認、性的指向のいろいろもだし、〇〇人とか、障害のあるなしなど、属性ってそれほど重要ですか?と思うのです。

「女性エリアでの女性の安全が脅かされる」に絞って話をしてみますね。

女性エリアが女性にとって今現在パーフェクトに安全でしょうか。そんなことない。人目をかいくぐって盗撮カメラを設置したり、人気のないときを選んで犯行に及ぶ人もいるし、性暴力欲のためになら涙ぐましい努力をする人だっています。

女性はどこにいようと、男性より安全ではない。

それが現状なのではないでしょうか。

外観要件を外したら「自称女性が堂々と女性専用エリアに入ってくる」と怖くなる気持ちは理解できます。どこにいたって安全じゃないから。比較的安全だったはずの女性専用エリアへの侵入を許すな!となるのも理解できます。

でもね、トイレや更衣室、入浴施設って当事者にとって「バレる」可能性が高いところです。トランスジェンダーの人の多くは通りすがりの人に「奇異の目で見られる」ことを恐れ、悲しみ、静かに怒ったりもしています。できればそんな眼差しは避けたいし、トラブルも起こしたくない。なので気心の知れた人しかいない勤め先のトイレとちがって、知らない人がたくさんいる駅やショッピングセンターのトイレとではどのトイレを使うか慎重に選ぶ人がほとんどです。用を足して出るまでの間に嫌なことがおきませんように…温泉にゆっくり浸かりたいけど視線が気になってサッと洗って出てきちゃった…どちらも、手術とホルモン療法で性別移行をした人の経験です。人を不快にさせたくはないし、受け入れられるかどうか恐る恐るチョイスしているエピソードはたくさん聞きます。「ほらー、あたし、こんなだけど、ココロはオンナなの〜」という人って多くはない。

多くはない、という奥歯にものが挟まったような言い方になるのは、わたしは直接知らない(知り合いにそういうヒトがいない)けれど、ウェブ上には存在を示す情報がどっさりあるからです(リア・トーマスとか)。そしてわたしは、その「ほらー」と女性エリアに侵入して女性の安全を脅かす人を無条件に「女性」と扱うわけにはいかない、と思っているからです。

ヒトが暮らす世の中には約束事があります。法律とか、人権、常識、良識といわれる約束事。これは、互いに嫌な思いをしないように、そして困ったときに助けることができるように設定されているもので、行儀や礼儀、マナーと言われるものもあります。

特に、「行儀:立ち居振る舞い」「礼儀:言葉遣いや心の表し方」など行儀作法やマナーの類は、日頃の価値観が表れるものでもあり、付け焼き刃でなんとかなるものではありません。相手を尊重すること、場の安全・安心を大切にすること、その場にいる人たちや物への敬意、その場に関わる人関わってきた人への感謝、そういった心持ちが態度や言葉に表れます。「こうすれば確実に伝わります」という定型化されたものが、その文化圏の「マナー」「エチケット」「行儀作法」のようなものとして受け継がれています。

そしてそれら「マナー」や「お行儀」を身につけることをより強く、濃く求められるのが「女性」

一方の男性は「テキトー」が容認されます。むしろ「行儀の悪さ」が「男らしさ」のひとつとして奨励されていることすらあります。

なんだろうこの不均衡は。

わざわざ、女性のフリをして、女性専用エリアに侵入し、女性の安全と安心を脅かしたい…そう考えて、そのように行動するのは、「行儀の悪さを容認されてきた経験」に「味をしめた人」ではないでしょうか。

性暴力、性犯罪とは、究極の行儀の悪さの形態のひとつ

というように見ると、行儀の悪さを容認されたり、ときには奨励されたりする男性が性犯罪者のほとんどを占めるのも納得です。

政治や企業の役職など、意思決定の場に女性が増えると「行儀の悪さ」をたしなめられたり、「行儀の悪さ」で「連帯(共犯者意識)」してきたオールド・ボーイズ・ネットワークが解体されるから、女性の進出を嫌がるのでしょう。

一見、若いエリートに見える石丸伸二氏のように「行儀の悪さ」を「強さ」と誤学習してきた人もいるくらいだから、根深いものを感じます。

そんなわけで

人をその属性(〇〇人、LGBTQ+、男性・女性、障碍、宗教、思想信条などなど)で語ることのナンセンスさ、むしろ暴力性を最近感じるのです。

「トランスジェンダーの女性(MtoF)は性犯罪者予備軍」であるかのように言うのは、あまりに乱暴なのではないかと思うのです。

ことば、態度、眼差しによって
居心地の悪い思いをさせる
安全や安心を脅かすことを
許されている人などいていいはずがありません。

どんなことば、態度、眼差しが
だれかに居心地の悪い思いをさせるのか
誰かの安全や安心を脅かすのかを
子どもの頃から大人たちに教わる「権利」なら
すべての子どもにあると思っています。

それを届けるのが「包括的性教育」であり
居心地のわるい思いをしてきた属性
安全や安心を脅かされた属性から生まれた「フェミニズム」
のしごとだと思っています。

わたしたちはヒトという動物種として生まれたなら
一人残らず、全員「地球人」です

その地球人は
「行儀の良いヒト」から「行儀の悪いヒト」まで
様々なグラデーションの位置にいて
「それは行儀悪いコトです」と指摘されたり気づいたなら
より「行儀の良い」方へとアップデートを重ねるしかない

のではないかと思うのです。自戒を込めて。

誰かの安心や安全、快適さを脅かす振る舞いは行儀のわるいコト

だから犬だって「吠えちゃダメ」「咬んじゃダメ」「そこにオシッコしちゃダメ」と教わるのです。性別関わりなく。

男性の行儀の悪さについては「有害な男性性(toxic masculinity)」として、これからの世の中のために改善していこうという流れは始まっています。

昨年10月に書いたのはこちら

「オトコが」って乱暴に属性でくくっちゃってますね、反省。

言い訳になりますが、男性より女性に行儀の良さを求めるヨノナカの傾向はまだまだ強いです。選挙を見ていてもわかります。石丸氏の「オンナコドモ」に、蓮舫氏の八年前の「オトコは泣くな」を持ち出してダブスタと攻めるのもしかり。蓮舫氏はその当時、指摘されて謝罪したししっかりアップデートできてます。石丸氏は?指摘されて言動を改めそうですか?そうだといいな、とは思いますがどうも期待できそうにない(いまのところ)。

わたしがトランプ元大統領に警戒してしまうのも、彼の行儀の悪さゆえです。異なる文化、異なる立場、異なる考え方の人に対する行儀の悪さは目立ちますが、良いなと感じたことは無い…かも。思い出せない。

きっと、地球上の「ヒト」という知的生命体が、誰に対しても行儀よく振る舞えるようにならないと、宇宙には行けないように見張られているように思います。迷惑だもの。

「行儀の良さ」がいきわたれば、戦争も、環境破壊も、搾取も、差別も、犯罪も、いまよりずっとマシになると思います。犯罪や差別はゼロにするのは難しくても、それが「行儀の悪いこと」として「ダメだよ」とだれもが指摘できるようになれば、今よりずっと減るだろうし、深刻な事態を引き起こすことも稀になると思います。

ぜんぶ憶測です。

「行儀の良さ」って礼儀作法を習うばかりじゃなくて
日常の何気ないことの積み重ねだと思います。
誰に対しても、別け隔てなく、行儀よく振る舞おうと努めること
以外に無いと思うのです。自戒を込めて(二回目)

緊張も萎縮もせずに、だれもが行儀よく振る舞えば
きっと平和で豊かな地球になる。
そんな日をイメージしています(難しいけど)。

そんな日が近づくことを願って個人セッションやってます。


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